04
顔面を水浸しにされて、ルイーゼが最初に思ったことは羨望だった。
(…いいなぁ。水魔法さえあれば私は…)
公爵家でこんな扱いを受けることもなかった。
きっと家族に愛された。
成績は常に優秀なのにも関わらず、不当な評価をうけることもなかった。
色々と思うところはある。
なによりも。
(水魔法さえ使えれば魔法全属性コンプリートなのよ!?
それが付与魔法にどれだけ有利かわかる!?
ちょっとでも使えればこれからの長旅中にもお風呂入り放題なのに!!)
魔法大国で生まれ育ったルイーゼは、やはりというべきかなんというか。
魔法オタクと言って差し支えなかった。どちらかというと、コンプリートを重視したタイプのオタクである。
そのオタクぶりは学業にまで及んでおり、現時点で学ぶことができる単位は全て取得した。ただし、水魔法が必須といわれるものは優をとれず可だったけれど。
大概のことは努力でなんとかしてきたし、できたという実績がある。勉学しかり、家の仕事しかり。学べば何だって人並み以上にこなしてきたルイーゼにとって、唯一努力で手にできなかった水魔法は羨望の的だった。
(ほんの少しで良い、水をちょろっと出す程度でもいいのに!
そうすればあとは付与魔法で文字通り水増し出来るんだけどなぁ)
例えば、レベル1の水魔法使いが、水魔法レベル1を付与したアクセサリーを装備する。すると、その人物はレベル2の水魔法が使えるようになる、という寸法だ。
もっとも、正確なレベルを見定めるには鑑定魔法というものが必要になる。鑑定魔法は全属性適性持ちよりも更に稀有な才能だといわれていた。そのため、滅多にお目にかかることはできない。大体は国お抱えの役職につき、高貴な人間の魔法を見定める高給取りになる。大体の人間は自分の適性やレベルを知らないまま、感覚で自分を育てていくのだ。
ただし、ルイーゼのような高位貴族であれば、幼い頃に鑑定を受けることもある。その結果、ルイーゼはこういう扱いになったのだけれど。
(鑑定魔法はレアだし、鑑定魔法を使える人は私を鑑定してくれた人しか知らないから、まぁコンプできないのは残念だけど仕方がないわ。
でも水魔法…水魔法は諦めきれないの…)
王国お抱えの鑑定魔法持ちがいうには、ルイーゼの水魔法素質は「半生を費やして使えるようになるかどうか」というものだった。
一応、絶対に無理とは言われていない。
言われてはいないが、これ以上低い評価を聞いたことがないのも事実。
それでも諦めきれないのは、ルイーゼには付与魔法があるからだ。
どんなに才能がなくても、少しでも使えれば付与魔法で底上げができる。
もちろん、無限にできるわけではない。付与魔法にも様々な制約がある。この辺りは魔法大国の専門の研究者たちが熱心に研究している分野だ。
わかっている範囲でいうと、例えば水魔法レベル1の人間が身に付けられる付与物は本人の適性にもよるが、水魔法レベル6が最大値である、などの制限がある。
他にも付与する際には、自分の付与魔法レベルまでしかできない。どんなに優秀な火魔法の使い手であっても、付与魔法のレベルが1であれば、付与物につく魔法もまた1になる、というようにだ。
もっとも、レベルという概念は鑑定魔法が使える者が少ない現状、正確な値はわからない。
そのせいか、この国では付与魔法の研究はあまり熱心ではない。邪道という派閥まであるくらいだ。
ともかく、ほんの少しでも使えれば付与魔法で底上げができ、人並みになれるはずという希望をルイーゼは捨てていなかった。今日まで、眠る前の水魔法修練を欠かしたことはない。その努力は実を結ぶことはなかったけれど。
「…水魔法に思いを馳せてる場合じゃないわ。
急がなきゃ」
母は去った。
あの様子であれば、ルイーゼが何をしようとも暫くは気にしないだろう。
誰かが知らせに来る前に一刻も早く荷造りをして脱出しなければ。
身体魔法で自身の脚力を強化し、移動速度をあげる。ついでに風魔法で己の身に降りかかった水を吹き飛ばした。
馬車の中でシミュレートした通り、必要なものを手早く詰め込んでいく。
ものの10分もしないうちに、出立の準備は整った。動きやすく、平民男性に見えなくもない服に着替えた。持ち物は、見かけは大きめのリュック一つだけ。目立つ銀髪は帽子の中にまとめて収納した。時間があれば染めて目立たない色に変えたのだが、流石にそんな暇はなかった。
あとは手早くこの屋敷を抜け出すだけだ。忘れ物はない。
未練は…ほんの少しだけ。
「…少し位、意趣返ししてもバチは当たらないわよね」
家のことは早々に諦めた、とは思っている。
それでも、もしかしたらと思うルイーゼも確かに存在した。
いつか、普通の家族としていられるのではないかと。そんな日は、やっぱり来なかったけれども。
「父上は覚えているかしらね」
水魔法の才が全てという母と妹、それから使用人たちはほぼ敵だった。命に関わるようなことはされていないけれど、傷ついたのは事実。
けれど、父は明確に敵ではなかった。
ただ、ずっと無関心だっただけ。研究の方が大事だっただけだ。
しかし、一度だけ、気まぐれで水魔法を教えてくれたことがある。
その思い出はずっとルイーゼの中でひっかかっていた。
「覚えているかしら…?
もし、覚えてたら、これから先少し楽になる…かもですよ」
屋敷の裏手。ここなら魔法が万が一暴発しても構わないと言われた一角。
持って行く物は全て詰め込むことが出来た。本来で在れば、ここにいるべき理由など皆無だ。急いで国境を越えるべきなのに、何故かルイーゼはここにいた。
自分が押しつけられた仕事の書類。それを、この思い出の場所…と言うには些か不適な場所に持ってきたのだ。万が一、父親があの日のことを覚えていれば、そしてここに来れば…。
そんな希望を持ってしまう。
「厳しかったけれど、一生懸命教えてくれたわ」
結局、一滴の水も出ることはなかったけれど。
もし、このことがなければ家全体を心置きなく憎むことができたはずなのに。どうして、父はあの時自分に情けをかけたのだろう。
どうして、才がないと言われた娘に水魔法を教えようとしたのだろう。
徒労に終わるとわかっていたはずなのに。
異質すぎて色あせることなく思い出せる記憶。
そんな場所に、未練と一緒に書類を置いていく。必要な書類や、ルイーゼが苦労して作った書類のテンプレートなど、全て。
「それでは、ガルニエ家の皆様、さようなら」
道草で時間を食ってしまったから、もう振り返る余裕はない。
ちょっと感じる胸の痛みとともに、ルイーゼは駆けだした。
もう、ガルニエ公爵令嬢ルイーゼはいない。
ここから先は、ただのルイーゼ。いや、商業ギルド所属の商人、ルイとして自分の人生を生きるのだ。
「まずは、ダンジョン大国ダリアムとの国境、カランの街へ」
ルイは振り返らない。
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