09
「この人が身体回復を使えたら一番早いんだけど…」
他人から回復してもらうと、外側から覆うように再生する。そうすると体内に異物が残りやすい。それに対して、自分自身で回復する場合は、内側から回復していくため異物を排出しやすい。一番良いのはこの人が起きて、身体回復の魔法を使うことなのだが、まだ目覚めるような気配はない。それに、彼が身体回復を使えるかどうかもあやしい。
どうやらこの傷を負ったまま川にでも入ったらしく、血液を大量に失っており、体も冷えきっている。温めるだけならば周囲に火魔法をガンガン焚けばいいが、それだけではだめだ。
「…死なれたら、やっぱり寝覚めが悪いわよね」
関わってしまった。ここで見殺しには、できればしたくない。今彼を助けることによって、将来的にデメリットが発生するとしても、だ。やはり自分に政治を預かることは無理だな、と自嘲しながらルイはアイテムボックスに手を突っ込んだ。
現状で、彼を助ける方法は一つだけある。
ただし、理論上可能ではあることは自分自身の研究で証明しただけのものだ。正直に言って人体実験と変わりないレベル。それでも、無理矢理身体回復の魔法を外側からかけるよりはマシなはずだ。
「おじさん! 頑張って飲んで!」
おじさんの頭の下に自分の膝を入れて上体を起こし、口にむりやりビンを突っ込む。これは、ルイ特製の身体回復が付与されたジュースだ。ちなみに、ガルバというルイの好物のジュースである。独特の酸味と爽快な後味が気に入って飲んでいるものだ。
食べ物・飲み物に付与された魔法は、一定時間ずっと効果を発揮する。それは、身体回復も同じだ。この身体回復の付与の場合はずっと微量ながらも自分で回復し続けているのと同じ効果が得られるはずである。
何故断定した言い方をしないのかといえば、ルイ自身が大きな怪我をしていないので効果を実際に見たことがないからだ。軽く指先を切る程度なら瞬く間に治るというところまでは確認したが、それ以上は怖くて出来なかった。だから、これを飲ませて回復するかどうかは、ある意味で賭けだ。
付与された魔法と、おじさんが負っている傷の深さ、どちらより強いか、ということになる。
「ん、一応飲めたみたいね」
おじさんは何度か噎せつつも、ジュースの大部分をなんとか飲み込んでくれた。これで万一矢に毒が塗られていたとしても、自己修復出来るはずだ。理論上は。
勿論自分で毒薬を飲みながら身体回復の付与ジュースを飲んだことがないのでわからないけれど。
あとはもう祈るくらいしかできない。
「あ、いや、安全地帯作る方がいい、かな?
幸い街は近いから最悪背負って街に行ってもいいけれど…」
気になるのは彼の傷のことだ。
矢傷、ということは誰かと戦った結果負傷したということになる。
川で見つけたことからも、もっと上流から流されてきた可能性が高い。この川を辿っていくと確か大滝があったはずだ。そこまでいくと国境を越えてダンジョン大国ダリアムの領土になる。
「ダンジョンは、たまに変なところに放り出されるらしいのよね。ダンジョンが国境なんて気にしてくれるはずがなくって、年間何人かは不法入国しちゃう人がいたはず…。
それだけならいいんだけど、矢傷は気になるわ」
もし、彼が訳ありなのであれば街に連れて行くのは得策ではない。出奔中の身であるルイ自身も目立つことはしたくない。であれば、この辺りで野営をするのが一番だろう。
そうと決まればサクサクと準備を進める。
一個しかないハンモックは怪我人に譲り、冷えた体を温めるために近くに何カ所か火をおこしておく。ついでに濡れた服は脱がせて乾かす。ほぼ半裸だが、そこは我慢して貰うしかない。一応自分が使っていた毛布をかけておくし、火がそこそこ近いのでこれで寒くは無いはずだ。
街に近いので魔物はそう多くないし、いても強くはない。自分たちの周りを囲う様にトラップを張り巡らせた。トラップ内に自分たち以外の何かが入ると、けたたましい音が鳴るだけの簡単なものだ。ただし、その音は風魔法を付与したオモチャの笑い袋だ。風魔法のお陰で遠くまで笑い声が響き渡るという迷惑極まりないシロモノである。以前うっかり作ったときには頭を抱えたが、トラップにはうってつけだろうと思って一応持ってきた。普段はぺしゃんこなのであまり場所をとらなかったという理由も一応ある。
「作ったときには頭抱えたけど、何事も使いようよね」
けたたましい笑い声が聞こえて更に奥へと進む人間はそう多くない。魔物であれば向ってくるかもしれないが、多少でも知性があればやはり逃げるだろう。
そして自分たちはその音が聞こえたら街までダッシュすればいい、という寸法だ。
「……魔法効いたかしら?」
粗方野営の準備が整ったところで気になるのはおじさんの容態だ。
気になってハンモックの方へ行く。
(…そういえば、色々夢中だったから忘れていたけど、私ってば人様の服ひんむいたのよね…。まぁ、もう誰かに嫁ぐ気はさらさらないのでいいんですけれど…。
でもやっぱり、はしたなかったかしら…)
ちゃんとした冒険者であればもっとスマートな方法があったのかもしれないが、旅初心者のルイには難しい。そもそも、ルイは冒険者になる気はないのだし。
そんなことを考えながら、おじさんの観察をする。
この国には珍しい黒い髪。無精髭でだらしない印象を受けるが、殿方の中には剃っても剃ってもどうしようもないという人がいるとは聞いたことがある。おじさんが本当にだらしない人物なのかはわからない。持ち物はひんむいた時に確認したがほぼナシ。腰に巻いていたベルトが妙に重かった気がするので、そこに虎の子でも隠しているのではないだろうか。
「ん…」
「!?」
やることもないのでぼんやり観察していると、おじさんが気付いたようだ。
「…生きてる、のか?」
「そのようですね。良かったです」
「君は…っ!?」
そこに浮かんだ表情をルイは見逃さない。彼が浮かべた表情は"驚き"だ。しかもタイミング的には、自分が生きていることに驚いたのでは無く、ルイの方を見て驚いた。もしかしたら、ルイの顔を知っている人なのかも知れないと警戒する。
「もしかして、女の子か!?
何してるんだこんなところで!」
(…一発でバレますのね。まぁ、髪を帽子に隠しただけですしそんなものでしょうか。
本当に私が女の子だと驚いたのかどうかはまだわかりませんけど…)
「こんなところで、ということはおじさんは此処がどこだかわかってるんですよね?」
「…もしかして、ダリアムではないのか?」
「ここはジャナンナの端です。国境の街近くですね」
「あー…なるほど。めんどくさいことになったなぁ」
「…矢傷で訳ありかと思ったので今日は野営のつもりでした。
傷の具合はどうですか?」
見たところ痺れもなさそうだし、顔色も悪くない。思わぬところで人体実験をしてしまったが、付与ジュースはなかなか良い働きをしてくれているようだ。
自分の立てた理論が正しかったコトに内心で大喜びするルイ。だが、貴族として生きてきた経験からそれを表に出すようなことはしなかった。おじさんからは、無表情な女として見えていることだろう。
「もしかして君は回復術士か? すまない。治療費はあとで借金してでも返すよ。
冒険者カードは肌身離さず…あ、あれ!?」
「濡れた服は体を冷やすので申し訳ないですが脱がせました。
何もとってはいませんよ。あとで確認してください」
とりあえず、人命を救助できた上に、攻撃的な人では無かったことにルイはひっそり胸を撫で下ろした。
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