砂漠の休憩所
「もう、本当に最悪だよ!」
この砂しかない砂漠には不相応な、巨大な湖。
燦々《さんさん》とした日を落とす太陽の光を反射し、眩しく輝いている。
巨大な蠕虫を粉微塵にした二人が近場で見つけた場所だ。
そんな湖で、フィーネは身体中の汚れを洗い流していた。
アリーシャはと言えば、一足先に事を済ませて、なにやら忙しなく動いている。
「──はぁ、やっと流し切れたかな……?」
それなりに汚れは流したはずだが、それでも水の底まで見えるほどに透き通った水。
そこに反射する小さなその身体を観察し、わずかにため息を漏らしたフィーネは、正面に向き直った。
湖畔に茂る木々は、さらに砂漠の性質から隔絶しているように感じさせる。
改めて見直すなり、感嘆の表情を浮かべていた。
「──あの機械、また使った訳じゃないんだよね?」
「気持ちは察しよう。これほど大きく、何もない砂地に於いて、この巨大な湖だ。疑いたくなるのも分かるが、残念かなあの機械はまだ使用出来ない。正真正銘、同じ世界だ」
もう一度大きくため息を吐き、フィーネはアリーシャへと向き直った。
その視線の先ではなにやら、緑色の小物を器用にいじっている姿が映る。
「それ……」
「ああ、草木が十分に生息していたからな。簡易的ではあるが、衣服の代わりにならないかと作ってみたんだ」
そう言って広げて見せるアリーシャの手元、草で作られた肌着のようなものが提げられていた。
感嘆としながらも、フィーネはその服を受け取ると、即座に着替え始める。
彼女の着た姿をみるに、やはり秘部を隠す事が目的で作られたのだろう。面積に関しては、一般的な肌着より若干広いかどうかと言ったところだ。
「……ありがとう。少し恥ずかしいけど、裸よりは全然いいね。……けど、これとさっきのことは別だから」
「なんの話かな?」
フィーネの発言に、常に冷静に見えたアリーシャが、わずかに焦った様子で目を背けて嘯いた。
「私が虫を大嫌いなのは知っているはずだよね?」
「そうだな」
「さっきのいもむし、どこいったのかなー?」
「……さあな。助手くんに恐れを為して逃亡でもしたんじゃないか?」
フィーネは返事を返さず、ただ不自然なほどに完成された笑顔をアリーシャへと向ける。笑顔のまま向けられた指先は、彼女が行水していた場所へと向けられている。
アリーシャはそんな彼女の行動に、背けていた視線をわずかに戻してため息を漏らした。
「……すまなかった」
「……うん!」
フィーネの寛大な心に、アリーシャが心より安堵してその大きな胸を撫で下ろす。
そんな彼女をよそに、フィーネはなんでもなかったように水場の方に視線を戻していた。
「……君が身体を洗い出す前に、ある程度の水は確保しておいた。どうやら飲める水のようだから、後で飲んでおくといい」
「そか。それはよかった。……正直、あんなのを流した後の水なんて飲みたくないもんね」
アリーシャに案内され、湖とは離れた位置にある水溜りへと訪れる。
相変わらず透き通った水だ。喉が乾いていればどれほど美味しく見えるだろうか。
フィーネはその水を両手で掬い、口へと運ぶ。大きな目をさらに大きく開くと、もう一口、二口と飲んでいく。
「美味しい!」
「そうだろう。この日照りだ、喉も乾いていればただの水でさえ、美味しく感じるものさ」
フィーネは表情を緩め、もう何口か喉を通すと、不意にその表情を険しいものへと変えた。
「……じゃない」
「どうした助手くん」
「なんか落ち着いてるけど、私たちは今遭難してるんだよ? これからどうするの?」
どうやら、自分たちの置かれている状況を思い出したらしい。確かに先の見えない砂漠では、例え飲み水があったとして、行き先が分かる訳でもない。
「その事だが──さっきから少し気になっていた事があるんだ」
そう呟くアリーシャの視線の先を辿ると、奇妙な形をした花が生えている。
「変な花」
「ああ、その花についている草なのだが……先ほどから君が歩くたびに、君の方へと向いている気がするのだが……」
「──なにそれ怖いんだけど」
怯えるフィーネは、それでも花の方へと視線を向け、周囲を適当に歩いてみた。
どちらへ歩いても、少し距離をおいたとしても、必ずその草は彼女の方へと向き直っていた。
「ほんとだ! 怖い……なにこれ?」
「……ふむ。私が近づいても君の方を見ているな。無差別に近くの生物を捉えているわけではなさそうだ」
アリーシャも近づき、フィーネとは正反対に立つ。それでも草は相変わらずフィーネに向いている。
