「カナメノカナメ」執筆考 (2)
同時連載している「FUTURE STRIDE」に負けず劣らず……というか確実に勝る勢いで長い前置きを続けている「カナメノカナメ」ですが、恐ろしいことにまだまったく話が進展しておりません。
早く話を進めたいのはやまやまなのですが、「FUTURE STRIDE」が伏線のために長く前置きを書いていたのに対し、「カナメノカナメ」は説明すべき下地が多すぎて長くなってしまっているという違いがあります。
この違い、それほど大きな差異ではないと思われるかもしれませんが、そこが困ったことにそうではないのです。
完全に自分の作り出した世界観、ファンタジーで話を書くのは極めて簡単ですが、これが正式な下地が存在するものを書くとなるとそうはいきません。
雛形がある以上はそれに沿い、徹底的に調べてからでなければ書く気になれないのです。
「フィクションなんだから細かいことにこだわらなくてもいいじゃないか」という向きもあろうとは思いますが、あくまで私は現実に忠実でありたいのです。
それは現実に対する礼儀であり、先人たちへの礼儀であり、歴史に対する礼儀だと私は思っています。
ただ誤解をしていただきたくないのは、これはあくまでも私の主義によるものであり、ともすればひとりよがりでしかないという自覚のもとにおこなっているという点です。
歴史や既存の書物を題材にしつつ、自由奔放に書くことを私は決して否定しているわけではないことをここに明言しておきます。
とはいえ、そこまで頑なに史実や歴史にこだわる理由についても、同時に述べておきたいと思います。
五十七歳の若さで鬼籍に入られた十八代目、中村勘三郎さん……失礼、若いころから見ていた私の感覚からすると、すでに亡くなった今でも、勘三郎さんではなく勘九郎さんというイメージが強く、どうも勘三郎という呼び名だと違和感を感じてしまって妙な気分です。
話が横に逸れましたが、その勘三郎さんがあるインタビューで語った言葉が、私にとって創作活動に限らず人生の指針となり、心に深く刻まれ留まっています。
曰く、
「何事も基本を身に付けてこそ創意工夫が出来るんです。基本が出来ていて、そのうえでそれを崩し、新たな形を作り上げるのが『型破り』です。だけど誤解してる人が多い。基本をちゃんと勉強せずに好き勝手をやったのでは、それはただの『形無し』なんです」
畑こそ違えど、芸道を進むその真摯な態度と思慮の深さに、私は大いに感銘を受けました。
ゆえに、この不自由にして自己満足とも言えるわがままを、私は押し通さずにいられないのです。
どうかこうした経緯を御汲み取り頂き、皆様にはどうぞ今後もご寛容のほどを引き続きお願いいたしたく存じます。