虫は大っ嫌い
「熱い!」
「やっと目を覚ましたか、助手くん。あまりの暑さで目を覚まさないかと思ったぞ」
二人が目覚めたのは、雲一つない青空の下、辺り一面にはなにもない広大な砂漠だった。
アリーシャの創った機械によって気を失い、気づけばこの砂漠。
その上、元々着ていた衣類の全てを失っており、そのあられもない姿で並ぶ二人は、男女問わず目を離せなくなる光景だろう。
「アリー……? ここはどこなの? それになんで裸──きゃっ」
フィーネは今の自分の状況を理解したようだ。
いくら何もない砂漠で二人しかいないとはいえ、羞恥心というものはそう簡単に拭えるものでもない。
「今更隠すこともないだろう。……まあ、この熱く射す陽光の中では、焼け焦げてしまいそうである事は否定しないが」
広大な砂漠で、水や遮蔽物のないこの空間において、日光は脅威でしかないはずだ。
ましてや彼女たちは衣類を纏わず、素肌なのだからその熱さは尋常ではないだろう。
日の触れる肌もさることながら、この日差しの下、日に焼かれた砂漠の砂は火に炙られる鉄板と大差ないはずだ。
「ここはどこなの? 私たちはなんで服も着てないの?」
フィーネは、理解の許容を超える現状に羞恥心を忘れたのか、その小さな胸を隠すことをやめてアリーシャに詰め寄る。
しかし、おそらくはアリーシャもこの現状を把握できていないだろう。
答える術などないはずのアリーシャはと言えば、むしろ嬉しそうにしている。……どういう感情なのだろうか。
「それだ! ここがどこなのかなど知るはずもない! 何故ならここは──我々のいた世界とは違う……異世界なのだからな!」
アリーシャは元より希薄だった羞恥心を完全に失い、その興奮からなのか熱ささえも忘れたように、両手を大きく広げて広大な世界を表現する。
「それはつまり──」
「私の考えは正しかった! 自分の意思で世界を渡った者が、どれほどいるだろうか!」
叫び、大きく笑い声を響かせる全裸の美女の姿というのは、滑稽というべきか秀麗というべきか、悩まされる光景だ。
「そう……それはよかったアリー。でも、なんで裸なの? それにこれから私たちはどうすればいいの……?」
フィーネのその疑問は尤もだ。
現状を把握できていない上、この広大な砂漠で次の目的地をどう見つければいいのか。
知識も土地勘もないのであれば、遭難する他ないだろう。
「服を着ていない理由など簡単なことだ。あの時間停止に於いて、動いたものはあくまで我々のみなのだから、身につけている物が無くなってもなんら不思議ではない」
現在起こった大概の事象は不可思議極まりないというのに、アリーシャにとっては何一つ不思議ではないらしい。これが天才というやつなのだろうか?
「そして、これからについてだが──君は目を閉じた方がいいだろう」
アリーシャはフィーネの後ろを見つめながら、謎の指示を送る。
「なんで目なんか──っ!」
アリーシャの謎の指示を疑問に思い、フィーネが振り返った事を責められる者はいないだろう。
そして、そこにいる生物に関して冗談だと思いたくなることも、彼女に限った話でないことは間違いない。
「だから見るなと言ったのに」
フィーネの振り向いた目先にいたのは、全長だけで見れば彼女の十数倍はあるであろう巨大な蠕虫。
砂と同色の皮膚で覆ってはいるが、幾つもの関節をうねらせているその姿も、別の生命体かのように動くひだ状の口も、見るだけで悪寒に似た感覚を覚える。
「そんなこと言ってる場合じゃない!」
フィーネがアリーシャの手を引っ張り、その場を走り去る。
次の瞬間には、元々二人のいた場所に大きな砂柱が立っていた。
「おおすごいな。なかなか力もあるようだぞ、あの蚯蚓は」
「あのいもむしがどうとかどうでもいい! とにかく逃げないと食べられちゃうから!」
フィーネはかなりの動揺を見せつつも、アリーシャを背負い直す。
当のアリーシャはと言えば、背負われたまま至って冷静に蠕虫のことを観察していた。
相変わらずの感性のズレ具合なのだろう。
「んー、そうだな砂食虫と名付けよう。砂を美味しそうに食べている」
「どうみても私たちを狙ってるんですけど!」
アリーシャが砂を食べると比喩したのは、フィーネが避けた先々の地面に、蠕虫が毎度毎度食らいついているからだろう。
あながち砂も食事として捉えている可能性は大いにある。
「しかし何故逃げるんだ? 君なら倒せばいいだろう。あれくらいの生物」
「無茶言わないで! できるわけないでしょ!」
どう考えても、常人にあの大きさの生物をどうこうできるはずもない。しかしアリーシャはなんの疑いも持たずに、フィーネなら倒せると断言する。
「いや本当に不可解だ。君の力は物理法則すら超越し得ると言うのに」
「私は、虫が、大っっっ嫌いなのー!」
広大な砂漠、遥か先まで見渡してもなにも見えない空間に、フィーネの渾身の告白が響き渡る。
なるほど、虫が嫌いならばこんな生物見たくもないだろう。大きさ以前の問題だ。
「仕方ないな。君はは目を閉じたまえ」
「前が見えなくなっちゃうよ!」
「動作は私が指示する。君はあの蚯蚓を見ないようにした方がいい」
「アリー……」
フィーネは、アリーシャの言葉が優しさからくるものだと思ったらしい。
彼女の言葉に感動し、目を閉じてそのまま走り続ける。
「目を閉じたよ。どうすればいい?」
「よし、前方に進みながら、振り返りつつ大きく跳び上がれ」
明らかに不自然な指示だというのに、フィーネは疑わずに、体をひねりながら跳躍した。
その跳躍力は凄まじく、一瞬で蠕虫の口元の高さまで飛び上がる。
「そして合図に合わせて、回し蹴りだ!」
「え、なんで蹴るの?」
「身を守るためだ。君なら問題ない」
「……? よくわかんないけど、わかったよ!」
アリーシャの不可思議な指示を受け入れ、その時を待つ。
「よし、今だ!」
「はいっ」
蠕虫が空中にいるフィーネに飛び込む瞬間、アリーシャの指示も飛ぶ。
その合図に合わせフィーネが空中で足を振り抜くと、ちょうど蠕虫の頭部へと的中し、蠕虫は頭から全ての関節を順々に霧散させていく。
その破片や血液などは、無情にも衣類を身に纏っていない二人の体へも飛び散っていた。
「……ねぇアリー。これは──」
「やったぞ助手くん。流石だな」
フィーネは肌に触れた感触で状況を理解したようだ。
地面に着地するまでの、そのわずかな時間の間に目を開いてしまい、正確に現状を理解する。
危なげなく着地すると、そのまま高熱の砂へとへたり込んでしまった。
「いぃ──っやあぁぁ────っ!」
瞳からは大粒の涙を流し、砂漠の端まで届きそうなほどの悲鳴がしばらくの間続いていた。