死んでしまったその後に【詩】
目の前で人が死んだ。
一つの個体を守る為に精一杯、 休む間も無く働いていた身体中の臓器がやっと自由になれると言わんばかりに四方に飛び出していく。
羽根の無い翼を羽ばたかせるように身体が打ち付けられたコンクリートに、 死体の双方に染み渡る血痕の溜まる様は、 人間という生命体にとっては至上に美しい姿でもあるのかもしれない。
こちらとは関係がない他人のことだからどうとでも言える。
関係がないからこそ何の感情も動かない。
いや、 きっと身内が死んでも僕はずっとこうだ。
平和に慣れすぎ、 まとわり付くような暑さでひどくうなだれ死にそうになっている個々の人間が、 ひぐらしの鳴く中で自らトラックと衝突した現状に動揺と好奇の視線が集まった。
反応にしても多種多様。 たちまち目の前で起きた突然の死体の現れに恐怖で甲高い声で叫んでいたり、 面白おかしく電子機器を死体に向けて写真を撮る周りから踵を返し、 僕はぼんやりと帰路に着いた。
死体の頰を歪めていた口角はまるで笑っているかのようだった。
家に帰って身支度をして、 勉強机で高校受験の為に開いた参考書の全く内容の入らない文章を読むふりをしながら、 先ほどの死体を思い出す。
驚いたことに、 自分は死体に対して『可哀想』とも『気持ち悪い』とも思わずただ
「羨ましい」
と、 強く思った。
青春を歌う爽やかな曲を聴いても、 お互いの愛を晒け出して互いに喜び打ち震える漫画を読んでも、 耳にも脳にも情が動くことが無かった僕が初めて動いた感情だった。
何を聞いても何を見ても何の感情も動かないのが当たり前だった僕が、 突き動かされるように働く鼓動の速さに驚く。
自分の感情はいつの間に死んだのか、 それとも誰かに殺されたのか? とまで思っていたのに、 胸を鷲掴みにされたようなこの気持ちはなんなのだろう。
死という人間にとって最大のフィナーレを飾る演目に漠然とした憧れがあるのだろうか。
あの時の歓喜あまった最期を遂げた死体の表情を今でもはっきり覚えている。
僕は、 あんな風に死ぬことが出来るのか。
ぎぎっと音を鳴らしながら椅子の背に重心を向けて反らすと、 何も無い天井に無表情でこちらを見つめられ、 居たたまれなくなって目を瞑った。
自分の人生への主観さえ第三者になりつつある。
時折思い出が集まったアルバムをめくってみても、 その時の思いは一定して『無』だった。
生きている感覚が無くなったのはいつからなのだろうな。
これなら自殺していた人の方が、 よっぽど生き生きしていた。
死んだほうがマシなのかもしれないな、 こんな人生。
どうして自殺は否定されるものなのだ?
自分の人生、 自分が区切りを付けてはいけないのか。
分からない。
僕にはまだ分からないんだ。
死んでしまったその後の僕の感情が、 生きている僕には分からないんだ。