取締役とサンドウィッチ
「今日は御忙しい所、有難う御座います」
其の人は立上がった。寄越した名刺には【代表取締役】と書かれていた。何を言われる訳でも無さそうなので勝手にソファに腰掛けた。すると代表取締役は
「嗚呼、少々御待ちくださいね」
と奥へ消えた。暫くして現れた取締役は、私の名刺を受取ってから早速ですが、と切出した。
「私は今迄沢山の人を見てきました。其の中で貴方様の様に、とても綺麗な目をしている方を見た事が有りません。そんな貴女だからこそお力になれる事があると思いまして、こうして御逢いする機会を設けさせて頂いた次第です。勿論、強制では御座いません。私共の御話を少し聞いてくださる丈で構いません。どうでしょうか?」
正直、驚いた。此の人は、きっと悪い人では無いだろうと思った。唯、話が長くて途中からボーッとして仕舞った。私は普段独りで仕事をしているので畏まった話をするのは久振りだ。
「はい、是非聞かせて下さい。」
其から約一時間程、取締役の話を聞き続けた。相槌を挟み乍ら話を聞いたが、後に為ったら半分も憶えているか危うい程だった。とは云え、取締役が簡易的なメモを呉れるとの事だったので心配は無用で在った。話の内容は大体こうだ。
・自分は所謂超能力者だが、自分以外にも何人か居る事
・其の人達は皆、自分が望んで得た能力では無いと云う事
・超能力者同士仲良くしたい事 等々……
そして最後に、取締役はこんな事を言った。
「私は、貴女の味方です」
其の後、取締役と連絡先を交換した。
近辺で軽く食事を摂りたいと思って彷徨いていると過去に一度丈来た事が在るサンドウィッチ屋が目に留まった。味が物凄く良いとか、マスターが親しみ易いとかでは無いが何処か心地良い、と言ったら良いか。レトロ感が漂う店と云う事も在ってか、案外若い人も多く見られた──と云う物の自分も未々若者の部類なのだが──のが驚きだった。
家に帰ると満腹感からか睡気が私の目を刺激した。
目を醒ましてスマホを確認すると、時間より先に着信履歴や留守電の通知が目に飛込んで来た。そう、例の代表取締役からだ。様々な可能性が頭に浮んでは消える。ふと、遅刻と云う可能性が思浮かび、初めて時計を確認した。
──3:10。一瞬13:10や15:10と空目したが深夜だと云う事に気付いた。考えたら13時間程寝ていた事に為る。寝覚が良いのは其のせいか。久しくこんな長時間寝ていなかった、と云うか元々ショートスリーパーの類だと自分では考えていたから生涯で最も長い睡眠時間かも知れない。しかしそんな事は如何でも良く、代表取締役に折返さねば為らないのだった。否、取敢えず留守電を聞いてみよう。
「斎藤だ。すまないね、電話に出なかったのでメッセージを残すよ。少し謝らなくては為らない事が有るんだ。迷惑を掛ける事を恐れて黙っていたのだが……。実は、貴女の身に危険が迫っている。そう、狙われているんだ。其を暗示するかの様な事が今日起こって仕舞った。もし此を聞いたなら直ぐに折返して呉れ」
まずい。掛かってきたのは16:00だ。10時間前とは……。其は流石に通知が凄い事に為っている訳だ、と感心している場合では無い。
「もしもし、齋藤さん。全然出れなくて申訳無かったです」
「随分長かったな、取敢えず逢って話そう。場所は……」
二日続けて同じサンドウィッチ屋に来て仕舞った。断る理由が無かったが、マスターにあっ、と言われた。
「御注文は?」
「私はカフェラテとポテサラで」
「私はホットコーヒーとあんバターを」
「畏まりました」
取締役は見掛けに依らず可愛い物を頼むなと一瞬だけ気が緩んだ。
「其で話なんだが、能力者の一人が死んだ」
顔どころか名前も知らないので余り実感は湧かなかったが、寒気がした。死と云う言葉は恐ろしい。
取締役の話によると、其の能力者は女性だったそうだ。何時から在ったのかは漠然としないが、気付いた時には既に彼女は能力者で有ったらしい。取締役曰く、彼女の能力は"予知夢"だったそうだ。
