執筆考という名の独り言(4)
読者の方からの直接のご意見というのは、本当にありがたいもので、それをいただけるだけで創作意欲が倍増しになるほどです。
さて、今回貴重なご意見をいただいたので、それについて少し細かくご説明をさせていただきたいと思います。
ここでよく私が申し上げるところの「自慰行為」についてです。
自分で書いて自分で発表するのだから、どんなに好きなように書こうと勝手だろうという考え方があるのは百も承知です。
当然ですが、ここで言うのはあくまで私見です。
そこをまずはよくご確認の上、読み進めてください。
「自分で書く」までならば、「自慰行為」は当然でしょう。
決して否定はしません。
しかし、「発表する」が出てきたら、もう話は別です。
有償無償に関わらず、人の目に晒すからには、それはエンターテイメントでなくてはならない。
それが私の主義です。
もちろん、技量不足でエンターテイメントの体を成すことが出来ない場合も発生するでしょう。
でもそれはそれ。
問題なのは、そうしようとする意思の部分です。
ただただ自分が楽しむために作品を書くというのも、趣味という範囲で考えるなら決して間違いではないのですが、こと衆目に晒すという行為をした時点で、もうその理屈は通りません。
人に見せるからには、人を楽しませなければならない。
人に見せるからには、自分の勝手な都合で切り上げるような真似をしてはいけない。
誰かの目に作品を見せた時点で、その作品はもう、自分だけのものではなくなっているのです。
極めて特殊な共有といっていいでしょう。
そして書き手は、読み手と共有した作品を好き勝手にしてはいけない。
読み手の方のことを考えつつ、その上で自分の主義主張を込め、さらには娯楽として成立させる努力をする。
読んでいただくという大前提がある以上、作品は書き手と読み手の共有物です。
書き手だけが楽しんで良いはずはありません。
ただし、逆もまた然り。
読み手に媚びて、自分の考えの無い作品を書く。
これもまたやってはいけないことです。
書き手と読み手が一緒になって楽しむ。
それこそが私の理想であり、また作品を書く上で曲げることの出来ない信条です。
だから私はあえて万人受けはしないと分かっていても、作品を書き続けます。
最後まで。
自分の書きたいと思うものを書く権利の代わりに、それを読んで下さる読み手の方を決して裏切らないという義務を負う。
これが私の小説というものに対する考え方です。
さて、
長々と書いてきましたが、これである程度の答えになってくれていれば幸いです。
自分でも自覚していますが、どうにも話を整理する能力に欠けているのが私の短所のひとつですので……。
追記
ご指摘いただきました「剣客少女 -Girly Edge- 」の(Girly)は、「少女らしさ・少女っぽい」などを意味する形容動詞です。
登場人物がほとんど女性という作品の特異性から、悪戯に付けた副題ですので、実際はあまり深い意味は無かったりします。
改めて、ご指摘とご感想、ありがとうございました。