対峙に向けて
「さて助手くん。これから何箇所かに立ち寄ることになる」
日が登り始め、まだ若干の肌寒さを残す時分。フィーネとアリーシャは家並みの中を歩いている。
オネとの集落周りを終え、既に一晩が過ぎていた。
二人はサマクらの家に宿泊し、朝食も頂いた後に外出を申し出た。
当然のように快く承諾され、現在に至る。
宿泊の際に提供された、厚く駱駝色に仕立てられた衣服を身につけている訳だが、どうやら夜の寒さ、日中の暑さに対応しているらしい。現在の彼女たちは大分快適そうに見える。
「立ち寄る……てどこに行くの?」
「先日彼らと話していて気になることがあったからな。まあ、確認のようなものさ」
迷うことなく歩き続けるアリーシャに、フィーネは首を傾げながらも着いていく。
二人が最初に訪れたのは光り輝く大きな湖。早朝であり、太陽がまだ低いせいなのか昨日と比べると若干見劣りしてしまう。
「助手くん、あの喬木から葉を二十枚ほど剥いだきてくれ。無論、生命に影響を与えない程度に、数本の木から数枚ずつだ」
「私は助手じゃないんだけど……きょうぼく……?」
フィーネは首を傾げながらも、湖周辺の木々から大きな葉っぱをかき集める。
アリーシャは別途、棘のついた奇妙な形の草から種のようなものを取り抜いていく。
「アリーは何やってるの?」
「ああ、常葉とやらの実が必要になるかも知れんからな。出来る限り集めているんだ」
「ときわ……?」
フィーネが首を傾げながら、アリーシャが実を摘む草に視線を落とす。
「それって、あの湖にあった花?」
「よく覚えているじゃないか。君のいう通り、これは食虫植物の常葉といい、その葉は生物に反応し、その実は悪臭を放つと聞いた」
フィーネが感心するように聞き入ると、アリーシャが更に続けた。
「植物のくせに能動的に進化した結果というやつだな。実の悪臭を一度嗅いでみるのも面白いな」
「嫌……臭いってわかってて嗅ぎたくないよ」
「そうか……残念なことだ」
口で言うほど残念な様子も見せず、アリーシャが立ち上がる。
「こんなところだろう。次の目的地へと移動しよう」
「次?」
※
二人が次に訪れたのは、昨日最後の訪問先である飼養場。
到着するなり、アリーシャ一人で交渉に向かったため、フィーネは相変わらず動物たちを眺めながら待つこととなった。
「……私、何のために来たのかなぁ」
地面に生える雑草を咀嚼する駱駝の様子を眺めているその姿は、どこか哀愁を漂わせているようだ。
「待たせたな助手くん」
「アリーおかえりなさ──」
アリーシャの声に振り返るフィーネが絶句する。その原因はアリーシャが両手で抱える大量の羽根によるものだろう。
「流石に貰い過ぎたかも知れんな。まあ、多くて困ることはないだろう」
呟きながらアリーシャが両手を離すと、数枚の大きな羽根が宙を舞う。地面に真っ直ぐ落ちた羽根たちも羽先は空に向いていた。
「これ、あの鳥の……?」
「ああ、驀進鳥と言うらしくてな、走ることには長けているが、飛ぶことはできないらしい。そのくせ風切羽は発達しているという。不思議な進化を遂げた彼らは興味深く、そして都合がいい」
アリーシャが意気揚々と説明すると、フィーネが訝しむ。
「まさか、今羽を毟ってきたとか……」
「感心したぞ助手くん。まさか君がそんな背徳的な思考を持てるとは、露程も考えなかった」
アリーシャの返しに、フィーネは顔を赤くして俯いてしまう。
「別に君を軽蔑した訳ではない。君がそんな考え方をできることに甚く驚いただけのことだ。現状であればそう考えて然るべきだろう」
アリーシャの弁明はむしろ、彼女をさらに貶めた訳だが、アリーシャが知る由はないだろう。
「驀進鳥の羽根は何かと使途があるらしくてな、貯蔵している一部を貰い受けたと言うだけのことだ」
「そう……よかった」
得意げに話すアリーシャとは対照的に、フィーネは意気消沈気味に地面に落とされた羽根たちを拾い集め始めた。
「さて、次で最後だな」
「次はどこに?」
フィーネの問いに、意味ありげな笑みで彼女を見つめるアリーシャが口を開くことはなく、飼養場を後にした。
※
「ここって……」
二人が最後に訪れた家の外壁には、独特な雰囲気の布が提げられている。
「伝統工芸とやらも気になってはいたがなるほど、確かに意匠の施された反物のようだ。いかんせん、私は審美眼を持ち合わせていないのが残念で仕方ない」
「ここでも何か貰うの?」
意外と淡白なフィーネは、アリーシャの感嘆の言葉など眼中にも無い様子だ。当の本人は彼女の態度を気にした風もなく微笑み返した。
「いや、今回は別件だ。彼の御老体は、集落で利用する農具などにも手掛けていると聞いてな。あるいはその工房を借りれないかと思っている」
「何か作るの?」
「なに、簡単なものさ。尽喰とやらに接触する上で必要になりそうなものを少々用意しようと思っただけだ」
懐疑的なフィーネをよそに、アリーシャは無遠慮に家の中へと入っていった。
相変わらずの臭気にフィーネは顔をしかめるが、アリーシャはその素振りすら見せることはない。
「おや、君は昨日オネ様に連れられていたお嬢さんかね」
すでに帳場に姿を見せている老年の男性がフィーネに優しく微笑みかけてくる。
「はい、昨日はごめんなさい」
「もう既に顔見知りとは、助手くんの行動力には感服する他ないな」
アリーシャの軽口にフィーネがため息を漏らすが、アリーシャは気にした風もなく男に向き直った。
「さて、彼女と見知っているのであれば話が早い。是非工房を借りたいのだが、それについて貴方の意見を聞きたい」
「構わないよ。君のような別嬪の女性に利用してもらえるなら感無量と言うものだからね」
「全く、口の達者な御老体だな。ならば、遠慮なく使わせてもらうとしよう」
アリーシャは小さく微笑み、フィーネに視線を向ける。
「君はどうする?」
「私は待ってるよ。アリーの作業見ててもよくわかんないし」
フィーネの呆れたような返事に、アリーシャは気にした風でもなく、相槌を返すとそのまま老年の男と共に奥方へと消えていく。
「……私、何のために来たの?」
本日何度目かのフィーネの呟きは、溜め息と共に虚空に溶け込んだ。