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唐突に現れた、異常な気配。
理解が及ばない事態に、体が凍りつく。
けれど、目を逸らすことができなかったのは、目の前で異常な魔力が練られていたから。魔法を研究する者の悲しいサガだ。異常な環境、異常な魔力、それを見逃すことはルイにはできなかった。
クラーラの言葉を思い出す。
ダンジョン研究家の中では「ダンジョンは生き物である」というのが定説になっているようだ、と。
ルイもそれを今実感していた。目の前で練られるこの異常な魔力の操り手、それがダンジョンという生き物なのだと確信する。
そして練られた魔力が徐々に形を露にしていった。
半分が獅子、半分がそれを模した鋼鉄。硬質なのにヌメリとした質感を持って、今にもこちらを絞め殺しそうな蛇に似た金属の触手。胴の部分も金属に覆われ、何の動物を模しているかなどわからない。けれど、そういった魔物がいることは知識として知っていた。
「キマイラ…?」
それはダンジョンの奥深く、もしくは人里離れた秘境で顕現する恐ろしい魔物。ひとたび人間を見れば、食らう訳でもなく惨殺する。Aランク冒険者であっても一人で対峙するのは無謀と言われる化け物。
そのキマイラに似て非なる何かが、ルイたちの目の前に現れた。
「ルイ、呆けるな!
逃げるぞ!!」
禍々しい魔力で練られた怪物に、どのくらいの時間気をとられていたのだろうか。
聞いたことのない位に切羽詰まったウィリアムの声で、ルイはやっと意識を戻す。同時に、このままでは死ぬという恐怖が全身を支配した。
「あ、あ…」
体が強張ってうまく動くことができない。
呼吸の仕方も、指先の動かし方も思い出せない。
ただ、か細い悲鳴をあげるだけのルイの様子に気づいたウィリアムが、舌打ちをしながら機械仕掛けのキマイラの前に出る。
振り上げられた前足。阻むためにふるわれた剣。金属と金属がぶつかり合う重い音が響いた。
「ぐっ…かってぇ」
ウィリアムはAランク冒険者だ。Aランクになるにはそれなりの経験や実力がなければなることはできない。そんなAランク冒険者に必須の能力の一つに、相手の実力を正確に推し量ることができるというものがある。
これはスキルとして表示されることはなく、認知されることは少ない。けれども一定以上のレベルの冒険者には備わっている能力だ。そうでなければ、ここまで生き残っているはずがないのだから。
そんなウィリアムの能力が告げている。
この機械仕掛けのキマイラには絶対に勝てない、と。
「ルイ、立て!
逃げるんだ!」
今受けた一撃でもわかる。力比べをしたらまず勝てない。
もしかしたら、通常のキマイラであれば希望はあったかもしれない。剣が通る生身の部分が多いからだ。
しかし、この機械仕掛けのキマイラはほとんどが鋼鉄で覆われていた。生身の部分といえば獅子の顔の半分程度。斜め上半分も鋼鉄なので、片目が見えているかは怪しいが、そこは勝機には繋がりそうもない。
鋼鉄を纏っている重さの分、一撃がかなり重い。
下手に受ければこちらの剣が折られる。
ウィリアムとの相性が悪すぎた。
「なんで、こんな…」
ウィリアムの声が届いたのか、ルイがもたもたと立ち上がる気配がする。しかし、この魔物の発する気にあてられたせいか、まだ完全に正気とは思えなかった。呆然としながら現実逃避をするかのように分析している。
彼女の問いの答えは決まっている。
スタンピードの前兆だ。
ウィリアムは以前、似たようなことを経験している。魔物の間引きを怠ったダンジョンはスタンピードを起こす。
だが、それにも段階があるのだ。
まずは魔物がダンジョン内でひしめき合う。先程までは、ここもその段階だと高を括っていた。魔法が得意なルイと二人で低層の魔物を退治して応急処置を施し、ギルドに報告して本格的に退治をすればまだ間に合う、と。
