夜明け前
こよりが再び目を開けると、まだ夜は明けきっていないようだった。
隣で規則正しい寝息をたてている陽一が万が一にも起きぬよう、こっそりとため息をつく。何もしてないと、時間って長い。
昨日の昼間、ついうっかりと昼寝をし過ぎてしまったことが原因らしく、まだ暗い内から目を覚ましてしまったこよりは、二度寝にも失敗してこうして煩悶しているのだ。
いっそ起きちゃおうかな。もう眠れないのであれば、やれることはたくさんあるのだから、それに手をつければよいのである。
だが、それでは物音をたてて陽一を起こしてしまいかねない。さすがに夜明け前にたたき起こしてしまうのは気がひけて、ずるずると決心がつかないまま、こよりはこうしているのだった。
薄ぼんやりと明るくなりつつある天井へ向けていた視線を、ふと、陽一の方へ移す。彼が起きる気配は無い。
あ、ひげ。
陽一のうっすらと生えたひげに目をとめると、どうにも我慢がならなくなり、こよりは、彼の顎のあたりに指を這わせた。起こさぬように気づかいながら、あくまでも、そっと。そして、かすかにざらつく感触を楽しむ。
本人に話したことは無いが、こよりは陽一のひげが好きだ。と言っても、常に生やしていて欲しいというほどの強い欲求ではない。
ただ、営業という仕事柄、当然平日はきれいに剃られてしまうそれが、休日の朝などはしばらく放ったらかしになっていたりする。きっと自分は、そんな普段はめったに見ることができない陽一の姿を見られるのが嬉しいのだろう、とこよりは思う。
そっと陽一の顎を撫でていると、好きな人のこれほど無防備な姿を堪能できるなんて、と、一緒に暮らせる幸せが胸を締めつけ、愛しい気持ちが高まってくる。
こよりは、ゆっくりと身を起こすと、相変わらず穏やかな呼吸を繰り返している陽一の顔をのぞき込んだ。しばらくそのまま見つめてみても、陽一は身じろぎもしない。
くちびるにするのはなんとなく気恥ずかしくて、こよりは、先ほどまで指を這わせていた顎のあたりに軽いキスを落とした。すると。
「どうせなら、こっち」
そう言って、片目だけを開いた陽一が、自分のくちびるをちょんちょんと指差した。
「あっ」
慌てて離れようとするこよりの体を、いち早く回された陽一の腕が引き止める。ちょうど腕枕のような体勢でこよりが倒れ込むと、頭の上から陽一の大きなあくびが聞こえてきた。
「おまえ、早いなぁ」
「なんで起きてるの……」
「くすぐったかったから」
ということは、ひげをさわり始めたあたりで起きていたらしい。寝込みを襲われるとは思わなかった、と陽一は笑っている。
恥ずかしさで顔を上げられないこよりをよそに、陽一はのんびりと声をかける。
「こより」
「……なんですか」
「こっちには?」
また、陽一が自分のくちびるを指差している気配がする。
「もう勘弁してください」
「ははは」
ああ、もう。これから、しばらくはこれをネタにされる。
でも、とこよりは思い直す。それもこれも、一緒にいられるからこそだ。
起きているならもう遠慮することはない、とばかりに大げさにため息をつきながらも、こよりは幸せをかみしめていた。
【終】