執筆考という名の独り言(2)
何事においても、気分転換というのは大切な行為です。
停滞した気分を一旦リセットし、脳に新たな動きを促す。
そうした意味では、物作りをする人間にとって、気分転換はそれ自体ですでに間接的な制作過程のひとつなのかも知れません。
私の気分転換は至ってごく普通です。
音楽を聞く。
映画を見る。
小説を読む。
もちろん、漫画も読みます。
アニメも見ますし、ゲームもします。
辞典を読むのはもはや日常的な行為ですが、気分転換とは無縁かというと、いまだに新たな発見などがあり、なかなか飽きないものです。
伊和辞典に目を通し、「へえ、こんな単語があるものなのか」と思ったり、
国語辞典に目を通し、「へえ、こんな言葉があるものなのか」と思ったり。
恐らく、人間はどんなに努力しようと、知らないことのほうが多いまま、生をまっとうするのが当然なのでしょう。
しかし、だからこそ学ぶことは喜びです。
知れど学べど、尽きることなく好奇心が湧き上がる。
生きている実感を得られる貴重な瞬間のひとつ。
私は万能にも、物知りにもなりたいわけではありません。
そんなことは、自己顕示欲にまみれた人間に任せておきましょう。
ただ知る喜びを味わいたい。
より多くを学ぼうと、好奇心に突き動かされる、子供のような気持ちを抱きたい。
結果がどう出るかは、それこそ興味の外です。
始まりと終わりは(点)。
経過は(線)。
どちらを意識して生きるほうが楽しいか。
人によって違うのかもしれませんが、少なくとも私にとっては考える必要すらありません。