集落の人々
オネ、フィーネの二人はサマクらの家を出立すると、迷路に等しいその家並みを迷いなく歩き続けていた。
この集落で育った人間であれば、オネ程に幼くともこの迷路で迷うことはないようだ。
「はいっ! ここは私たちの自慢の伝統工芸、版染めのおうちだよ!」
「なんか綺麗な模様だぁ」
オネが両手を広げて見せるその後ろの外壁には、独特の雰囲気で染められた布が数枚かけられていた。
赤や黄色などの暖色を基調としたものが多く、不思議な雰囲気を持つ絵柄は、どこか心惹かれる印象を持っている。
オネに誘導され家の中に入ると、フィーネはわずかに顔をしかめた。染料独特の嗅覚に刺さる臭いのためだろう。
部屋の中には、いくらかの反物が飾られている。
「やあオネ様。相変わらず毎日のように……よく飽きませんなぁ」
家の奥、おそらく作業場らしき部屋から一人の老年程の男が姿を見せた。
オネはその男に両手を広げて満面の笑みを見せる。
「だって、ここの布ぜーんぶ、大好きなんだもん!」
「ああ、知っているとも」
落ち着いた様子の彼の声は嬉々としているように聞こえた。オネの言葉が嬉しかったのだろう。
「今このお姉さんにみんなを紹介してるの! 今日は忙しいからまたくるね! いこ、お姉さん!」
「え、もう? 何も見てないよ!」
「時間なんてあっという間だよ!」
自由奔放な彼女にフィーネが翻弄される。
「あ、そういうことみたいだから、さようなら! 失礼しました!」
オネに手を引っ張られながらも、律儀に老年の男に手を振り挨拶をする。
そんな彼女への男の微笑みには、わずかな哀れみの様子が含まれているように感じた。
※
「わぁ……賑やかなところだね」
「ここには色んなお店があるんだよ!」
オネに連れられ、次にフィーネが訪れたのは、所謂市場のような場所だった。
先ほどの反物屋にあったような模様を施された布を屋根代わりに垂らし、陳列棚には多種多様な工芸品らしき道具類が置かれている。
当然、野菜や果物などが陳列された店もあり、おそらくこの集落の生活の基盤となる場所だろう。
「あらオネちゃんじゃないかい? 今日はお買い物?」
お淑やかな声でオネに話しかけるのは、壮年と思しき女性。柔らかく微笑むその顔は彼女の性格を物語っているようだ。
「ううん、このお姉さんに色んなところ教えてるの!」
「あらぁ、可愛らしい案内人さんだこと。お客さんも見目のいいお嬢さんみたいだし……眼福だねぇ」
壮年の女性は、何かを思いついたように陳列棚から赤い果物を二つ取り上げ、オネとフィーネに手渡した。
「それは来禽て名前の果物でね、酸っぱいくせに甘さもあって、癖になるんだよ。あげるから食べてご覧なさいな」
フィーネが来禽を眺め、オネに視線を向けると既に来禽に齧り付いていた。
彼女の視線に気づき「ごらんなさいな!」と齧った来禽を見せてくるオネの笑顔に、フィーネも笑顔で返して齧り付く。
「──おいしっ」
口を突いて出てきた自分の言葉に驚き、すぐに口を抑えて俯いた。上目遣いで壮年の女性を見やる彼女の頬が、来禽のように赤くなっている。
「いい反応だねっ! 来禽食べて口を赤くするのは見たことあるけど、頬まで赤くするのは見たことないよ!」
女性の言葉に、さらにその頬を赤く染めるフィーネを見て、オネが面白がっている。
そんな二人を優しく眺めていた女性が、来禽をさらにいくつか袋に詰め始めていた。
「気に入ったから持っていきな。また来てくれるの待ってるからね!」
「よかったね、お姉さん!」
オネの笑顔と女性からの来禽を受け取り、自分の頬に浮かんだ来禽を隠すかのように俯き、上目遣いで女性に視線を向ける。
「あ、ありがとうございます……」
消え入るような声で謝辞を返すと、それ以上彼女の口が動くことはなかった。
「はいっ! 次行くよお姉さん!」
「へ? あ、うん──」
オネの勢いは収まることを知らない。壮年の女性の温かい送迎の視線を受けながら、市場を後にした。
※
「ここって──」
「私たちのせいめいせん? 光り輝く水溜り!」
オネの案内で次に訪れたのは、集落中央付近に壮観たる佇まいで存在している湖。
周囲を囲むように生息する植物たちの様子も含め、フィーネたちの訪れた湖を彷彿とさせた。
オネの表現通り、日の光を浴びた湖は光を反射して、輝いているようにすら見える。
「なんかすごい見覚えあるんだけど……こういうところって、何個もあるの?」
「私は知らないけど、砂漠の中には何個かある、て聞いたことあるよ」
「さばく?」
