膨れ上がる悪意
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この世界には、ロアード教国と呼ばれる国がある。
貴族による封建制度と、国教であるスウェラ教の戒律によって盤石な支配体制を確立し、周辺の比較的小さな島々を「自治島」という事実上の植民地として吸収することで、その勢力を拡大してきた大国だ。
しかし、国の内面というのは、その大きさに比例して複雑で面倒になっていくものだ。
ロアード教国は、国教を国の基盤としている都合上、最高統帥権は国教の最高権力者であるスウェラ教法皇にある。
その下に、国の政治の中枢であり上級貴族で構成される中央政院、そして東西南北の自治島群を代表する、中級貴族が取り仕切る自治島政院、さらにその下には、下級貴族が実際に領主として自治島を治めるための自治島評議会がある。
そして今、南方自治諸島群第2自治島評議会長であるヴァルギウス・バンクラフト子爵は、自分の直属の上司であるフランシス・サー・スミス辺境伯への定期報告のため、自治島政院の置かれるロアード教国最大の島、俗に「本島」と呼ばれる場所に赴いていた。
彼は暗澹たる思いであった。
元々彼は中級貴族の息子で、貴族の中でもそれなりに裕福な家庭であったから、年を重ねるごとに彼のプライドも増長していった。
しかし成人して独立し、実際に公務をこなすようになってから、彼の立場は急降下を始めた。両親や周りの環境に散々甘やかされて育った彼には、貴族の公務というものが途方もない難題であったのだ。
こうして公務で失敗を続けた彼は爵位を落とされ、今では下級貴族として辺境の自治島をあてがわれている。
だがそんな彼につい数日前、更に屈辱的な出来事が降りかかった。
(老いぼれの旅団長め…下等身分の分際で生意気な…!)
第2自治島に存在すると目された、異世界からの来訪者。
異常なまでの魔素粒子反応を検知したとの報告を受け、すぐさま自治島に飛んだにも関わらず、その来訪者自身に追い返され、あまつさえ配下の騎龍を2騎失った。
そしてあの旅団長の態度。
前々から貴族である自分に対して敬意のひとつも払おうとしない生意気な老人だったが…
(今度という今度はもう許さん!)
下級とはいえ、自分も貴族だ。
下等身分の老人1人、適当な理由をでっち上げて刑場送りにすることなど造作もない。ヤツを吊し上げて、他の自治島の人間への見せしめにしてやる…
はずだった。
ヴァルギウスは、目の前の椅子に優雅に腰掛けるスミス辺境伯の前で凍りついていた。
パイプの煙を曇らせる辺境伯の机に置かれていたのは、ヴァルギウスへの辞令。
「さ、サー・スミス…これは一体……?」
「バンクラフト子爵、君も分かっているだろう。我々も、君にはほとほと愛想が尽きた」
言いながら辺境伯は、机上の羊皮紙をコツコツと叩く。
それがスミス辺境伯の苛立っている証だと、常日頃から彼に付き従っている訳でもないヴァルギウスに分かる筈もない。
「そ、それはどういう…」
「分からんか。これだからプライドばかり高い無能は困る」
パイプを置き、指で机上を叩くのをやめた辺境伯は眼前の羊皮紙を押しのけヴァルギウスの足元へ落とす。
「規定外の徴税、自治島の所有物に対する略奪に内政干渉。貴族特権を以てしても弁護し切れない立派な犯罪行為だ。…私の言っている言葉が理解できるかね?子爵」
対するヴァルギウスは、最早口を開くことすらできない。
目の前の人間から吐き出される言葉が理解できない、いや、したくないのだ。
「我が国の貴族と封建制度は、すべて国家利益の追求のためのものだ。個人の利益を追求するためのものではない」
嫌だ、もうそれ以上言わないでくれ。と、自分の心が必死に叫び続けるが、目の前の男は無情にも言葉を紡ぎ続ける。
「もう分かったろうが、念の為にもう1度言わせてもらう」
少し間を置いて、そして彼は決定的な一言を口にする。
「爵位を奪われたくなければさっさと荷物をまとめてここから出ていけ。以上だ、ヴァルギウス・バンクラフト子爵」
それっきり、辺境伯は何も言わずに、ヴァルギウスに背を向け続けた。
「まったくお手柄だ!最高だよアンタは!」
帰還した私を出迎えたのは、集まっていた人だかりからの大歓声だった。
接触した恐らく私を狙っていたこの島の領主と、その配下と思われるドラゴン2匹を追い払い、撃墜した私は、さっき飛び立ったギルド本部の埠頭に、またギリギリの着陸で戻ってきた。ていうか本当に此処への着陸は毎回ひやひやさせられるんですよねッ!まったく滑走路が恋しいったらない。
「そろそろ、色々説明してくれますよね?私には分からないことだらけなんですから」
「ああ分かってる。来てくれ、今度こそゆっくり説明できるだろうから。フィー、引っ張ってやれ」
「はーい。じゃあソロー、よろしく」
「お世話になります、ソローさん」
そうして連れてこられた場所は、ギルド本部の、先程のランドマンの研究室がある場所とは反対側の端にある格納庫のような場所だった。
「本当は乗用龍たちの場所なんだが、今は周辺警備のために出払っていてな。しばらく使える」
老人の言う通り、横長で広い格納庫のような此処は今はがらんどうで、私と老人、そしてフィーとソローの他には何もいない。
「今までバタバタ続きで悪いな。なにせ、この島は相当に微妙な立ち位置なもんだから…」
