すれ違い
「おそらく、この家になるだろうな」
「わかった」
二人は高台に設置されていた牢から抜け出し、現在は集落中央辺りに位置するであろう一軒家の前に到着した。
街並みは一様にして石造りになっており、高く設計されている。
入り組んだ建築傾向にあり、まるで迷路のような設計が成されていた。
にも関わらずアリーシャがこの家を特定した理由は定かではない。彼女曰く、集落の程度と形態が分かればおおよそ理解できるとのことらしい。
「手柔らかにしてやれよ、助手くん」
「……知らない」
アリーシャの忠告も虚しく、フィーネのその手はすでに扉を開いていた。
そのまま家の中へと無作法に入っていく。アリーシャもまた、呆れたように肩を竦め着いていくが、その表情は嬉しそうに微笑んでいる。
「……誰もいない」
「出かけているのかも知れんな」
無駄足を踏むことになり、フィーネの機嫌が更に悪化した。その苛つく彼女の様子を眺めるアリーシャは、やはりどこか楽しんでいるように見える。
「アリー、なにが楽しいの!」
「別に楽しんでいるわけではない。幼い少女のために、そこまで甲斐甲斐しく動く君に感嘆しているだけのことさ」
フィーネは不満げに目を背けるが、文句を言わない辺り満更でもないのだろう。
「あら、どちら様?」
二人が仲良くじゃれ合っていると、家の奥から一人の女性が現れた。
茶色の髪は肩まで伸ばされ、明るい褐色肌が眩しい女性。二人を訝し気に見つめるその薄藍色の瞳。どれをとっても、オネを思い出す。
「オネ、ちゃん……?」
オネが今のまま成長したとすれば、まさに彼女の様な姿になることが予想される。フィーネもまた、怒りを忘れ驚く他なかった。
「あらあら、オネを知っているの? 本当にどちら様──ああ、昨日の旅人さんかしら?」
「我々のことを知っているのか?」
「昨日お会いしましたよ? 覚えて──ああ、日避けの装束に身を包んでいましたから、分からなくても仕方ありませんね」
微笑む姿はやはりオネに似ている。
「砂尾──あの大きな蚯蚓は怖かったでしょうか?」
「……なるほど、我々を助けてくれた二人の内の一人か。その節は助かった、感謝する。──失礼を承知で尋ねるが、あなたがオネくんの母親と言うことで間違い無いだろうか?」
呆然とするフィーネに変わり、アリーシャが問う。
「ふふ」と可愛らしく笑うその笑顔もまた、オネと瓜二つと言って差し支えないだろう。
「合っています。やっぱりわかっちゃいますか?」
「あまりにも似ているものだから、そう思った限りだ。しかしなるほど……」
「……私、オネちゃんのお姉さんかと思ってた……」
二人の会話に遅れてフィーネが呟く。オネの母親と名乗る女性も更に嬉しそうに微笑み、「ありがとう」と顔を赤く染めた。
「あれ、でもオネちゃんがここの子供ってことは……?」
「ああ……君の発言通り、お姫様だった訳だ」
「アリー!」と頬を赤らめ否定するが、アリーシャは気にした風もなく笑っている。
「お姫様なんて、言い過ぎですよ。まあ、あの子は天使みたいなものですけど」
彼女もまた、いわゆる親バカという部類なのだろう。自分が若く見られた時以上に嬉しそうにしている。
「いやすまない。彼女が愛らしいのは言うまでもないが、今のは言葉の綾みたいなものだ。この集落の長の孫になるのだろう?」
アリーシャの言葉に、「ああ、そういうことね」と頷き、言葉を続けた。
「今の首長は私の父ですね。父に用事があるの?」
「ああ。少々話を聞きたくて探していたのだが……」
「父と夫は今、高台の牢の方まで行っていますよ。もう何年も使っていないのに、なんの用事かしら?」
どうやら彼女には二人のことは伝わっていないらしい。この状況で悟られるのは、面倒事になりかねないだろう。
「……そうか。感謝する」
「あ、ありがとうございました」
二人は彼女に一礼し、家を後にした。
「どうやら、すれ違いのようだ。もう一度戻らないといけないらしい」
「……またすれ違うのいやだから、急ぐよ」
フィーネがそう言ってしゃがむと、アリーシャが嬉々として彼女の首に腕を回す。
「いつ出立したかは知らないが、我々がいないことを知ればまた面倒な事になりそうだ。急ごうか」
「うん」
頷いたフィーネは、アリーシャを背負ったまま足を踏み込み、疾走する。
その速度は凄まじく、周囲の家々の景色はほんの一瞬程も視界に残ってはいない。
「跳ぶよ!」
曲がり角が目前に迫ってきた頃合いで跳躍し、高く作られたその石造りの家を軽く飛び越えていく。
「居た!」
迷路のように連なった家々を俯瞰し、その先に見える集落の高台。
二人が投獄されていた壁の崩れた牢屋が見え、更に下に視線を向けると、高台に登る坂の中腹ほどに二つの人影が見えた。
「さあ行け、助手くん!」
「はいっ!」
