08
アリエンティオ王子の廃嫡が決まった頃、あちら側は追っ手を出すどころではないと知らないルイは大いに悩んでいた。
今晩、宿に泊まるか否か。
身体強化魔法と魔力をフル活用した野営を駆使して、馬も使わず走り続けること数日。環境の整った学園生活であればここまで疲労はしなかったが、今は命の危険すらあるサバイバル中である。疲労もピークに達するかというところで、やっと目的地である国境の街カランが視界に入った。
とはいえ、まだまだ遠い。
(体の汚れとか、疲労とか、ピークではある。できるなら宿に泊まりたいわ…。
でも、追っ手がいないとも限らない。国境を越えてしまえば流石に手出しは出来ないだろうけれど、出入国審査の機関に連絡が入っている場合があるわ…。
そもそも、国境は越えたことがないからどのくらい時間がかかるのかわからないのよね)
理想としてはすぐにでも国境を越えてダンジョン大国ダリアム側で宿をとることだ。
しかしながら今の時間帯は昼過ぎ。ここから全速力で走ったとしてもカランの街に到着するのは夕方になるだろう。
出入国審査にどのくらいの時間がかかるかわからないが、普通に考えて簡単であるはずがない。長蛇の列に並ぶ覚悟はして置いた方がいいだろう。
商業ギルドに所属しているとはいえ、学園生活の傍らやっていたものだ。実績もあまり溜まっていないので一般的な出入国審査の方に行かなければならない。そこそこ階級が高ければ審査も簡略化されるらしいとは聞いている。こうなることがわかっていたら、多少学業を疎かにして商業に本腰を入れたのに。
ともかくも、今日中の出国は恐らく無理だろう。
となれば、どこで夜を明かすか、という問題に行き着く。
本当ならもう安心してベッドで眠りたい。道中で何度か水辺に辿り着いたので水浴びはできた。しかし、いつ襲われるかわからない中のんびりとしているわけにもいかず、ササッとすませてしまった。最低限清潔にはしているとは思うが、やはりのんびりお湯に浸かりたい元貴族心。ついでに言えば、安心して眠ってしまいたい。多少お値段は張る宿に泊まれば流石に追っ手も入っては来られないはずだ。ただし、その場合出入国審査の時に悪目立ちする可能性はある。
どれをとっても一長一短だ。
悩みつつも走る足は止まらない。
走っている間に魔物と遭遇したとしても、身体強化している状態であれば余裕で逃げ切れることがこの期間でわかった。つくづく、真面目に基礎授業から受けていて良かったと思う。どの属性の魔法(水魔法以外)も実戦レベルに育てていたからこそ、今の快適な道中があるのだ。芸は身を助けるとはよく言ったものである。どの魔法が欠けていても今の自分はいない。
例えば視界を塞ぐ藪があったとしても風魔法で切り裂いてたり、飛び越えれば良い。身体魔法は数時間走っても疲れにくい体を保っていてくれているし、火魔法がなければ冷たい水で水浴びをしなければならないところだ。
何より、付与魔法をつけたご飯の効果は高い。
野営の道中とはいえ、食事を疎かにしないことで付与魔法の恩恵を一日中受けることができる。お陰で体力は少しずつ回復し続け、魔法を使うときも少ない魔力ですむ。良いこと尽くめだ。
「…安全を考えて野営かしらね」
確かに、フカフカのベッドで安眠したいし、入浴だってしたい。
けれど、それで命を失ってしまっては元も子もない。
実際問題として、王都の方は廃嫡が決まり追っ手を出すどころの騒ぎではなくなっているのだが、ルイがそれを知る術は残念ながらなかった。
ルイは本当ならばしなくてもいい心配をしながら、野営の算段をつける。
あまりに街に近すぎると魔物と出くわす可能性が減る代わりに、野盗がいる恐れがあった。野盗は街の外で住んでいるとは言え、物資は街で補給する。そうなると根城は街にほど近い場所になることが多い。