取締役は私の為に態々説明してくれたが、正直私は然程興味が持てなかった。唯一つ、気になった事が在る。彼女が死んだのは何故だろう? 私が死ぬ予定では無かったのか? 取締役は暫く沈黙していたが、サンドウィッチが運ばれてくると不意に子供の様な目に為り、齧り付いた。私もそうしたかったが、卑しく見られるのが嫌で躊躇してしまった。取締役は一口食べて満足気な顔をし、口を開いた。
「彼女も叉、殺される運命だった」
私は少し驚いた。能力者はそういう運命に在るのか、不安に為った。が、私の殺されるのとは別の理由らしい。
取締役の話に拠れば、其の女性が殺された理由は実に簡単な事で、唯単に嫉妬だった。取締役は勿論、他の能力者も彼女を好いていたのだ。唯一人を除いて。其の人は男性だった様で、殺された女性は取締役と仲が良かったそうだ。其の男は取締役の事を憎んでいた。だが取締役は、能力者の皆から慕われていたし、取締役本人を殺して仕舞うと恐怖を伝えられないと感じて周りの人から順に殺したのだと言う。私の事は未だ其の男に伝わっていなかった様で安堵したが、ならば私は何に依って殺されるのか不安にも為った。
「其なら、私は何に依って死ぬんですか?誰に殺されるんですか!?」
恐怖から語気が強くなり辱めを受けた。取締役は少し困った様な表情をした。
其の後、取締役は用事が有るらしく帰って行った。私は、独り店の中で佇んでいる。帰ってもする事も無いし心に空いた隙間を埋める物が必要だと感じたからだ。
──結局、何も分からず仕舞いか。流石にそろそろ帰らねばならないな。店にも迷惑だし、寝不足は美容の大敵だ。そう思い席を立とうとすると、もう一人の店員から声を掛けられた。
「もうお帰りですか?」
「えぇ、会計御願いします」
「畏まりました。因みに、此処迄は徒歩で御越しですか?」
「いえ、電車ですけど」
すると店員は不敵に笑い、 そうですかと言った。意味深な質問に私は少し怖くなったが、深く考えずに店を後にした。
家に着き、ベッドの上に寝転がるが睡くは為らなかった。其も其の筈、13時間も寝ていたのだから。仕方無く風呂に入ろうと起き上がった時、視界の端に映った物に戦慄する。枕元には先程のサンドウィッチ屋の紙袋が置かれていた。
──あの店員の仕業か! 咄嵯にそう思った。中身は……サンドウィッチだ。だが、恐る恐る開けてみると中には手紙が入っていた。
『貴女へ 誠に有難う御座いました。貴女に逢えて本当に嬉しかったです。本当はもっと一緒に居たかったのですが、残念ながら時間が来てしまいました。ですが安心して下さい。貴女の運命は変わりません。貴女は今日死ぬでしょう。ですが其の死因は貴女にとって良い事です。私は貴方を想っています。』
──何なんだ。どういうことだ? 私はふと、窓の方を見る。カーテンは閉まっているが、隙間からは外の街灯の光が漏れている。部屋が暗いので迚も眩しく煌いていた。
取締役に電話を掛ける。此処迄来ると最早急ぎもしない。
「取締役、此は殺害予告ですか?」
「君から掛けて来るとは珍しいね」
「質問に答えてください」
「すまないね、唯、殺害予告と云う言葉に憶えが無いのでね。だが、貴女に危険が迫っているのは確かだよ。今直ぐ警察にでも……」取締役は言い淀む。
そして、私は理解した。取締役は、直々に私を殺しに来る訳では無いのだと。だが私が今日中に殺される事は確実と言って良いと思う。其が取締役の指示なのか別の人の行動なのかは見当も付かなかった。暫く沈黙が続くが、取締役の声で会話が再開した。私は取締役に説明した。私の身に起きている事を。
一通り話終えると、取締役は少し考えてから言った。私を殺す犯人の目星が着いた、と。私は驚いた。其と同時に怒りも湧いて来た。何故こんな理不尽な目に遭わなくては為らないのだろうか。私が一体何をしたというのだ。だが、そんな事は今はどうだっていい。早く犯人を突き止めなければ、殺されるのを待つだけだ。