「そうだ、それですよ。さっきのあの小男がここの領主だって言ってましたっけ?」
「そう。本島から派遣されている貴族の1人だ。よし、順を追って説明するぞ」
老人の言うには、この島はロアード教国という名の大国の傘下にある島らしい。
宗教が国の基本である国家で、「本島」と呼ばれる国で最も大きな浮遊島がこの国の首都で、同時に経済の中心地だそうだ。
国教の戒律と、貴族による封建制度で強力な支配力を有し、その国力を以て数十年前から国土拡張を続け、つい20年ほど前からこの島も「自治島」という名目で彼らの植民地となってしまった。
さっき私が追い返したのは、その「自治島」の管理を中央政府から任されている下級貴族だそうなのだが…
「この島は向こうさんからすれば最果てみたいな辺境地でな。まあ、そんな所に飛ばされるような低級貴族に、現地民への思いやりを求めるのも無理だろうな」
最近は今回のような、領主貴族による横暴が各地で目立つそうだ。
規定外の徴税や略奪、果ては住民の強制労働まで。
老人やフィーは元からこの島に暮らしていた人々だそうだが、住民の中には、ここよりも酷い境遇から逃れるために故郷を捨ててまで亡命してきた者も少なくないらしい。
「定期的に本島からの査察官の活躍で、処分される貴族もいるんだが…教国は、勢力圏を伸ばしすぎたんだ。とてもじゃないが細部まで目は届かない。みんな隠しちまうのさ」
だから、今回のような領主貴族による横暴が常態化している。
そう言う老人の顔は険しかった。
「…?じゃあ、なおさら私があの領主を追っ払ったのはマズかったんじゃ?」
「心配ないさ。言ったろう?奴らがやっているのは規定外の徴税や収奪だ。思い通りにいかなかったからって、それを中央に報告したりすりゃあ、まあ、処分されるのは自分の方だろう」
「なるほど」
つまりあれか、犯罪を犯して怪我を負った犯人が救急車を呼べないのと一緒で、文句を言ったら処罰されるから多少反抗しても心配はないと。
「それ聞いて安心しました。てっきり取り返しのつかないことをしたのかと」
「ははは…見た目の割に心配性だな。大丈夫、配下の騎龍をやったんだ、しばらく出てこれないだろう」
「そうですか。よかったぁ…」
そう安心していると、暇になったのかソローがその長い首を私の機首にこすりつけてきた。
そのいかつい顔は、今は目を閉じているのもあってか優しげに見える。
「ソローもほっとしてるんだよ。仲間に向かって首をこすりつけるのは、そのコを信頼してる証だからね」
そう、フィーが脇から説明する。
そういえば、私は至る所に居るこのドラゴンについてよく知らない。今後のためにも、詳しく知っておくべきだろう。
「フィー、ドラゴン…ソローの仲間について少し教えてくれますか?」
「ドラゴン、でいいんだよ。正確にはドラコニアが種としての名前だけど。…ていうか、今更だけどよく知ってるよね、ドラゴンって名前」
「元いた世界にも、同じような見た目の生き物がいたんですよ。もっとも、神話や伝説上の生き物で、実際に見た人は誰も居ないんですが」
「へぇ…それは気になるなあ。じゃなかった、ドラゴンについてだよね」
「ええ、そうです」
「ソローみたいなコがケツァル種っていうのは…」
「はい、空で聞きました」
「じゃあ補足だね。ケツァル種はソローみたいに乗用に使われる種だから乗用龍って呼ばれる、おとなしくて人懐っこいいい子たちだよ。それに対して、黒竜っていう種類がいるんだけど、これはかなり凶暴な上に縄張り意識がとても強くて、乗用龍に乗ってた人が黒竜に襲われて亡くなることが毎年あるんだ…」
「え、じゃあ」
「そう。鳥さんには本当に危ない所を助けてもらったの」
だから本当にありがとう、と改めて礼を言うフィーに、老人が横槍を刺す。
「それはお前が所定の経路を外れて勝手に飛んでったからだ」
「うっ…」
図星らしい。
言われた途端、フィーは声をつまらせた。
「ま、まあ空を飛ぶのが楽しいのは私も分かりますし、多少多めに見てあげましょうよ」
「でしょう⁉ホラ師匠、鳥さんだってこう言ってるんだし!」
「まあでも指示に従わないのは良くないですよフィー」
「うぐっ…うん、分かった。じゃあ話を戻そっか…
乗用龍は基本的に人とか物の運搬もできる子なんだけど、他にも背中に兵士を乗せて速度を活かして戦う使い方もあるんだ。そういうのが騎龍って呼ばれるんだよ」
「ほうほう」
「基本は狩りに使うんだけど、まあ戦争になったら特に大事な戦力になるね」
私の元いた世界で、機関銃の登場まで騎兵が最強の戦力だったように、ここでも騎龍がかつての騎兵のように優位性を保持しているというわけか。
とりあえずさっき交戦した感想としては、加速性能や上昇スピードに関しては比べるまでもないが、あの攻撃がとにかく厄介だった。なにかしら対策が必要だろう。
「騎龍の攻撃手段は、魔術ですか」
「うん、長距離魔術を使ってだね」
「なるほど…敵味方の識別さえできれば…有視界外からでも…」
「え?」
「あ、いや。なんでもありません」
面倒な政治関係に、面倒な敵。
いやはや、やっぱりのんびり暮らせそうにない。
そう思う私の心は、しかしなぜか昂ぶっていた。
注釈をひとつ
>爵位について
ほぼほぼ適当です。一応ウィキ見て書いてますけど。だから「うん?」て思われる所が出てくるかもしれません。そういう時は教えていただけると嬉しいです。