気配遮断を付与した布は魔物には有効だが、人間相手に有効かは試したことがないので定かではない。物騒護身アクセサリーは持っているが、相手が多勢であれば無事に脱走するのは難しいだろう。常に相手が自分より強い想定でなければ、万が一があったときに対応できなくなる。
この魔法大国で野盗になるような人間は、魔法が使えず食うに困ったタイプがほとんどだ。稀に魔法が得意なタイプもいるが、そういう場合でも国のエリートが集う学園でトップをひた走ってきたルイーゼには及ばない。魔法使いというと直接攻撃に弱いイメージがあるが、ルイーゼの場合は身体強化の魔法も真面目に学んできたため、攻撃は不得意でも逃げることに集中すれば無傷での逃走は十分可能だ。
が、念には念を、ということだ。
「時間もあることだし、久しぶりに料理でもしようかしら。
確か近くに川があったはず…お魚料理も悪くないわ」
カランの街へ行く方向から少しズレて、記憶を頼りに川があるはずの方向へ向う。
学園で得た知識はこんなところでも活躍してくれるようだ。
暫く歩くと予想通り、川のせせらぎが聞こえてくる。
「っ…!?」
と、同時に、何者かの気配を感じた。
川の近く。こちらに近づいてくるような感じはしない。だが、耳をすますと、今にも途切れそうなか細い息づかいが聞こえた。
(…手負い、かしら?)
いつでも逃げられるよう警戒しながらも、その気配の元を探る。
コロコロとした角のとれた丸い石が縁取る川べりに、ボロぞうきんの様な布キレがあるのが目に入った。
「…っ!?」
大自然の中で明らかに不自然な形で置かれている布。最悪の事態を予想して駆け寄る。
例えば、捨てられた子供だとか。
自分の命を最優先に考えるのであれば、これは軽率な行動だっただろう。
リアリズ王との会話であれば、そういった模範解答を出していただろう。自分の命が大事であれば、王族に連なる者として背負う命の重みがわかっていれば、ここでは見捨てるのが正解だ。しかし、ルイはそれが出来なかった。いや、しなかった。
もう、ルイは王族に連なる予定のルイーゼではない。商人のルイなのだ。
「人…だわ」
そこに倒れていたのは、30代と思わしき男性だった。川に流されてきたのか全身はずぶ濡れでうつ伏せ状態で倒れている。
咄嗟に身体回復の魔法をかけるために全身をチェックする。すると、下になっていた方、お腹側から流血を確認した。石が血染めになっている。
身体魔法を他人にかけるのにはそれなりの制約があった。他人の体を再生するのだから当然のことだろう。まず第一に、傷口のチェック。範囲や深さ、武器の破片がないかなどだ。
そして重要なのが、治すのに適切な量の魔力を流すことだ。魔力の量が多すぎると、相手に過剰な魔力が流れることになり苦痛を与えてしまうことになる。しかし、少なすぎても傷口部分をジクジクといじり回すような不快感を与えてしまう。所謂回復術士というのは、適切な魔力量の見極めのプロでもあるのだ。
プロとは名乗る気もないが、少なくともルイもそれくらいの芸当は出来る。
傷口を確認するために濡れた衣を手早く脱がす。濡れて肌にひっついてめんどくさかったので一部は風魔法で切り裂いた。
「傷は腹部、あちこちにも擦り傷はあるけれどこっちはほっといていいわね。
…これは、矢で受けた傷かしら?」
矢じりが体内に残っているまま傷口を回復させるとかなり面倒だ。後からもう一度切り開いて取り除くか、違和感を覚えながらもそのままにしておくかの二択になってしまう。それに矢の場合は毒の心配もある。
「…ちょっとこれは、機材も何も無いままやるのは無謀だわ」
病院や神殿など、怪我人の治療を専門とする機関であれば毒を調べる専門の魔道具がある。しかしながら、ここにそんなものが存在するはずもない。
男性の呼吸は徐々に遅くなり、一刻を争う事態であることは明白だった。
閲覧ありがとうございます。
明日も12時更新予定です。よろしくお願いします。