07
一方その頃の王都では。
王宮の一室にて「やってやったぜ」と言わんばかりの顔をした球体…もといアリエンティオ王子とその母親アリエーヌ王妃がいた。アリエーヌ王妃の方は少しばかり複雑な顔をしている。それもそうだろう。彼女はこれでも他の有力貴族から嫁いで来た身だ。リアリズ王に惚れ込み、数多の女達を蹴落としてこの座についている。つまり、それなりに情勢は読める人物だ。
故に、アリエンティオ王子がやらかしたことは、彼の首を絞めるのではないかと危惧している。
アリエーヌ王妃にとっては気に食わない女だが、ルイーゼはリアリズ王のお気に入りだ。また、認めたくはないものの、政治手腕においては最愛の夫に引けをとらないくらいに成長するだろうことはわかっている。故に、ルイーゼはアリエンティオ王子が玉座につくためには必要な女だった。
それは事実ではあるが、アリエーヌ王妃にとってルイーゼはどうしても気に食わない相手であった。
自分の夫と、自分以上に親しく見えるのだ。
リアリズ王は現実主義者で、必要がなければ王妃であるアリエーヌであっても会って話をすることは稀だ。そういうところもアリエーヌにとっては堪らなく魅力的に思えた。
(あぁ、もう本当に…なぜあの小娘なのか…)
何が夫の琴線に触れたのかは知らない。ただ、王はたまにルイーゼを呼びつけては様々な会話をしていた。その内容は多岐に渡る。他人を蹴落とす術については一流だが、そういった話となるとアリエーヌはついて行けなかった。特に、政治的判断は情に流されてはいけない場面が多い。今まで他人の情に訴えて今の地位についたアリエーヌはその辺りを旨く切り離せないでいた。そのせいで、リアリズ王とそういった会話が弾んだためしがない。
息子のアリエンティオ王子は、更にその反応が顕著だった。
彼は魔法大国の王子に相応しく、全ての種類の魔法に適性がある。しかしながら、王としての素質があるかと質問されると、親のひいき目を大いに加算したとしても疑問が残るとしか答えられない。いや、はっきり言えば無理だろう。
魔法の才だけを見れば、確かに魔法大国ジャナンナに相応しいと言える。魔法大国の象徴とも言える人物が魔法が下手くそでは話にならないからだ。けれど、王の仕事はそれだけではない。むしろ、魔法以外のことに追われて魔力が衰えていく傾向がある。
「母上?」
ふくふくと太った愛らしい顔を、怪訝そうに歪めるアリエンティオ王子。
王に見向きもされない自分と息子を重ねたせいか、随分と甘やかしたように思う。将来の王妃である相手にも大分辛くあたったことは確かだ。
その結果が今ここにある。
ルイーゼを嫌うアリエーヌの意を汲んで、この素直な息子は愚直にも公衆の面前で婚約破棄を言い渡した。しかも、あの場は無事に試験を通過した言わばお祝いの場所である。それを台無しにした、と見られても仕方が無いことだ。
いつの間にか、あてつけのように大事に可愛がったことが息子の身を滅ぼし始めた。
希有な魔法の才を褒めた。いつしか、自分以外の人間を貶すようになった。
高貴な生まれだからと甘やかした。いつしか、努力を疎かにするようになった。
そのままで大丈夫、愛しい我が子と言い聞かせた。いつしか、いずれは王になることすら忘れてしまったように振る舞い始めた。
何をしても褒められると思っていた我が子は、今回もまた褒めて貰えると信じて疑っていないように見えた。それが、アリエーヌには今更恐ろしくて仕方が無い。
「…何故、婚約を破棄したのか理由を父上に言えますか?」
「勿論です、母上。
あの女は水の公爵家に生まれながら水魔法が使えない欠陥品です。
そりゃあ…それ以外は頑張ってはいましたけれどね」
「そう…」
「何より母上があの女をお嫌いじゃあありませんか。私の嫁になるには相応しくありません」
ほんの少しだけ滲む後悔と、それを振り切るような威勢の良さ。
もしかしたら、婚約破棄を突きつけたあとで誰かに何かを言われたのかも知れない。しかしながら、自分は王子だ。間違いなどあるはずもない、と突っぱねたのだろう。
何故か、手に取るようにわかってしまう。
けれど、その返答をリアリズ王にすればどうなるか。それくらいはアリエーヌにも読めた。
どうにかして息子に言い聞かせねばならない、と口を開くより早く、部屋に低い声が響いた。
「なるほど、そういう理由だったか」
「父上!」
どのくらいぶりだろうか。
久しく見る夫の姿だ。アリエーヌにとっては年齢を重ねてなおかっこよいと思える風貌。王としてますます威厳を増した姿は惚れ惚れするようだ。
しかし、今の会話を聞かれたことを思いだしてアリエーヌは青ざめた。
「アリエンティオ」
「はい、父上」
「お前を廃嫡する。新たに研究名誉職を作るので、そこで研究に従事するように」
「へ?」
「…っ! お待ち下さい!」
アリエンティオにとっては寝耳に水の、アリエーヌにとっては恐れていた言葉が双方の耳に入ってくる。慌ててアリエーヌは抗議の声を上げるが、おそらくは自分の弁でこの決定は覆らないことは分かっていた。それでも、我が子の幸せのために声をあげざるを得ない。
「待たぬ」
が、それも一刀両断された。
「…な、何故ですか父上!」
「何故なのかわからぬからだ」
「どういう意味です!?」
「お前は政治に向かん。だが、魔法の才を腐らすには惜しい」
あくまで淡々と、感情を乗せずにリアリズ王は言い放つ。
「何故政治に向かないと決めつけるのですか!」
「お前は、玉座につくためにアリエーヌを殺すことができるか?」
一瞬、時が止まった様な錯覚に陥った。シンと室内に静寂が響く。
破ったのはアリエンティオ王子だった。
「何を…何を馬鹿なことをおっしゃるのです父上!
私が母上を殺すなど…」
「政治とは100を活かすために10を殺す。その10に己や親しきものが入ろうとも、だ。
そうでなくてはこの国の民が路頭に迷う」
「り、理屈はわかりますが、しかし…」
「お前には出来ぬことだろう。しかし、ルイーゼにはその素養があった。ルイーゼがお前を助け、お前がルイーゼに応えるのであればお前が王であっただろう。
しかし、そのルイーゼをお前が手放したのだから仕方があるまい」
「で、ですが…」
「政治に魔法は必要ない」
ピシャリ、と心のよりどころでもある魔法の才をも一刀両断され、アリエンティオ王子は二の句が継げない。
「…我が息子ながら、全くもって阿呆よな。
これは私も悪いか。教育に全く興味が持てなかった。しかし、次代のことを考えれば真っ先に着手すべきだった」
リアリズ王は大きくため息を吐いた。
「では…跡継ぎはどうしますの…?」
カラカラになった喉がら、アリエーヌはどうにかその言葉だけを引っ張り出した。
「有力候補は私の従兄弟だ。
お前が頑張るというのであれば止めないが」
その言葉で、アリエーヌ王妃はどうしようもなく打ちひしがれる。
アリエンティオ王子には、体面を守るための役職を急遽作るという言葉があった。だが、王妃たる自分にはなんの保証もない。ようするに、リアリズ王にとってアリエーヌ王妃はもはや不要であると言われたも同義だった。
「母上…?」
まるまると太った愛しいはずの息子の声が、何処か遠くに聞こえたような気がした。
遅くなりました!!!申し訳ないです!!
年度末しんどいですね…