だが実際は違った。このダンジョンはもう末期に近かったのだ。
間引きが間に合わないと、ダンジョンの魔物が下層から溢れてくる。低層階に似つかわしくないような強い魔物が現れるのだ。
ちょうど、今のように。
だが、それをのんびり説明している暇はない。
幸い今溢れてきたのはこの機械仕掛けのキマイラだけ。急いでダンジョンから脱出すればまだ生き残れる。これ以上増えればどうなるかはわからないけれど。
なんとしてでも生き残ってギルドに報告しなければならないことだけは確かなのだ。
「しっかりしろ! 逃げるぞ!」
残り少なくなっている魔力を振り絞り、唯一の生身である部分に小さな火球をぶつける。
先程までかなり魔力を使っていたせいで、ゆるく頭痛がはじまった。魔力切れが近い。
機械仕掛けのキマイラは突然の火に驚いたのか攻撃が一瞬だけ緩んだ。その隙に、ルイの腕を掴んでダンジョンの入り口へと走り出す。
「っ!? はい!」
やっと正気を取り戻したのか、ルイは自力で走り出してくれた。
それを見届けてから、ウィリアムはアイテムボックスを探る。目当てはルイ特性の魔力回復付与が施された飲料だ。魔力切れの体調不良のせいで逃げ切れないという事態は避けたいところである。
が、唐突に機械仕掛けのキマイラが吠えた。
何をするつもりだ、と警戒するよりも早くその咆哮がウィリアムとルイを捕らえる。
バチバチと音を立てて、雷撃が走った。
ウィリアムがすんでのところでルイの手を引く。しかし、雷撃はそのささやかな抵抗を嘲笑うように二人を貫いた。
痛みとも熱ともとれる衝撃。
「ぐっ、くそっ…痺れて…」
「っ……!!」
雷攻撃により、機械仕掛けのキマイラの獲物は地に倒れ伏した。あとは狩るだけだ。機械仕掛けのキマイラは、そんな勝者の余裕を見せつけながらゆっくりと近づいてくる。
もはや餌になるだけ。
ころり、と魔力付与された飲料が転がる。今さらウィリアムの疲労感が消えたところで、どうにかなるはずもない。
それでも、生きるために知恵を絞る。
(何か、何かないのか!)
「ウィリアムさん」
地面が沈むほどの重量がある機械仕掛けのキマイラが、ズシンズシンと音を立てながら近づいてくる。そんな中、か細いルイの声が聞こえた。
諦めたわけではない、冷静で落ち着いた声だった。
「なんだ」
「動けますか?」
「動くだけなら、な。だが戦ったり、君を連れて逃げることは無理そうだ」
剣をとることだけならできるだろう。けれど、あの重い一撃を受け止めることは到底不可能だ。そんな状況で、ルイを抱えて逃げることはさらに難しい。
「君を置いて逃げるのも却下だからな」
先に言っておく。
師匠は、弟子を守るものだ。こんな状況に追い込んでおいてどの口が、と言われそうだが、それでもだ。置いて逃げるなど論外である。
「置いて逃げるくらいには、動ける、と。
私は、動けなさそう、です。でも…魔法なら」
先程の一撃で体の内部に深刻なダメージがあったのだろうか。ルイはピクリとも動けないでいるようだ。ただの攻撃であれば身体回復で治るだろう。しかし、雷攻撃による痺れは時間経過で抜くしかない。
逆に、時間稼ぎさえできれば彼女の魔法ならあるいは…。
「そこに、私の付与魔力を感じます…ありますよね?」
「あ、あぁ」
「なげられ、ますか?」
地面に転がる飲料。
彼女の問いかけから、真意を悟った。
起死回生の一手があるとすればこれしかない。
ズシンズシンと音を立てて近寄ってくる機械仕掛けのキマイラ。満身創痍で抵抗すらできないという体を装いながら、ウィリアムはチャンスを待った。
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