次回作執筆考(4)
自分から苦しい道を選ぼうとする人は間違い無く少数派でしょう。
基本的にはそれ自体、何ら得がありませんから。
しかし、それがその先の喜びへと通ずる道だとすれば、さほどおかしな選択というわけではありません。
無論、安易に楽しみや喜びを見出せるのならそれもよしでしょう。
が、人間は刺激に対して簡単に慣れてしまいます。
Easy come easy go
有名な英語の諺ですね。
楽に手に入れたものは簡単に失われる。
だから人は苦しみや痛みに自ら身を投じます。
艱難辛苦に耐え、長い時間をかけて得た喜びがどれだけ価値あるものかを知っている人はそんなものです。
もちろんですが、こういう考えも間違いではありません。
「苦しみや悲しみは現実で十分味わっているから、せめて夢の中ではただ楽しくありたい」
まさしく正論です。
とはいえ、それゆえ(所詮は夢)という感覚に達してしまう危険性も常に付きまといます。
夢を夢として最大限に満喫する一番のコツは、(現実と夢の境界を限り無く近しくする)ことなのでは。そんな風に私は思います。
まあ、他し事はさておきまして……、
気は少し早いかもしれませんが、そろそろ次回作の予定を立てなければと、頭を悩ませております。
なんだかんだでボツ原稿としてはよく健闘した「Figlio Figlia」ももうすぐ最後。
なにがしか、この作品から感じるものがあっていただけたなら何よりのことですが、それは読者の方のお役目。
私はあくまでも作り手。
投稿用の原稿もさすがに詰めに入らなければいけない時期に来ましたし、この辺りは苦慮するところです。
以前にも申し上げたかもしれませんが、手持ちのボツ原稿はそのまま手を加えずにお見せできるような代物ではありません。
どうしても一からの作品ほどではないにしろ、手間はかかります。
度合いで言いますと、新作でかかる手間が十だとするなら、ボツ作の手直しはおよそ五から七といった程度でしょうか。
つまり、新作四本を書きながらボツ作を手直しするというのは、私にとって四本半の新作を書いているのと同じ負担と考えていただければ分かりやすいかと思います。
とはいえ、すでにボツ原稿のストックにはファンタジーが数えるほどしかありません。
それに加え、今追い込みに入っている原稿の内容との兼ね合いを考えると、現実的にこれ以上ファンタジーを書き続けるのはきついものがあります。
そこで、次回作は「Figlio Figlia」終了時点での筆のノリによって作品を決めてみようかと思っています。
まさに行き当たりばったり。
私らしいといえば私らしくていいのではないかと思っています。
実際、その場のノリで書くのは楽しいですし、ボツ原稿とはいっても、スタートとゴール程度は決まっています。
途中経過はかなり自由が利くわけです。
それなら、出来るだけ自由に書いてみるのも楽しいのではないか。
個人的快楽が先行するのは娯楽作品を書く上でちょっと考えものではありますが、そこはそれとして、皆さんにも楽しんでいただき、私も楽しみたい。
これは欲張りでしょうか?
ともかく、次回作は「Figlio Figlia」終了もしくは「Nympholic amon」削除後、すぐに連載を開始する予定です。
今回はボツ原稿利用が前提ということで、準備期間無しで新作を提供出来るという点だけは、良い点かも知れません。
まあ、どこまでいってもボツ原稿の再利用。
「Figlio Figlia」で分かっていただけたと思いますが、その程度の期待感でお待ちいただければ幸いです。