執筆考という名の独り言(14)
毎度のように言っている気がいたしますが、以前にも書きました通り私は読み手であり書き手でもあります。
それゆえ既存の商業作品は言うに及ばず、こちらのサイトに掲載されている作品にも出来うる限り目は通しているのですが、別に私は新しい作品(内容が斬新などの意味でなく、執筆された時期が新しいという意味で)を読みたいわけではなく、単純に面白い作品が読みたいという渇望から、相当に古い作品まで掘り下げて検索をかけ、逆に新しいものは後回しにしてまで読んだりと、相変わらずというか我ながらというか、天邪鬼な読み方をしています。
今回はそんな行動の中で気づいたことを少しばかり。
どうやら、こちらのサイトで活動してらっしゃる方には大きく分けて三パターンの方がおられるようです。
一つは、「最近、一、二年以内に登録をし、執筆活動を始めておられる方」。
一つは、「もう数年も前から活動を続け、今もなお書き続けておられる方」。
最後に、「数年前に一、二年ほど活動し、今はもう完全放置されている方」。
こんな感じに見て取れました。
無論のこと、こちらでの執筆活動は非営利活動である以上、自由意思で止めるも続けるも勝手に決めてよいのは当然なのですが、そうしたことではなく、何やら、はたとする部分があり、私見を述べさせていただこうかと筆を執った次第です。
私の思うに、面白い面白くないも当たり前ながら重要なものの、継続して書き続けることが如何に大変であるのかが、他人事のように言うのも変な話ながら、つくづく身に染みて感じさせられました。
すべてを調べたわけではないので憶測も甚だしい話ですが、恐らくこちらに登録されている方で今も実際に活動している方って、全体の三割前後いるかいないかなのでは? と、思ってしまうほど約一、二年で活動を休止してしまう方が多々おられるように見受けられます。
繰り返しますが、趣味である以上はいつ活動を止めようとも書き手さんの自由です。
ただ、その上で、
たかだか趣味だからこそ、何も完全に活動を休止してしまうほど自分を追い込む必要も無かったろうになどと、手前勝手な推測で老婆心を働かせてしまったりもします。
趣味というのは貴重です。長い人生へうるおいを与え、活力をもたらしてくれます。
少なくとも、私は趣味に対してそういった認識です。
それを「飽きた」のか、「疲れた」のか、理由は分かりませんが一つ、失うというのは一度きりの人生において大きな損失に思えます。
確かに、「読んでもらえない」とか、「反応が無い」とか、そうした声はいくつも聞きます。
気持ちは分かるつもりです。何せ、私も書き手の末席には身を置いていますので。
趣味で書いているだけ。勝手に公開しているだけ。そうした理屈は頭で理解していても、そこは当然、人間ですから欲があって当たり前です。何らかのリアクションを求めるのは正常な欲求です。
が、そこで「書きたい欲求」が「反応への欲求」に負けてしまっては、趣味として見た場合、やはり健全とは言い難いでしょう。
趣味や遊びの大前提は、「好きだからやる」であって、他者からの見返り(たとえそれが即物的なことでなくとも)を求めるのが優先されてはもう根本がずれてしまいます。
もちろん、プロなら話は別でしょうが、プロでないなら逆にそれこそどうでもいいと開き直るくらいの気分でやらなければ、せっかくの娯楽が苦痛になってしまう。それでは台無しです。
理想でしかないと分かっていても、やはり書き手と読み手が共に満足できるのが趣味として見た場合、最良の形でしょうから。
願わくば現在、もし内的要因ではなく外的要因によってモチベーションが上がらず、執筆が滞っている方がいるのなら、どうかおかしな無理はなさいませんようにと、申し上げさせていただきたく存じます。
私個人としては、ここのようなサイトは商業では読めないような作品が読めることが一番の利点であると思っているだけに、安易な迎合やオーバーペースで疲弊し、そうした作品を書いてくださる方々が擦り減ってしまうのは損失以外の何物でもありません。
どうぞ皆様、肉付けの部分に関しては読み手の皆様への配慮を講じようと努めるのは言わずもがなとしても、骨の部分、芯の部分は良い意味で自分を、我を通すような余裕をお持ちくださいますようにと、お願いをいたします。
なんて、
実は偉そうなことを言っておりますが、要するにこう書いてきた内容すべてが自分で自分に言い聞かせているようなものですので、気にせず読み飛ばしてくだされば幸いです。