押しいれに潜む影
おれたちの仕事は、事故物件の清算だ。
よくある都市伝説のそれをイメージしてもらってかまわない。自殺や他殺、病死に事故死といった曰くつき物事が起こった不動産には、契約の際にその内容を相手に告知する義務が発生する。すると、まぁ普通は嫌がられるので、価格をさげて売らざるをえない。当然、権利者は大損だ。そのため最近では抜け道として、間に身内の契約を挟むという手法が流行っていた。不動産側の社員が事故物件を契約し、短期間で手放す。次の契約、または次の次の契約あたりに一般のお客様をもってきて「前の契約では告知したからもういいだろう」と内緒にする手口である。過去に都合のいい判例があったとかで、三人ほど挟むやり方が最近の主流のようだった。なお、これにバイト代がでるという噂をたまに聞くが、実際は書面にサインするだけの簡単なお仕事にバイトを募るということはない。大抵は内々で済ませてしまうのである。大抵は。
ところが、たまにこれで人が死ぬ。死に至らずとも、精神をひどく病んでしまう者がでる。実際に現場には行かず、名前を貸しているだけにもかかわらず、頭の上に不幸が舞い降りる物件が、この世には確かに存在するのだ。
そういった本物を扱うのが、おれたちのような人種なのである。
「うっひょぉぉぉ、このホエー豚、ぜんぜんアクがでないッスぅぅぅぅ!」
「なんデスそれ、すっげえええええええ!」
……あれでも、本物を扱うプロなのだが。
すごい勢いでビールを空き缶に変えていく二人に溜息をついて、隣の少女を見やった。
おれの目には彼女が見える。白い肌に薄手のブラウス。細身というより不健康に痩せこけた体。その割にひどくむくんだ頬。腕には無数のひっかき傷と注射痕。両親が彼女の入院を決めた夜、それよりも先にありったけの薬を打ったと聞く。アオがそれを調べ、クズハが売人を締めあげて裏をとった。この二人の役割は大体そんな感じだ。そして、おれは彼女から話を訊く。
「わたしのこと、みえるひとなんて、はじめて」
しかし、この目はどこか調子が狂っているのだ。人に見えるものがたまに見えず、人に見えないものがたまに見える。だから雨の日にも頭上には青空があり、衣服が濡れてもそう感じられない。兎に連れられて穴に落ちてしまったかのように、ひとりだけおとぎの国を歩いている。
「まえのひとはね、だれもいないかべに、ずっとはなしかけてて、こわかった」
「……そりゃ怖いな」
とは言いつつも、おれたちの周りでは割とよくある話なのだ。
はじめは人前で嘘をついているだけ、金を稼ぐためにフリをしているだけ、プロの中にはそんなやつもいる。ところが、たとえ偽物でも、おがみ屋やら除霊師と名乗っているうちに、次第と本当に見えるような気がしてくるのだ。すると、ついには誰もいないところでもやりはじめてしまう。自分自身を騙すための演技。そこまでいくと早晩、精神を病んで死ぬ。そういう例はこれまで腐るほど見てきた。
「ねー、モグリさーん。そろそろこっちにきましょうよー」
不意に声をかけられて、視線をむこうに戻した。
クズハがすっかりビールで顔を赤くしている。なおもふわふわと声をあげる彼女には、犬を追い払う手つきでこたえてやったのち、隣の少女へ静かに尋ねかけた。
「君はどこにいたんだ」
彼女たちには、いつもこうして居場所を訊く。これもまたルールのようなものだ。
すると細い指先がすぅっと部屋の奥へとむけられた。その方を見やると、そこには。
「うひょおおお! モグリさん、まだ食べないんデスかァ?! 肉なくなっちゃいますよぉぉ!」
「先輩、これやべぇッスよ! 最近の若者はすぐにやばいとか口にして、いったいなにが危険なのかとツッコミをよく聞きますが、それはね、命が危険なんスよ! ホエー豚、食う、命、やばい! ポン酢がしみるぅぅぅぅ」
「おい、落ち着け。おまえら、とりあえずそこの押しいれをあけてくれないか」
二人はしばらく顔をぷるぷると震わせていたが、おれの分も食べていいと言ってやると、ネジをまわされたがごとく、きびきび従ってくれた。ふすまが開かれる。遠目にも奥にはがらんとした空間が広がっていることがわかる。そこにはなにもない。なにもないように見えても。
「ありがとう」
隣の少女は嬉しそうにはにかむのだ。
「せまくて、くらくて、ずっとくるしかったの」
多分、そこで死んだのだろう。
再び隣を見やれば、もう彼女はいない。この部屋に残されたのは、鍋を囲む二人の喧噪だけ。
「あそこになにかあったんデスか、モグリさん」
「いや」
おれは腰をあげ、クズハとアオの輪に加わった。
「もうなにもないさ」