その後も、二人の位置関係を変えながら観察していたが、どのような位置関係にあろうとも、フィーネに向けて草はその葉先を指していた。
「なるほど……少なくとも、私より君を目指して葉を動かす事はわかった。考えられる可能性は二つと言ったところか?」
「二つ?」
フィーネには見当もつかないのだろう。アリーシャの発言を待つかのように、その視線を彼女へと向け続ける。
「一つ、私と君で違う場所と言えば、一番に浮かぶのはやはり、この身体の大きさだろう。小さな君にのみ反応するあたり、熱か何かを感知して、より小さな生物を見極めている可能性だ」
おそらくアリーシャは全身の話をしていることだろう。しかし、少々不機嫌気味なフィーネの表情から察するに、彼女はなにやら勘違いをしている可能性がある。
「アリー、そんな嫌味みたいなこと今いう必要ある?」
「……一体君はなにを勘違いしているんだ。身長にしろ体格にしろ、君の方が小さいのは事実だろう? それもまた、君の愛らしさにつながっているのだから、美点として捉えるべきだ」
アリーシャの弁明を聞いたところで、フィーネの表情はやはりあまり良くはならない。余程気にしているようだ。
「話を続けよう。もう一つの可能性だが──」
奇妙な花の草が唐突にその葉先を動かす。二人は一切移動していないので、対象が変わったと判断すべきだろう。
「──生物の熱などを検知し、生物としての生存能力の高い方へと向いている可能性だな」
不敵な笑みで葉の指す先を見つめるアリーシャと恐る恐る視線を動かすフィーネ。
二人の視界には先程のものよりは一回りほど小さな蠕虫。それでも、その巨大さと気味の悪さは大して変わらない。
「この砂地は興味が尽きないな!」
「もう──いやぁ!」
再度アリーシャを背負ったフィーネは、一心不乱に駆け出した。
二人はしばらく何もない砂漠を駆け抜けていたが、なにか目ぼしいものが見つかる訳もなく、流石のフィーネにも体力の限界が──。
「もぅー! いつまで追いかけてくるの!」
あまり感じられない。彼女の体力は無尽蔵なのかもしれない。
むしろ、背負われているアリーシャの方が少々様子がおかしくなっているようだ。
「これほどの高熱の中助手くんの全速力に着いて来ながらもその速度に衰えを感じない。この巨大蚯蚓は私の知識を遥かに凌駕する生命体の様だ。しかし助手くんの体力も底を知らない以上この追いかけっこがいつまでつづくのか。それもまた興味深いがこのままでは私の体力が保つかどうかいやかんがえつづければたいりょくなんてものはどうにでもなるか──」
間違いなくどこかおかしくなってしまったようだ。……いや彼女の場合は元々どこかおかしいのだが。
「ねぇアリー、あれはなに?」
「どうした助手くん」
フィーネの走る先、まだ影でしか捉えることは出来ないが、何かが今の彼女と同等の速度で近づいてくるのが見える。
「さて……この距離では判断がつかない──いや、鳥だな。駝鳥の類だ」
悠長に話す間にも距離は縮まっていく。
全体的に丸みを帯びた体と頭、首は長く嘴もどちらかと言えば長い。
脚の筋肉が発達しており、大きな大腿筋は特に太く頑丈そうな鳥。
駝鳥と酷似しているが、細部までみると違うこともあり、駝鳥とはまた違った生物だと断定することができる。
その鳥が二羽走ってくるのだが、彼らの背中の上には、全身を覆う衣に身を包む人間が一人づつ騎乗している。
「誰か乗ってるね」
「友好的であってくれればいいが……さて?」
更に接近する二羽と二人が距離を離す。その間を太めの綱が渡されていた。
「しゃがめ!」
どちらの声かは定かでないが、中年ほどの男の声。フィーネも反射的にその声に従い、綱を避けるように低姿勢で駆け抜ける。
「一体なにを──」
二羽とすれ違いフィーネが振り返ると、すでに跳躍しており、綱が蠕虫へと食い込んでいた。
そのまま鳥たちが交差し、その場を離れると、綺麗な切断面を残して蠕虫の頭が砂の上へと転がった。
「うへぇ、また見ちゃった……気持ち悪いっ」
「彼らも中々手慣れているようだな。──助けに入ったということは、少なくとも敵対しているわけではなさそうだ」
仕事を終えた二羽と二人がフィーネたちに近づいてくる。
「旅人とは珍しいな、すまないが一緒に来てもらおう」
アリーシャとフィーネが顔を見合わせ頷いた。指示に従うようだ。
ここでついていかなければ、また遭難する恐れもある。他に選択肢はないのだろう。