「花畑宗右衛門 乱刃録」執筆考 (2)
「好きこそ物の上手なれ」は有名な言葉ですが、同じく「下手の横好き」も有名です。
「果報は寝て待て」に対して「まかぬ種は生えぬ」や、「三人寄らば文殊の知恵」に対して「船頭多くして船山に上る」など、対となる、真逆の意味を持つ言葉は大抵存在します。
少しく話が逸れましたが今回、話したいのは最初の言葉、
「好きこそ物の上手なれ」です。
対義語があるということはすなわち、それは必ずしも……というわけではないと言っているのでしょう。
さて、
書き終えてみてよくよく感じましたが、やはり私の時代劇好きはどこまで行っても単なる「好き」でしかないようです。
時代考証などの土台を踏まえることは出来ても、そこを踏まえつつ、奇想天外で荒唐無稽な娯楽作品をを書けはしない。
まことに凡夫の我が身を振り返り、池波正太郎先生や山田風太郎先生といった偉大すぎる先達の皆様を思うと、力量の差を嘆くのと同時、如何に本物は着眼や発想が凡人離れしているかが改めて分かり、何とも言えない気分になります。
ですが納得はしています。
自らに対する憤りと共に。
正直、今回の三本同時連載で何故か一本だけほぼ毎日更新し、早々に書き上がったのは畢竟、読み手の方々への配慮よりも単純に自分が「書きたい」という欲求で書いていた……つまり常に自分へ戒めていたはずの自慰行為的な執筆をしてしまったわけです。
言わば自分で自分の定めた禁を破ったがゆえの、当然の結果。
我ながら情けなく思います。
自分が決めたことすら守れない人間が、人様を楽しませるものなど書けはしない。当たり前のことです。
ただ、少なくとも如何に自分が未熟であるかを悟れた分、完全に無駄な作品ではなかったとも感じています。
感情的には削除すらしたいところですが、そういった意味で、
自らへの新たな戒めのために、これはそのまま置いておくことにいたします。
願わくば、またぞろ初心を忘れるようなことがないようにと祈って。