機械は海の内に友の夢を見るのか
練習がてら書いてます。
「あー…いわゆるデジタル恐怖症ってやつですか」
山田さん、それは古い言い方ですね。今はもっと細分化されていますよ。
スクリーン画面に表示された音声通話からそう言われて山田恭平は顎の先を指でなぞった。通話相手は山田の雇い主である政府機関--AI情報汚染対策課--琴吹である。
「その、汚染対策課に相談に来たデジタル恐怖症の相談者と面談をするですか?俺が?」
この文言の後には“俺はAIから出た情報ゴミを右から左に片付ける……ただのアルバイトだぞ”と、いう言葉が暗に含まれている。
市役所のどこかの部屋から繋がっているらしい無機質な背景のど真ん中に座する琴吹は背景と同じくらい無機質な顔のままに言った。
「そうです。お相手の方は殆ど一切のデジタル機器が触れませんから直接……」
「いや、違う!そうじゃなくて、いっかいのアルバイトでしかない俺がなんで一般人の話なんぞ……」
「まぁ、それは色々と複雑な経緯がありまして……今回は第三者にお願いをした方が良いという結論に至った次第です」
分かるような分からないような言い方をするのはどこの公務員も一緒らしい。
琴吹はそう言うと、一瞬だけ視線を落とした。
画面越しであるにもかかわらず、そのわずかな間が妙に長く感じられる。
「……山田さん。あなたは、通常の清掃員よりも深層領域への潜行経験がありますね」
「まぁ、一応は」
曖昧に答える。
深層領域――それは通常のネットワーク表層ではなく、AIの学習用データが蓄積されている基盤層だ。
一般の清掃員が立ち入ることはまずない。そこにある汚染は、ただのスパムやノイズとは性質が違うからだ。
琴吹は続けた。
「今回の案件は、その深層領域に関係しています」
その一言で、山田の背筋にうっすらと冷たいものが走った。
「……消せないんですか。遠隔じゃ」
「完全には」
琴吹は即答した。
「削除は試みました。しかし、対象データは単一のサーバーに存在しているわけではありません。ある日を境にして自己複製し、分散し、再構成されています」
「再構成……?」
「まるで、自分が消されないように振る舞っているかのように」
その言葉に、山田は思わず笑った。
「はは……それじゃまるで、生きてるみたいじゃないですか」
冗談のつもりだった。
だが、琴吹は笑わなかった。
無機質な背景。無機質な顔。
その中央で、琴吹はただ山田を見つめていた。
数秒の沈黙。
「……だからです」
静かな声だった。
「直接、潜行して確認していただく必要があります」
山田は眉をひそめた。
「確認って……何を」
琴吹は一度だけ瞬きをした。
「それが、本当に“削除すべきもの”なのかを」
その言葉は、奇妙に重かった。
まるで。
削除してはいけない可能性がある、と言っているようだった。
◇
琴吹に言われた時刻に市役所を訪れた山田は、手持ち無沙汰に壁にかかった時計を見た。時刻は約束の十分前を指している。
早すぎたな、と思う。
別に急ぐ必要はなかった。
相手は役所の人間だ。時間ぴったりに来たところで、どうせ向こうの都合で待たされる。そういうものだと、これまでの経験で嫌というほど知っている。
だが、遅れるよりはましだ。
山田はロビーの長椅子に腰を下ろし、背もたれに軽く体を預けた。
硬い。いかにも公共施設らしい、無機質で愛想のない感触だった。
ロビーには他にも数人、人がいた。
書類をめくる老人。スマートフォンを見つめる若い男。窓口で何かを尋ねている女。
どこにでもある、普通の光景。
――普通の。
山田は、ふと違和感を覚えた。
静かすぎる。
人はいるのに、音がない。
紙の擦れる音も、靴の動く音も、やけに遠く感じる。
まるで、ガラス越しに見ているみたいだ。
山田は無意識に、ポケットの中の端末に触れた。
清掃員用の専用端末。電源は切ってある。それでも、そこにあると分かるだけで、妙な安心感があった。
デジタルに触れられない相談者。
琴吹はそう言っていた。
この建物のどこかに、その人物がいる。
山田は再び時計を見た。
秒針が、一秒ごとに確実に進んでいく。