私は取締役に頼み込んだ。今から、もう一度店に行っても良いかと。取締役は快く承諾してくれた。
店に着くと、マスター以外に人は見当たらなかったので安心した様で店員の事が気になった。彼は何者なのか。其について取締役に尋ねると、取締役は少し躊躇ってから口を開いた。
彼こそが私の命を狙う男で在り、取締役の命を狙っている男なのだと言う。其を聞いて私は驚き、納得した。
取締役は私を守る為に此の店に来たのだ、と今は思って置いた方が良いかも知れない。勿論、取締役が犯人の可能性は捨て切れないが多角的な視点で物事を捉える事は何に於いても重要だ。
取締役はマスターに話し掛けた後、私を連れて店を出ようとした。その時、私は或る事に気が付いた。
私は慌てて店から出ようとしたが遅かった様だ。扉が開き、男が入って来た。男は目の前の取締役と私に驚いていたが、直ぐに手をポケットに突込んだ。ナイフだと分かった。私は誰が味方で誰が敵なのか判断出来ずに人の居ない隅へ逃げて仕舞った。後に、追詰められたら如何するのか、と思うが其の時は気が気で無かったのだ。横を見ると、マスターは焦った表情で電話をしていたので知らなかった様にも見えた。110番だったら嬉しいのだが。そして主役の二人は睨み合っている。先に動いたのは入ってきた男──例の店員で在った。矢張店員が敵だったのか。
「御前は俺の妹を殺したんだ!」
狭い店内に其の声は響き渡った。ビクッとして仕舞い、視線が向けられて仕舞った。
「まぁ良い、今日狙いに来たのは御前では無い、あの女だ」
刃物を煌かせ、刺す素振を見せた。と其の時、扉が開いた。眩い光が射込む。光に目が慣れると其処には殺された筈の能力者が立っていた。
「マスター、斎藤さん、御待たせ!」
二人の安堵の溜息が聞こえた。
「お兄ちゃん、取締役も彼女も殺しちゃ駄目だよ」
「ば、馬鹿な……」
店員は私と同様、呆気に取られていた。店員と彼女は血縁関係に在るのだろうか。何時の間にか能力者の彼女が私の横に立っている。取締役が彼女に近付き、何かを話している。私にも聞こえる声量だ。私は彼女に質問した。
取締役が説明してくれるらしい。店員──桑原は私に恋をしていたらしい。最初に来店した時に一目惚れした。唯、妹が殺された事を知ると其所では無かった。軈て私が犯人だという事に辿り着き、来店した時にチャンスだと思い殺害予告をしたのだった。取締役も、能力者の彼女が生きていた事を知ったのは私が殺害予告を見た頃だったらしい。事前に教えてくれれば良かったのだが。
そうして、漸く落ち着いた所でマスターが口を開いた。店員が来る前に取締役から電話番号を聞いていたらしく、取締役に感心して仕舞った。
皆、今日は店仕舞いだと言って閉店の準備を始めた。当然の様に、私も手伝わされた。会計の時に、私はマスターに声を掛けた。
「此から宜しくお願いします」
其を聞いたマスターは嬉しそうな顔をしていた。
帰り道に、取締役は能力者に言った。
「此から大変だと思うけど頑張ってね」
私も、今日の事は序章で本当に大変なのはもっと在るのだと思っている。でも、取締役と一緒なら何とかなるのかも知れない。
「因みに、私の能力って何だったんですか?」
「うーん、言おうか迷っていたんだけど此から何が起こるか分からないからな……」
「勿体ぶらずに言ってくださいよ」
「分かったよ、貴女の能力は"死なずの躰"だ」
「へぇ……ってじゃあ私は何で殺害予告にビクビクさせられてたんですか!?」
「赦してくれ、教えなかったのは君の為でも在るんだから」
其処で今日の事件について詳しく話してくれた。私が一度死んだ事、其で桑原が自殺を試みたが失敗に終った事等だ。だから手紙を読んでも変に落着いていたのかも知れない。だが、私は能力者で良かったと思った。
「此からも何かあったら一緒に居てくれますか?」
取締役は微笑んで応えた。
「勿論、貴女が嫌だと言っても傍に居るだろう」
私はニヤニヤして取締役を見詰めた。
「今日初めて貴女の笑顔を見たよ」
其を聞くと、照れて顔が見れなかった。