闇夜に浮かぶ顔
買いだしにむかった二人がようやくかえってきた。
クズハが呆れるほど大きなダンボールを肩にかついでいた。両手がふさがった状態で器用に靴を脱ぐ。そのうしろで、細身に相応な量の袋をさげたアオ。おれは少女と二人、壁に背をつけ肩を並べて座っている。
むこうの二人は慣れた手つきで品を広げはじめた。まずは鍋だ。いつからだろうか、おれたちは季節を問わず、初日は必ず鍋でむかえることにしていた。「今日は豚シャブでいきましょう」とクズハ。「ホエー豚ッスよ、ほええ!」と甲高く叫ぶアオ。そして、ビール瓶に栓抜き、包丁とまな板、使い捨ての食器、まぁでてくることでてくること。今回は趣向を変えたのか、日本酒の他にリキュールのボトルも覗いている。おまけにカセットコンロまで姿を見せて、この大部分を運んだクズハには毎度のことながら驚かされる。アオと比べるのは問題外だが、おれだってさすがにこの量は持てやしない。
「さて、黙って準備するのもつまらないッスよね。僕からはじめますよ」
「どうぞ、アオくん。お先に」
その掛けあいに耳をかたむけながら、おれは青白い少女に視線をおくる。彼女は舞台劇でも前にしているかのようにぼんやりと遠い二人の様子を眺めている。
「前の仕事の話。組んだのは先輩とは大違いのひどいやつらでしてね。はじめの一週間で、あとはよろしくとばかりに姿を消したんス。残った僕はそれから三ヶ月、ひとりで仕事場に残る羽目になりました。ここと似た古いマンションでして。時折、仕事は完了したのかとメールがくるものの、僕の役割は、ほら、下準備ッスから。そんなのわからないし、けれど正直に言えば明日からの寝場所がなくなってしまう。そうした悶々とした日々を過ごしてたんスが……」
テーブルに次々と今夜の品が姿を見せた。豚肉のほか、白菜に豆腐。初日とあって米はできあいのものを買ってきたらしい。コンロに鍋がのせられ、てきぱきと準備が整えられていく。
「ある夜のことッス。ご存じだと思いますが、僕の趣味は長風呂でして。その日も本を一冊、湯船で読んでいました。中島らもの文庫で、僕ら酒飲みにぴったりな――」
「『今夜、すべてのバーで』? いい話でしたね。あの人、小説も書けるんだって驚いちゃった」
「僕もッスよ。しかも本当に面白かった。だから一気に読んでしまって、気がついたら風呂場でひどく長い時間を過ごしていました。まだ陽が沈みきらない時間から読みはじめたものだから、部屋の電気はつけてなくて、湯船からあがった時にはあたりは真っ暗になっていました。――そう、ある一ヶ所を除いて」
む、とクズハが呟き、唾を飲みこむ音がここまで聞こえてきた。鍋をよそう手もいつしかとまっている。
「ぼぉっとね、暗闇の中に浮かんでたんスよ」
アオがこちらに視線をむけた。
「ねぇ先輩。先輩ならわかるはずッスよ。夜、僕しかいないはずの部屋に浮かんでいたアレが、いったいなんだったのか」
「……なんだっていうんだ」
「僕はすっかり忘れていたんスよ。風呂にはいる前にも、確かにそれを見ていたというのに」
「ま、まさか、そいつは!」
「ええ、女の――確かに女のまっ白い顔が浮かんでいて」
そして、彼は純朴な少年に戻ったかのように、にっこりと笑った。
「風呂にはいる前、AVを見てたの忘れてたんスわ」
「死にくされぇぇぇぇぇ!」
クズハの絶叫が室内に響き渡った。いやたぶん、このマンション中に響き渡った。
「つけっぱなしのビデオがブラウン管に映ってましてね、アンアン言うてましたわ」
「おまえ、そこだけわざとらしく関西弁使うのやめろよぉぉぉぉぉ!」
まったく、こんなところでも馬鹿をやれるなんて、相変わらず肝の据わったやつらだ。
素足で顔を踏まれて喘ぐアオから目を離し、隣の様子をうかがってみる。ここで三人が死んだと聞いて、おれはむこうの二人ほど気楽ではいられなかったのだが。
意外なことに少女は眼を細め、薄く微笑んでいた。
ふと視線があい、ぽつりと呟かれる。
「へんなひとたちね」
そうだな、おれもそう思うよと、静かに頷きをかえした。