執筆考という名の独り言(7)
才能というものは、実は三種類あるというのが私の考えです。
基礎は「努力」。
努めて力を注ぎ、目的に向かって進む力。
それにふたつを加えます。
ひとつは、目的を成し得るまであきらめずに続ける「持続力」。
ひとつは、その目的に対して効率の良い方法を思いつく「能率的行動選択力」。
大抵の場合、才能が無いとか、努力しても報われないなどと泣き言を言う人の大半は、後に加えたふたつのどちらか、もしくは両方が足りない人でしょう。
とはいえ、別にそう嘆くことを悪いと言っているわけではありません。
最初に言った通り、これもまた才能。
持たずに生まれたとしても仕方の無いことです。
ただし、
才能が無いから諦めるという思考は、短絡的に過ぎて好きにはなれません。
それを言うなら、私だって嘆く場面は多々あります。
つい先日も泣いたばかりです。
書こうと思ったものが書けない。
それだけのことでしたが、泣くには十分なショックでした。
PCに向かい、必死に文章を思い浮かべようとしても、一向に浮かんでこない。
キャラクターや世界設定などもすべて整えたうえであるにも関わらずです。
書けないジャンルがある。
それは考え方によっては、たかだか無数にある選択肢の中の、わずかにひとつが塞がれただけとも思えるでしょう。
ですが、ショックでした。
「書けるけど書かない」のと、「書けないから書かない」では、意味合いがまったく違うのです。
細かなジャンルについては記載しません。
何らかのいらざる誤解を生む危険性があるからです。
ただ、「王道のジャンル」だということだけお伝えしておきます。
それからしばらくし、ふとした時によくお話しています、編集の仕事をなさっている知人に出会い、素直に心境を吐露しました。
すると、
「無理に書く必要は無い」と、知人は言うのです。
会話の詳細は、これもやはり省略いたしますが、簡潔に言って、私なりに受け取った意味合いは、「それぞれに自分の書けるものを書けばいい」というものだと解釈しました。
人はそれぞれ違います。
言うところの、「個性」というものです。
始めこそ、「誰でも書けるもの」しか書けないかもしれません。
いえ、ほとんどがそうでしょう。
でも諦めずに、ひたすら筆を取り続けていれば、いつかは、
「自分にしか書けないもの」が書けるのではないか。
そう思いました。
道は無限にあります。
しかし、通れる道は限られています。
その中で、自分にしか通れない道を見つけられたなら、
それはどんなに素晴らしいことでしょうか。
今、私はこれまででも最大級の生みの苦しみを味わっています。
調子が悪いなどという生易しいレベルではない、もはやこの瞬間にも筆を折りたくなるほどのものを。
それでも、
私は書き続けます。
書くことが好きだから。
書くことで何かが起きると信じているから。
私のような人間の書いた稚拙な文章を、わざわざ読んでくださる人がいる。
そんな奇特な方たちのため、私は書き続けます。
面白いものが書けるかは分かりません。
現在、私はもう何が面白くて何が面白くないのかも分からないほど混乱していますので。
ですが、そのうえでなお書くのをやめません。
ひとりでも私の作品を見てくださる人がいる限り。
そして、
いつか、「自分にしか書けないもの」を書くために。
次回作の完成には、まだ時間がかかると思います。
願わくば、皆様には今しばらくの猶予を請い、これにて今回の独り言は終いとさせていただきとう存じます。
では、
今度は作品の完成後。
失礼をいたします。