夜の寒さと、子供の笑顔と
「ねぇアリー、とても寒いんだけど」
「ああ、寒いな助手くん」
「私たち、何でこんなことになってるの?」
目を覚ました彼女たちは、石に囲われた広いとも狭いとも言えない部屋にいた。
二人は動物の毛皮のようなもので作られた毛布に包まっており、座するその正面に限っては、鉄の格子を挟んで、暗く青く広がる夜空が確認できる。
「我々を監視するためだろう。その必要性に関しては現状、不明でしかないがな」
「監視……なにか悪いことした? 私たち」
鉄格子の外には、全身を包む服を着込んだ人間が一人、彼女らに背を向けて座っている。看守だろうか?
「お前たちは、どこから来た?」
二人からは死角の位置になる、壁の裏側から精悍な目を持つ一人の人間が現れた。
目元以外は全て布で覆われており、性別の判断すら難しい。しかし、服の上からでも分かる程の屈強ながたいや、先ほどの声の具合から考えても、中年くらいの男と見て間違いないだろう。そして、二人を牢に閉じ込めた張本人となる。
「……さっきの男か。その質問には答えられそうにないな。我々の住んでいた森は、この世界には存在しない。強いていうのであれば、あの広大な砂地を彷徨っていた、と答えるのが適切だろう」
男は目元だけでも判断できるほどに、訝し気な表情でアリーシャを睨む。
「それは、話す気がないと捉えて問題ないな?」
「そうではない。我々はこことは異なる世界からやってきた、と言っているんだ」
アリーシャの発言は、あまりにも荒唐無稽な話にしか聞こえない。ましてや、彼女の事を知らない人間からすれば、ただの妄言か、あるいは虚言と捉えてしまうのは当然のことだろう。
「……なるほど。砂尾にどれほど追いかけ回されたかは知らないが、疲れているようだ。また明日、尋ねることにしよう」
そう言って、男はその場を立ち去ろうとする。
アリーシャはその様子を気にした風もなく、唐突に自分の身体を弄り出し、慌てた様子で男へと向き直った。
「まて! 私が持っていた丸い機械を知らないか? 持っていたら返して頂きたい!」
「これのことか?」
アリーシャの言葉に、男は懐から件の懐中時計を取り出し、彼女に見えるように持ち上げた。
「お前たちがと出会った場所に落ちていたが……これはなんだ?
「世界を移動するために必要な道具だ」
「……そうか。後日返すことにしよう」
「本当に返してもらえるのだろうな?」
その懐中時計は、二人にとって生命線とも言えるはずだ。返ってこないと言うのは死活問題と言っても差し支えないだろう。
「そもそも、なぜ我々は牢に入れられたのか、説明が欲しいところだな」
「素性の知れない人間を自由にはしておけないからな」
「ならばなぜ助けた」
アリーシャの発言に男は口を閉ざし、背を向けた。そのまま答える事もなく、その場を去ろうとする。
「待て!」
アリーシャの呼び止める声も気に留めず、男はそのまま立ち去っていった。
「困ったな」
「どうするのアリー」
フィーネの問いかけに唸りはするが、アリーシャは現状の解決策を見つけるには至らない。
しばらく悩んだ後、彼女は小さくため息を漏らすと口を開いた。
「とりあえず寝るとしよう」
「……そだね」
アリーシャが思考をやめた事で、フィーネも呆れたように伸びをする。
毛布は一枚しか用意されておらず、二人は同じ毛布を被って横になることになった。
「ふむ……こうして二人で寝るのも懐かしいな」
「……仕方ないよね」
恥ずかし気にするフィーネは、アリーシャに背を向ける。
「どうした助手くん。恥ずかしがる事もないだろう」
「別にそう言うのじゃないっ」
フィーネが上擦った声に、何故か嬉しそうにするアリーシャが、彼女の腰に腕を回す。
