作曲家のお手伝いさんは、必要なんですね。
どーも
ようやく
語り部権が
手に入った
「(●▲●.)<どっーと」
です。
きょうは
誰でも知ってる曲
を
取り上げます
が、
楽譜は
現代のコンピュータ印字では
まだありません。
こういうの
ほんとに多くなりましたね。
誰もが
pdf化された
初版を弾くようになるんですね。
きょうは
初心に帰って
モーツアルトの
レクイエムを
聴きたいなと思ったら
なんと
チェルニーが
全曲をピアノ連弾にしてるんです。
かーんまくんとなら
なんとか連弾はできるみたいだけど
かーんまくんは
「(*^◯^*,)<こんなのこどもがひいちゃいけないんだ」
って
弾いてくれません。
なので
カナチャンに
抜粋の演奏を
お願いしようと思ってます。
編曲は
たまーに
オクターブでふくらむくらいで
ほとんど
原曲通りです。
でも
Lacrymosa
とか
この編曲で聴くと
なんだろう
教会の
オルガンみたいなんです
おもしろかったです
でも
テンポが
ちょっと速いんだな
この曲って
すっごく
ゆっくり振る指揮者
ばかりじゃないですか
でも
本来は
こんな演奏が
求められているのだ
そうです
チェルニー先生は
ベートーヴェンみたいに
理想のMMなんか
書かない人なので
原曲を
損なわず
書いてくれます
モーツアルトが
いきてた時代は
こんな速さで
なんの思い入れもなくて
さっさと弾いてしまったんですね
おおかわいそうに
ってのでは
まったくないんです
あとびっくりしたのが、
ぼくが
もってる
ディスク
GENUINの
は
出版譜が間違っていた
と
強引に解決し
Tuba mirum
の出だし
を
勝手に
ジュスマイヤーの原譜
に
書き換えてます。
でも
でもね
ボクは
チェルニー先生の
「編曲版」
とおりに
出だしを弾いてほしかった
んです
これは
あきらかに
チェルニー先生の
意図があります。
反復が
カット
されてるんです
なるほどなあ
こういうの
手腕っていうんですけど
ピアニスト二人は
元通りにしちゃいました
もったいないなあ
ボクは
楽譜通りのほうが
おもしろかった
んです
せみころーんせんせいさん
は
「(。・_・。;)<この人たちアーメンフーガも入れて弾いてるし、わかってないよ」
って。
アーメンフーガは
モーツアルトの
スケッチに
あったんです
なので
これも
CDに収録
これを
せみころーんせんせいさんは
「(。・_・。;)<ただの切れ端スケッチ。なんの意味もない。やーめたって放り投げたフーガいらない」
って
全否定してます
ところが
ころーんせんせいさんは
「(゜~゜:)<国際的にはアーメンフーガを復活させようという動きが主流だよ」
って
どっちもどっちです
この曲
結局
モーツアルト=ジュスマイヤー=チェルニー
って
3人で
作っちゃったように聞こえますが
これ
なかなかいいなあって
合作だと思って
聞いたらいいんじゃ
ないだろう
かな
って
わざわざ
後世の人間が
厳しく補筆
するのって
まちがいだとおもうんです
この
チェルニー版
から
18世紀
オーケストラ用に
書き換えれば
もう
これでOK
じゃ
ないでしょうか
さて
この
GEMINI
の
演奏
もっちょい
良いピアノで
聴きたかったです
こういう
優れもの
編曲に
限って
無名のピアニストが
弾いてしまうんです
こういうの
ユジャ・ワンさんと
ラン・ランさんが
弾いてくれれば
たちまち
楽譜も
ものすごく売れる
んじゃ
ないだろうかって
惜しいなあ
こんな
すごい
編曲楽譜が
世の中には
まだ
いっぱいあります
チェルニー先生は
音楽を使って
世に
ほんとうに
ほんとうに
貢献してくれました。
こういう人も
やっぱり
必要だったんです。
ふと思い出しましたが
坂本龍一さん
も
人生の
大半は
「貢献」
だったのではないかって。
小室哲哉さんも
そうです。
この二人は
創造ではなくて
貢献だったんです。
なら、
そういう人生も
いいよねって。
せみころーんせんせいさんは
極端な
オリジナル原理主義者
で
「(。・_・。;)<そんなこといってません」
「(゜~゜:)<家に帰ると言ってる」
ボクには
まだ
難しすぎて
よく
わからない
Haubenstock-Ramatiの
Amerikaとか
熱烈に信奉してるんです。
そういう
天才は
いいですよ。
でも
ほかのひとって。
そんなに
天才には
なれないじゃないですか
なれないひとは
こうやって
編曲で
貢献するのも
人生じゃないかなって
この
編曲の
お手本のような
レクイエム
もっと
色んな人で
聴きたいです
ちょっとはやいけど
おわり。