愉快に指示をするアリーシャに、真剣な眼差しで応えるフィーネの図は、どこか可笑しな印象を受ける。
しかし陸屋根の上であろうと彼女の駆ける速度は驚異的だ。集落とはいえ、それなりに大きな集落なのだが、その距離は瞬く間に詰められていく。
そんな速度で走る彼女も大概だが、その彼女にしがみついているアリーシャも多大な負担を負っている筈だ。
流石の彼女でも、あまり余裕があるとは言い難い表情をしている。
フィーネが最後の屋根に差し掛かる頃合いには、高台は二つの人影の目と鼻の先まで来ていた。
「間に合えー!」
確実に間に合わさなければいけない理由などは特にないのだが、目標が目前となると存外間に合わせたくなる衝動に駆られるものかも知れない。
フィーネは最後の屋根の角に足をかけると、そのまま思い切り跳躍した。
当然、最後の屋根に関しては割と大きめな損害を残しはしたが、フィーネは気に留めた様子がない。
フィーネの最後の追い上げもあり、男たちと二人はほぼ同時に、牢屋のある高台へと到着した。
しかし最後の跳躍は恐ろしい程の長さと高さだったため、フィーネの着地は当然のように豪快なものとなっている。
「──何事だ!」
「空から何か降ってきたような……」
フィーネの着地に伴って大きな砂煙が舞い上がっているため、彼らには二人の姿が見えていないようだ。
徐々に砂煙が晴れていき、高台の景色が見えてくるのだが……。
「……お前たちは何をやっているんだ?」
男の内の一人、声色からして昨日の男と思われる、まだ若い精悍な顔の持ち主が、呆れたように二人を眺めていた。
「おお、声からして君が昨日の男性か! 見違えたな」
「おはようございます……?」
壁の壊れた牢屋の中、何事もないかのように対応するアリーシャと、どう対応したらいいのかわからず首を傾げているフィーネが男二人に視線を向けていた。
「…………」
四人の間に、わずかに冷たさを伴った沈黙が流れた。そんな沈黙の中アリーシャが、「駄目か」と呟き立ち上がった。
「全く、冗談の通じない男と言うのはつまらないものだな」
「あれ、アリーもういいの?」
冗談を理解しない少女と言うのは、アリーシャにとって問題ないようだ。本気で誤魔化そうとしていたフィーネに笑って応えた。
「……それで、お前たちは何をしていた?」
「もう少し心に余裕を持つべきだぞ、君たちは。……ちょっと牢を抜け出し、君たちの家まで行っていたんだ。──まあ、すぐに帰ってくる羽目になった訳だがな」
呆れた様子で首を振り、肩を上げるアリーシャに対し、先程の若い男が険しい顔で力強い一歩を踏み出した。
「……何故、私たちの家に行ったんだ。内容次第では──」
「勘違いをするな。君の伴侶には何もしていない。少々挨拶を交わした程度のことだ」
若い男はその力強い眼差しで彼女の瞳を睨みつける。微笑むアリーシャの表情というのは、感情をうまく読み取れないようだ。
二人の睨み合いは重く静かな空気で辺りを満たしたが、もう一人の初老の男によって解放された。
「……落ち着くのだ、我が息子よ。そう力んでいては話し合いもままならん」
「……ああ」
彼の言葉で若い男は落ち着きを取り戻し、アリーシャは「感謝する」と初老の男に小さく一礼した。
「さて、どう言った経緯で牢を抜け出し現状に至るのか、話して貰えるかな?」
初老の男の言葉に、アリーシャが頷き事のあらましを説明した。
「……なるほど」
初老の男が呟き、若い男に視線を向ける。その視線に気付いた男が彼に顔を近づけると、初老の男の平手が若い男の頬を叩いた。
「なっ……!」
「この戯けが! 放浪者と言うだけで牢に入れ、まともに話もせずに立ち去るなど、愚行も甚だしい」
初老の男の言葉に少しの間呆けていたが、すぐに我に帰り若い男が反論する。
「しかしだな、この女の発言は一々面妖なことばかりで──」
「彼女ほど聡明な女性もそういない。嘘をつこうものなら、我々如き弱輩者は簡単に騙されるだけだ」
初老の男の言葉に、若い男が口を噤む。
「……私の愚息が大変失礼した。どうか詫びさせて欲しい」
「……すまなかった」
初老の男が頭を下げ、若い男の頭も下げさせる。
「頭を上げてくれ。こちらは大した損害も被ってはいないし、普通に考えれば面妖な事を言ったことは紛れもない事実だ。配慮が足りなかった事を詫びこそすれ、謝られる筋合いがない」
アリーシャの発言に二人が顔を上げ、アリーシャと視線を交え直す。
「寛大な心感謝する。……して、わざわざ牢の壁を壊してまで我々に聞きたかった事とやらについて、尋ねても?」
アリーシャが頷き、漸く本題に入れるようだ。
「今この集落が抱えている問題について、尋ねたいと思っていたんだ」
アリーシャの問いに二人の顔は険しくなり、今まで会話に入ってくる事のなかったフィーネもまた、その顔を強張らせた。