「アリー……!」
「この寒空だ、暖を取るために肌を寄せ合うのが自然だろう?」
「そんなの知らないっ」
ばつが悪そうに否定しながらも、フィーネは抵抗もせずに目を閉じた。
「君は相変わらず愛らしいな」
アリーシャはそう呟き、フィーネを強く抱きしめて目を閉じる。
しばらくの後、二人の寝息が聞こえてきた。
※
朝が訪れ、二人の寝る牢の中に眩しいほどの日の光が差し込んできた。
「──んー……っ!」
目を覚ましたフィーネのわずかに開いたその視界は、彼女を見つめるアリーシャの微笑みで満たされていた。
予想外の光景にフィーネは床から跳ね起き、アリーシャと距離を取る。背中を壁に預け、アリーシャを睨むその顔は紅潮し、大きな瞳孔が可能な限り開かれていた。
「そんなに驚くことはないだろう。君の愛らしい寝顔を間近で見るいい機会なのだから、鑑賞しない訳にはいくまい」
フィーネが離れたことで、アリーシャも床から体を起こす。
体を起こす拍子に毛布がわずかに下がり、隙間から覗かせる肌は彼女をより妖艶に魅せた。
「そんなの、いらない!」
「全く……照れたその様子もまた愛おしい限りだな」
寝起きの映像、目に掛かった髪を掻き分けるその仕草、わずかに覗かせる肌の艶。その全てが、彼女の艶やかさを助長し、長く連れ添った少女であるフィーネでさえも、その鼓動を高鳴らせている。
「うるさいぞ! 何をやっているんだ!」
二人の騒動に看守が重たい腰を上げ、近づいてきた。
「な、何をやっているんだ?」
声色からして、恐らく男なのだろう。だとすれば今のこの光景は、あるいは天国のようにさえ思えたかもしれない。
艶かしい寝起き姿の美女と、それに対峙する肌の大部分を露出する少女。
その現場だけを見れば、状況は不可解極まりない訳だが、絵として見たのであれば著名な絵画のように見えたことだろう。
看守の男はあまりの現状に目を背け、二人の返事を待たずに帰っていく。
「大人しくしていろよ」
遠く、視線も向けずに語られる彼の言葉を聞き、二人が顔を合わせた。
「どうやら怒られてしまったようだな」
「……アリーのせいだから」
フィーネがため息をつき、格子の外にもう一度視線を向けると、可愛らしい少女の顔が二人のことを覗いていた。
肩にかかる程度の栗色の髪に、薄い褐色の肌。二人を見つめる愛らしい瞳は薄藍色で、光の加減のせいか宝石のように輝いて見える。
二人が気づいたことを確認すると、口の前に人差し指をたて、看守の男を一瞥した。
全身を二人の前に現し、身を包む衣裳の腰布の端を持ち上げて一礼し、首を傾げながら二人に微笑み掛ける。
「か、かわいい……お姫様?」
彼女の仕草に、フィーネはその表情を綻ばせる。そんなフィーネの様子を見て、アリーシャが微笑んだ。
「あ、ごめんね! ……えっと、あなたの名前は?」
「私の名前はオネだよ。お姉さんたちは?」
オネの弾むような陽気な声と、その明るい笑顔にフィーネの表情は蕩け、アリーシャも彼女に視線を向ける。
「私はフィーネ。あっちのお姉さんが──」
「アリーシャだ」
「──だって」
敢えて自分で名前を語るアリーシャに、フィーネが可笑しく笑う。そんなフィーネの様子を見て、オネと名乗る少女も体を揺らして笑った。
何故二人が笑っているのかを理解できていないアリーシャは、不思議そうにしている。
「……それで、オネちゃんはどうしてここに?」
ここが牢屋だとするならば、これほど幼い少女が姿を見せていい場所ではないだろう。
「このお部屋、悪いことした人だけが入る所なの。でも、今まで入ってるの見たことなかったから……どうしたのかな、て」