カチ、カチ、カチ――
その規則正しい動きが、なぜか生き物の脈動のように見えた。
山田は小さく息を吐いた。
「……考えすぎか」
そう呟いた、そのとき。
「山田恭平さんですね」
背後から、声がした。
◇◇◇◇
画面越しでない本物の琴吹は、三十代前半の、いたって普通の女性だった。
一つに束ねた黒髪。カジュアル過ぎないが、堅苦しいほどでもない、程よい落ち着きのあるスーツ。袖口から覗く腕時計は細身で、無駄のない銀色の光を放っている。
「こうしてお会いするのは初めてですね、山田さん」
琴吹は、画面越しと同じ声で言った。
抑揚は控えめで、温度も低すぎず高すぎず、事務的でありながら冷たくはない。
「はぁ。どうも」
山田は曖昧に返事をした。
何を言うのが正解なのか分からないときの、癖のような相槌だった。
琴吹は軽く頷くと、無駄な前置きもなく続けた。
「相談者の方はこちらです。ご案内します」
そう言って踵を返す。
歩き方にも無駄がない。
速すぎず、遅すぎず、正確に時間を測っているかのような一定の速度。
山田は立ち上がり、その背中を追った。
市役所の廊下は長く、白かった。
壁も、床も、天井も、均一な明るさで塗り潰されている。蛍光灯の光が影を曖昧にし、距離感を狂わせる。
足音だけが、規則正しく響いた。
コツ、コツ、コツ――
「……その人、本当にデジタル機器を一切?」
歩きながら、山田は訊いた。
「ええ」
琴吹は振り返らずに答える。
「スマートフォンも、パソコンも、最近ではテレビも。触れることができないそうです」
「触れることができない、って」
山田は眉をひそめた。
「イマドキ、そんな人間生活が出来るんですか?」
今では就職活動するのにも電子履歴書が必要な時代だ。
電車に乗るのも、買い物をするのも、病院の予約を取るのも、すべてがどこかでネットワークに繋がっている。
全くデジタルツールに頼らない生活を――山田は想像することができなかった。
「いえ、カウンセラーによるカウンセリングと投薬で、一年前までは人並みには扱えたという話です」
琴吹の声は淡々としていた。
感情を排した報告書のような声だった。
一年前。
山田はその言葉を頭の中で反芻した。
一年という時間は、長いようで、短い。
人間が壊れるには十分で、世界が変わるには足りない時間だ。
ここでお人好しならば「なにがあったんですか?」と、尋ねるだろう。
だが、山田はそれをしなかった。
「はぁ、ふーん」
気のない返事だけを返し、そぞろ歩く廊下のガラス越しに見える中庭へと視線を移した。
冬の名残を引きずったような色の芝生。
誰も座っていないベンチ。
風もないのに、木の枝だけがわずかに揺れている。
ガラスに、自分の顔が薄く映り込んでいた。
その上に、廊下の蛍光灯が幾本も重なっている。
まるで、どこまでが現実で、どこまでが反射なのか分からない。
不意に、琴吹が立ち止まった。
「こちらです」
示されたのは、他の部屋と変わらない白い扉だった。
ただ一つ違うのは、扉の横に設置された端末の電源が落とされていることだった。
通常なら、入退室を管理するための認証パネルが光っているはずだ。
だがそれは黒いまま、何も映していない。
「……徹底してるな」
山田は小さく呟いた。
琴吹は答えなかった。
代わりに、物理的な鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。
カチリ、という音がやけに大きく響いた。
「この部屋は、外部ネットワークから完全に遮断されています」
琴吹は言った。
「電波も、内部回線も。一切、通っていません」
まるで、隔離室だ――と山田は思ったが、口には出さなかった。
扉の向こうにいるのは、感染者ではなく、ただの相談者のはずなのだから。
それでも。
理由の分からない、わずかな胸騒ぎがあった。
琴吹の手が、ドアノブにかかる。
「山田さん」
初めて、彼女は振り返った。
「決して、無理に理解しようとしないでください」
その言葉の意味を、山田が考えるより先に――扉が、静かに開いた。