フィーネの傾げた首に倣って、オネも首を傾げる。二人とも首を傾げる不思議な構図だが、オネが先に口を開いた。
「砂漠は外に広がってる、大きな砂場のことだよ?」
「ああ、そなんだ。聞いたことなかったから分からなくて……ごめんね」
「へんなのー」
ふと、何かを思い出したかのように突然オネが走り出した。湖の側、大きな葉を広げる喬木の下で止まった。
「ちょっと待っててね!」
「どしたの?」
フィーネが彼女に近づいていくと、オネは突然木に登り出す。
慣れているのか、器用なのかフィーネが驚いているわずかな時間で、すぐに葉のある天辺まで登り切ってしまう。
「オネちゃんすごい! 木登り得意なの?」
嬉しそうに笑顔を見せながら、勢いよく降りてくる彼女の手には小さな木ノ実のようなものが握られていた。
「いつも登ってよく怒られてるからね!」
「怒られてるんだ……」
全く反省の色が見られないオネの笑顔にフィーネが戸惑っていると、「これ」と手に持っていた木ノ実を渡してきた。
「これは?」
「木ノ実だよ。この木は黒椰子っていって、木ノ実がすごく美味しいの!」
「へぇー」
フィーネは手渡された木ノ実に視線を落とす。
赤黒い皮を被り、多くの皺に包まれているその外見は、決して食指に触れるようなものではないだろう。
それでも目の前の幼い少女が、満面の笑みで美味しそうに食べている姿を見たのであれば、興味を唆られて当然といえる。
恐々としながらも、フィーネはその木ノ実を口に運んだ。
「──! 美味しい! すごい甘く感じるのに全然しつこさがないし、その上一粒でも満足感が──」
微笑むオネの視線に気づき、フィーネはまた、その口を塞いだ。そのまま朱色に染まる顔全体を両手で覆う。
「お姉さん、かわいい!」
フィーネの様子に元気よく抱きつく彼女に、耳の先まで赤くしていく。
「もう、何も食べないぃっ」
余程恥ずかしかったのだろう。彼女の絶食発言はオネの笑い声にかき消されていた。
※
日が沈み始め、空がわずかに赤みを帯びてくる。
そんな時分に二人が訪れたのは、集落中央の湖を出て幾らか歩いた位置にある、飼養場に当たるであろう区画。
駱駝や駝鳥のような動物たちが柵の中で飼育されている。
駝鳥の方はシャモとディゼルが砂尾を倒した時に乗っていた鳥のようだ。
「ここは牧場で、いろんな動物がいるんだよ! みんな可愛いし、鳥さんの卵は美味しいよ」
「卵……」
卵を食べる想像でもしていたのか、フィーネはわずかに惚けた表情でいたが、すぐに首を振り自分を制す。
「確かになんかゆっくりしてるの可愛いね!」
「駱乳飲んでみる?」
誤魔化すように早口になるフィーネの心情はよそに、オネは気にした素振りも見せずに尋ねていく。
「らくにゅう?」
「そう! 駱駝のお乳だよ。一度は飲んだ方がいいと思う!」
微笑んで見せるオネの表情は、いつもの彼女の微笑みと比べてどこか、含みのあるように感じる。
「駱駝の……? ちょっと気になるかも……」
駱駝の乳となると、滅多に飲めたものでもないだろう。興味が湧くのは自然なことと言える。
「ちょっと待ってて!」
「元気だなぁ」
飼養場の小屋まで小走りで向かうオネを見ながら、フィーネが感慨に耽るように呟いた。
しばらく経ち、白い液体の入った小瓶を両手に一つずつ握ったオネが駆けてくる。
「はい、おねえさんの分だよ」
右手に持つ小瓶をフィーネに差し出した。
「遅かったね、何かやってたの?」
「えとね、搾りたてそのままじゃ危ないから、て温めてたよ」
オネの言葉に相槌を打ちながらフィーネが小瓶を受け取ると、オネが小瓶の蓋を開ける。
彼女の所作に倣ってフィーネも小瓶の蓋を開けた。
オネは当然なんの躊躇いもなく駱乳を口に運び、一気に飲み干していく。フィーネは少々躊躇っているのか、観察したり匂いの確認をしている。
「──美味しい!」
嬉々として完飲するオネの表情に、フィーネは覚悟を決め、手に持つ小瓶を口に運んだ。
一口飲み怪訝な表情になり、更に飲んで見て、小瓶を口元から離す。
「美味し……い? なんだろうこれ……」
いつもの彼女の反応と比べると、あまり好感触では無かったのだろう。かといって拒絶する訳でもなく、更に駱乳の残りを全て飲み干した。
「ありがとうオネちゃん。なんというか、不思議な味でした」
「最初はそうかも! 何度も飲んでると美味しくなるんだよ!」
相変わらずの笑顔を見せるオネの背に見える空が、更に赤く染まっている。暗くなるまでさほどの時間もありはしないだろう。
「そろそろ戻ろっか」
「うん、帰ろ!」
二人は手を繋ぎ、紅葉の色に染まる迷路へと入り込んでいった。