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器用すぎても不幸になる。

久しぶりに「(&・_ゝ・&)<アムパサンド」の担当です。


篠原眞が亡くなった。新作の準備があるという話だったが、達成することはできなかった。したがって、私の手元にある音源は弦楽四重奏曲までなので、その曲までの軌跡しかわからない。松下眞一と同じく、最後に完成できた作品が弦楽四重奏曲であった。


彼を褒める文章はネット上の至る所で目につくが、その文章の発信源はいつも限定されており、篠原を客観的に捉えた文章が読みたいと思うのも事実だ。全作品数は50を切っているのだから、評論は可能であるはずだ。


「8人の邦楽器奏者と8人の洋楽器奏者のための〈協力〉」が初演されたときにNHKのテレビに彼が出演し、和洋の音楽的融合についてコメントを求められていたことが懐かしい。


しかし、篠原の音楽的な追求は、この作品以前にはすでに終わってしまっていた。彼のピークは紛れもなく、「25人の楽器奏者のための〈平等化〉」であり、まだISCM主催作曲コンクールなるものが主催されていた現代音楽の黄金時代であった。1979年以降前衛音楽に冷たくなるものだから、彼も理論的追求を抑え、ひたすら聴衆受けを狙う態度になってしまったのが残念であった。この曲だってCD化はなされていない。


エリプシ、バティカルバの両氏は私よりも冷たく、エリプシは学会で「確定記譜法に世間が戻ったときに篠原がもたついていた」と言い放った。これは誠に以って鋭い意見で、秒数で打ち込む自由な記譜法とそれを用いない記譜法を1990年代ですら折衷させていた。1980年代に入り、次々と前衛音楽に精鋭が飛び込んできたときに、海苔の佃煮のように真っ黒な譜面を振りかざす作曲家もオランダに紹介され、篠原は「こうまで確定しちゃってねえ」とリチャード・バーレットのi open and closeを評していたことも思い出される。


せみころーんは大きく理想を達成した日本前衛の闘士という姿勢を崩していないものの、私はそれには同意できない。「日本前衛」といったキーワードに騙されてしまった被害者だったのではないのか。もっと彼に安定したポジションを与えるべきだと思ったが、そもそも再評価されたのが1996年と遅く、この時点で彼は65歳を回ってしまっている。世界的巨匠でも、75歳を回らなければ凡人は評価できないのである。このことは大きく小学校の音楽の教科書に、ひらがなで書かねばならない。ほんもののりかいはどうしてもおくれる、と。


ころーんはまた違った態度であり、「密度が大きく崩れないのはすごいと思うけれども、全体的にすごくあっさりしたtuttiしか使えないのは技術的な限界なのか好みなのか」わからないと言ったそうである。もちろん、せみころーんは食ってかかって怒り、「それが主張じゃないか」とものすごい剣幕だったが、一理ある。


バティカルバは「多面的な才能をお持ちの方だったのに、活かす場所がなかったのが可愛そうだった」と。「普通に合唱音楽の作曲家として認知もされたはず」と。「教育用のピアノ作品でも当たったかも」と。篠原にとって、現代音楽の作曲はただの肩書でしかなかったのかもしれない。それなら1980年代以降さっさと前衛を捨てたのも理解できるが、舞い戻ってきたのも非常に悔しい。


良かったことも一つだけある。それは彼が長命であったため、彼の作品を演奏する代がかなり重なったことであった。これだけは本当にめでたいことであり、この期に及んでも代が重なることが全くない現代音楽の作曲家は多い。


大きな足跡は明らかなのに、作品全集を作る試みも日本にはない。どうしても学校の「中退」者には日本社会はものすごく厳しいため、その後の日本の楽壇は留年してでも卒業はさせるように舵を切った。しかし、この卒業原理主義は間違いなく日本の楽壇を凍りつかせてしまったことは否めない。まだまだ林光、高橋悠治の世代は学校なんて中退しても良かったのである。いまや修士号以上が求められる時代に入ってしまい、学位はあっても受賞がない作曲家は増えつつある。彼らに篠原の仕事が理解できるとはとても思えない。


私の個人的な感想に過ぎないが、彼がもしも世界的巨匠と組んで映画音楽を作曲していたらどのようなことになっただろうかと思うこともあった。意外にも彼のモビール形式は映画と相性が良いはずなのに、彼に声をかけた監督さんは居なかった。これも残念であった。もしも大島渚が坂本龍一に声をかけず、篠原眞に声をかけていたらもっと大島の政治的偏向も治っただろう。


「和洋楽器のオーケストラと混声合唱のための〈夢路〉」だって、全編洋楽器ヴァージョンで演奏したって問題はまったくない。これはカールハインツ・シュトックハウゼンの〈光の火曜日〉第一幕」とほとんどスタンスが同じである。近年シュトックハウゼンの〈光の火曜日〉第一幕は初演の不評を覆してヨーロッパで再評価がなされており、その殆どの初演は洋楽器ヴァージョンである。篠原の邦楽器のためのいくつかの作品も、洋楽器で自由に演奏される日が待ち遠しい。

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