かなり広大な砂漠という事もあり、そもそも部外者が来る事自体が稀なのだろう。あるいは長いこと使われずにいたのかもしれない。
「何も悪いことした覚えないんだけどな……」
フィーネの考え込む姿に、オネは「わかる」と笑って見せ、言葉を続けた。
「お姉さん、悪いことできなさそうだもんね!」
「……そかな?」
フィーネは複雑な面持ちで笑い返す。
「助手くんに悪事など無縁も良いところだろう。……しかし、だとすれば尚のこと腑に落ちない状況と言えるな」
アリーシャの考え耽る顔を見たオネが、「そう言えば」と今思い出したかのように言葉を続けた。
「最近、みんなこわい顔して忙しくしてるの。もしかしたら、それのせいかも?」
「恐い顔?」
フィーネは今一つ考えに及ばずに、頭を抱えた。しかし、アリーシャの方は先ほどまでの緩んだ表情は消え、その鋭い目元で虚空を凝視していた。……まさに、恐い顔ではないだろうか。
「アリー……?」
「……あ、ああ」
フィーネの言葉に意識を戻す。
「……すまないオネくん。その話、詳しいことは話せるか?」
「……わかんない」
「そうか……」
アリーシャは、今一度口元に手を置き考え込む。
フィーネもまた、なにやら考える素振りを見せた後、オネに向き直り口を開く。
「……ねぇオネちゃ──」
「あ! オネ様、何故こんなところに!」
フィーネの声は看守の男の声で遮られた。
男はいつの間にかこちらに向いており、オネとの密会を目撃されていたらしい。
彼の声に「あっ!」と口を塞ぎ、逃げるようにオネは牢屋から少し離れ、振り返る。
「またお話しようね!」
手を振りながら笑顔を二人に見せ、看守の男が近づく前に走り去っていった。
「全く、オネ様のやんちゃには困らされてばかりだな……」
「…………」
看守の愚痴を聞かされつつ、二人の視線はオネの走り去った先に向けられていた。
事を終え、看守が元の椅子に戻る様子を確認したフィーネの体は、どこか力が抜けているように感じられる。
「ねぇアリー……」
「どうした助手くん」
アリーシャの顔を見つめ、力なく開かれている彼女の眼からは、一筋の涙の痕が確認できた。
「子供ってね、大人の思っているよりも隠し事が上手なんだ」
そう話す彼女の拳は、先ほどまでと打って変わって、とても力強く握られている。
アリーシャの目を真っ直ぐと見つめるその瞳は、潤ませつつも力強さを感じさせた。
「オネくんのことか……? 私は何も気付くことはできなかったが……まあ、君の好きなようにするといい」
アリーシャが呆れたように肩を竦めると、フィーネは看守の方を睨みつけ、左の拳を持ち上げた。
「……ありがと」
次の瞬間には、彼女のその腕は左に振り抜かれ、大きな音と共に石の壁が崩れていく。
「オネちゃん……悲しんでた……!」
その音に気付いた看守が、二人の方を確認し驚愕している。石の壁が小柄な少女の手によって崩されたとなれば、当然の反応だろう。
「──な、何をやっているんだ!」
「うるさい!」
「──っ」
フィーネの怒号に看守が竦み上がる。その様子は既に彼女の視界にはない。
「……全く、君というやつは本当に面白いな。話をつけるなら長の元へ行くのがいいだろう」
「そう」
フィーネの人の話を聞いているとは思えない程に淡白な回答に、アリーシャが笑って見せる。
「私が案内しよう。すぐに大体の見当をつけてみせよう」
「ありがと」
そう言って歩き出したアリーシャが、一度足を止め看守の方へと振り返った。
「君への憐情を伝え忘れていたよ。これほど怒りに身を委ねた彼女は、私の記憶の中にはいないからな」
「怒ってないっ」
さらに体を縮める看守と、自分の感情を認めないフィーネの態度に、アリーシャが大きく笑い声を上げていた。