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如何にも役所の応接間と言った無機質なパイプ椅子に女は座っていた。いや、少女というべきか。山田には女の年齢がいまいち分からなかった。二十代を超えているようにも見えるし、もっと若そうにも見えた。
生活のほとんどをネットワークに接続して情報ゴミ収拾の仕事をしている山田には、実物の人間の年齢に差して興味が持てなかった。
けれども、女の傍に似たような顔の中年女性が立っているのに気がついて、さすがの社会的ネットワークに興味のない山田もこの二人が親子関係であることには気がついた。
そこで琴吹が「鹿尻さん、こちらが先日お話しした山田さんです。」と、紹介をした。つられるようにして山田は頭を下げた。
「山田さんは情報ゴミ収拾の専門家でして……必ずお力になれるとおもいます」
琴吹の些か力強い言葉に山田は視線を投げかけた。
面談はすると言ったが、必ずしも期待に添えかは未知数である。
「……はぁ、まぁ努力します」と、だけ言って山田は少女と向き合うようにして置かれたパイプ椅子に座った。
◇
少女の名前は鹿尻スズネ。
今回の仕事の依頼者である。
一年ほど前からインターネット上に少女の顔と無修正AV女優の体をくっつけた画像や動画がばら撒かれる事案が発生した。警察にも相談はしたものの犯人の特定には至らず、画像や動画、加えて合成を行ったデータセンターから個別に削除依頼をするものの、イタチの追いかけっことなり次第に少女は恐怖症を増悪させ……今に至る。
よくある話だなぁ、と山田は思いながらいつくかの質問事項に手書きで入力されている紙を山田はパラパラとめくった。隣で会話を進行する琴吹の話を右から左へと流していた。
とはいえ、警察に相談をしているのなら何故市役所が間に挟んでいるのだろう。山田はぼんやりと思った。通常、こうした事案には警察から依頼される場合がほとんどだ。
犯人は元恋人、元配偶者……一般人のセクシャルな写真がネットの海にばら撒かれる時、大抵の場合はそうした元身内であることがある。あるいは己の恋心を自分の良いように変換してストーカー化した第三者か。
どちらにせよ、人間がやることだ。
人間は、消えない形で相手を所有しようとする。
山田は紙をめくる手を止めずに、視線だけを上げた。
鹿尻スズネは、膝の上で両手を重ねていた。指先が白くなるほど強く握られている。だが、その顔には、怯えとも、怒りともつかない、曖昧な表情が貼りついていた。
奇妙なことに、“傷つけられた者”特有の生々しさが、薄い。
代わりにあるのは──どこか、諦めた者の静けさだった。
隣に立つ母親らしき女性の方が、むしろ落ち着きなく視線を泳がせている。娘を守ろうとする者の緊張が、その肩に張り付いていた。
当の本人だけが、妙に静かだった。
「……あの」
不意に、スズネが口を開いた。
山田は顔を上げる。彼女は山田を見ていた。まっすぐに。まるで何かを確かめるように。
「消せますか」
声は小さいが、はっきりしていた。
「全部」
その言葉には、懇願の響きはなかった。ただ、確認だけがあった。
出来るのか、と。
出来ないのか、と。
山田は一瞬だけ答えに詰まり、それからいつものように肩をすくめた。
「まぁ……元データが残ってる限りは」
完全に消す、とは言わなかった。言えなかった。
ネットワークの海は広い。
一度溶けた情報は、形を変えて残り続ける。
山田自身が、それを毎日見ている。
「でも、表に見えてる分は減らせますよ」
それは、慰めでもあり、事実でもあった。スズネは、わずかに頷いた。
その動きは、どこかぎこちなかった。まるで──その言葉を、人間の言葉として処理するのに時間がかかったかのように。
山田は、理由もなく、背中に薄い寒気を覚えた。
◇
「まず、基本的なことですが」と、山田は言った。
その場にいる全員が山田の方を見た。
「AIというものはデータセンターに情報が入力されない限り情報を出力できません」
山田は読んでいた紙をテーブルに置き無造作に両手を組んだ。
「よくある誤解ですが、AIは情報の創造はできません。無いものは作れませんし、そもそも出力することはあり得ません。そうなると、あなたの……鹿尻さんの情報をデータセンターに読み取らせた人間・あるいはAIに指示を出した人間がいる訳ですが心当たりはありませんか」
「その話を、貴方にしなくてはならないんですか?」
山田の言葉に被さるようにして少女の母親の言葉が矢尻のように飛んできた。
「市役所の紹介とは言え貴方、個人の人ですよね?個別の話をする必要がありますか?」
「……警察の方でも犯人の特定には至らなかったとありますが、ネットに散らばったデータは悪意ある無しに関わらず拡散されていきます。こういう下世話なものは特にね。表層にあるものを削除し続けていても、情報を読み取らせた元のAIデータセンターから元情報を削除しない限り、こうしたデータは消すことは出来ません」
「だから削除を……」
母親の声は、縋るようでありながら、どこか苛立ちを含んでいた。山田はわずかに首を振った。
「削除“だけ”では足りません」
そして、スズネの方を見た。
「お母さん、私と同年代ならご存じだと思いますが……二〇二〇年代に、規制の追いついていないAIデータセンターが世界中に乱立しました」
指先で、テーブルを軽く叩く。
「企業だけじゃない。個人、研究機関、海外の匿名サーバー。学習効率を競うために、あらゆる画像、映像、音声が収集された。出所も、同意も、確認されないまま」
母親の表情が、わずかに強張った。
「一度でも学習に使われたデータは、“コピー”として無数に分散します。元を消しても、別の場所に残る。さらに別のAIがそれを学習して、また別の場所へ広がる」
山田はそこで言葉を切った。
「つまり、“最初に読み取らせた場所”を特定しない限り、完全な削除は不可能です」
沈黙が落ちた。
蛍光灯の低い唸りだけが、天井から降りてくる。
スズネは、何も言わなかった。ただ、山田を見ていた。
「……私は」
スズネの唇が、わずかに動いた。だが、その続きを遮るように、母親が言った。
「その話をする必要があるんですか」
声は先ほどより低かった。防御ではなく、拒絶の響きだった。
「娘は被害者です。悪いことなど何もしていません」
山田は、しばらく母親を見ていた。そして、あっさりと言った。
「そうでしょうね」
同意でも否定でもない声だった。
「私は……まぁ、別にどちらでも構いませんが」
本音だった。誰が悪いかなど、仕事には関係がない。
存在するデータを消す。それだけだ。
そのとき。
こつん、と。
隣から、琴吹の靴先が山田の脚を軽く突いた。横目で見ると、琴吹は微動だにせず前を向いていた。だが、ほんのわずかに、視線だけが山田へ寄越されていた。
──余計なことを言うな。
そういう合図だった。
山田は小さく息を吐いた。そして、もう一度スズネを見た。彼女の目は、相変わらず静かだった。




