クロスポイント
抜けるように青い空へ、おれはぼんやりと紫煙をくゆらせている。
住宅街の公園だ。夕暮れの時間帯からか、視線をおろせば、遠くに買い物帰りらしき主婦や制服姿の子供たちの姿が見える。もう六月なのかと、彼女らの半袖を見て気がついた。
この仕事を始めてからすっかり季節に疎くなってしまったように思う。そういえば新しい服もしばらく買っていない。昔は気にいっていたはずのジョージコックスも、ふと踵をあげて見ればずいぶんとソールがすり減っていた。こんな風に厭世的な気分でいる時は、自然とつまらないことがつづいてしまうらしく、いつのまにか煙草の火までもが消えている。ジッポーを取りだしてこすっても、今日はどうにも機嫌が悪いようだ。なんの返事もない。
溜息をついて、煙草を二つに折った。代わりに本でも開こうかとも考えたが、時計に目をやれば、そろそろ待ち人がくる時刻である。おれは立ちあがろうとして、しかし、不意に通りがかった親子に目を奪われていた。
三十代半ばと思われる女性と子どもの二人組で、習いごとへ向かう途中なのだろうか、やんちゃそうな子どもの方は空手着らしき服を帯でくくり、肩に背負っている。並んで歩く姿は微笑ましいものであったが、その会話の内容がひどく……ひどく気にかかった。
「ねぇ、あのおじさん変! なにやってるのかなっ? どうしてこんなところにいるの?」
「しっ、見ちゃいけません!」
そいつらにむかって唾を吐き捨て、「がおおお!」と叫んでやった。
母も子も泣きながら逃げていった。
――話を戻そう。ええと、そうだ。待ちあわせの時間なのであった。これでもおれはれっきした勤め人で、待っているのは二人の年若い同僚なのであった。
平日に公園のベンチで座っているからって、誰もが失職したお父さんだと思うなよ? そりゃあちょっとばかし変わった仕事だし、時間も不規則だし、収入も不安定で、道行く人には不審と哀愁の入り混じった目をむけられ、子どもには無邪気な誤解を受けがちなのだが、その、違うのである。無職ではないのである。かろうじて、なのかもしれないが……。
そう胸中で抗弁しているうちに、むこうから見知った顔が二つ並んでやってきた。柳のように細いシルエットの優男と、まるで少年のように健康的に焼けた肌をさらした女。アオとクズハ、どちらもおれの後輩にあたる。
「やあ、相変わらずッスね、先輩。硬派というか、なんというか」
アオがベンチのそばまでやってきて、大仰に肩をすくめてみせた。顔はいいくせに、いつだって芝居がかっているのが、この男の残念なところだ。
「うわぁ……風邪ひきますよ。ほら、早くこっちにはいってくださいよ、もう」
クズハも腰に手をやり、細く整えられた眉をあげて、呆れた表情をつくる。
二人のその様子に、なるほどと一人ごちた。あの親子に不審に思われたのは、こっちの理由からだったのか。どうりで煙草の火も消えてしまうわけだ。
差しだされたクズハの右手には、なにもない。おれの目にはそのように映って見える。だが、おそらく、そこにあるのは。
「通り雨とはいえ、傘も差さないなんて、モグリさんマジかっちょいいデスね。頭がどうかしてるとしか……」
「前にも言ったと思うが、その、モグリっていうのはやめてくれないか」
「だって、モグリさんはモグリさんじゃないデスか。ねー、アオくん」
アオは苦笑して片手をひらひらと振った。もう一方では、彼もまた傘を持っているのだろう。
もう一度だけ空を見あげる。そこには雲一つない青空が広がっている。
この仕事をはじめると決めたあの日から、一日と変わりなく頭の上にある景色だ。
「まぁ、それじゃあ行こうか」
おれは立ちあがり、二人の同僚の肩を押した。
――先の親子を連れた警官に呼びとめられたのは、そのわずか五分後のことである。