007 新領主アマリリス、二つの苗床
腐った領主の館を乗っ取ってから、3日が過ぎました。
私はまず、執務室の趣味の悪い装飾を一掃し、換気を行い、私好みの優雅な空間へと作り変えました。
窓からは心地よい風が吹き込み、部屋にはラベンダーの香りが漂っています。
私は革張りの椅子に深く腰掛け、足元に視線を落としました。
「お手」
「ワンッ!」
床に敷かれたマットの上で、かつて暴君として恐れられた男――前領主が、四つん這いになって私の手を舐めました。
首には革の首輪。瞳には知性の光はなく、ただ私への絶対的な服従と、媚びへつらう色だけが浮かんでいます。
「いい子ですね、ポチ」
私は彼を足置き代わりにしながら、満足げに微笑みました。
粗大ゴミの再利用も完了しましたし、そろそろ私の農場として正式に開園しましょうか。
まずは、ルールの種蒔きからです。
◇
その日の午後。
私は館の大広間に、集められていた数十人の女性たちを呼び出しました。
煌びやかなドレスを着せられた彼女たちは、不安そうに身を寄せ合っています。
扉が開き、私が姿を現すと、彼女たちは一斉に息を呑みました。
私の後ろから、四つん這いのポチがついてきたからです。
「あ……あれは、領主様……?」
「嘘でしょう、あんな姿に……」
ざわめきが広がる中、私は扇子を開き、優雅に微笑みかけました。
「ごきげんよう、私の可愛いお花たち。私がこの館の新しい女主人、アマリリスです」
私はポチの背中に腰掛け、彼女たちを見下ろしました。
「単刀直入に申し上げます。今日から、この館のルールを変えます。不潔な夜伽も、理不尽な暴力も、すべて禁止します」
その言葉に、女性たちの顔がパッと明るくなりました。
安堵の溜息。救世主を見るような眼差し。
……ふふ。単純で可愛いですね。
ですが、ただ甘やかすだけでは、良い作物は育ちません。
「ただし――ただ飯ぐらいは許しません。貴女たちは私の『花』です。美しく、香り高く、有能に咲き誇りなさい」
私は指を一本立て、新たな階級制度を宣言しました。
「今日から貴女たちを、その美貌、教養、そして『管理能力』によって4つのランクに分けます」
私は楽しげに、指を折って数えます。
「私の手足となり、館を運営する【特級(庭師)】。
ただ美しく咲き誇る【一級(花)】。
特技がなく、雑用に従事する【二級(土)】。
そして――無能で醜い【選外(雑草)】」
最後の言葉に、場の空気が凍りつきました。
「【雑草】と判断された者は、即刻、街の娼館へ出荷します。二度とここへは戻れません」
彼女たちの顔から血の気が引いていきます。
そして次の瞬間、彼女たちの瞳の色が変わりました。
今まで「被害者」として連帯していた隣の女性を、値踏みするように見始めたのです。
『私の方が美人だ』『あの子は何もできないはず』『私は雑草にはなりたくない』
――芽吹きましたね。
競争心、焦燥感、そして生存本能。
そうやって必死に根を張り、隣の養分を奪ってでも咲き誇ろうとする姿こそ、私が愛でたい「花」なのです。
「ですが、安心してください。夜はゆっくりとお休みになれるよう、特別なプレゼントを用意しました」
私は既に魅了済みの侍女に命じて、籠いっぱいの白い小瓶を配らせました。
「これは私が調合した『安眠のアロマ』です。これを寝室で焚けば、競争の疲れも、将来への不安もすべて忘れて、泥のように眠れますよ」
昼は神経をすり減らして競い合い、夜はこの香りに縋って眠る。
そうして貴女たちは、私なしでは生きられない身体になっていくのです。
◇
次は、村の改革――『土壌』の改良です。
私は館のバルコニーに出ました。
眼下の広場には、不安そうな顔をした村人たちが集められています。
私は姿を見せず、カーテンの裏からポチを操りました。
彼はバルコニーの手すりに立ち、壊れた玩具のような笑顔で叫びました。
「領民たちよ! 今までの私の圧政を許してくれ! お詫びとして……今月分の税は免除とする!」
広場がどよめきました。
「税がない?」「助かった!」「領主様が改心なされたぞ!」
歓声が上がります。
ですが、それだけで終わるはずがありません。
ポチは続けて叫びました。
「だが、村の中に、私腹を肥やす『罪人』がいるようだ! 隠し財産、食料の横領、反乱分子……。私は、清廉潔白な村を作りたいのだ!」
領主の私兵たちが、各家庭に「黒い小瓶」を配布し始めました。
私が作った魔道具、『告解の小瓶』です。
「これは『告解の小瓶』だ! もし隣人の不正を知っていたら、この小瓶にその名を囁け! 正しい密告(懺悔)を行った者には、その罪人の財産を分配し、食料を与えよう!」
村人たちの歓声が止まりました。
彼らは手元の黒い小瓶を見つめ、そして――恐る恐る、隣の家の住人を盗み見ました。
「なお、不正を見逃した場合は……隣組(5世帯)ごとの連帯責任とする! 以上だ!」
その瞬間、広場に冷たい風が吹きました。
隣人への信頼が音を立てて崩れ去り、疑心暗鬼という名の根が、彼らの心に張り巡らされていくのがわかります。
◇
その日の夜。
執務室に戻った私は、新しく設置した巨大なガラス製蒸留器の前に立ちました。
4つのタンクはまだ空っぽです。
「さあ、種は蒔きましたよ」
館の方からは、ランク付けに怯え、他人を蹴落とそうとするギラギラした甘い匂い。
村の方からは、家族を守るために誰かを売ろうとする、どす黒い葛藤の気配。
それぞれの土壌に、たっぷりと肥料を与えました。
あとは、彼らが勝手に育ち、腐り、熟れるのを待つだけです。
「ポチ。楽しみですね」
「ワン……」
私は空のグラスを指先で弾き、最初の「雫」が垂れてくる瞬間を心待ちにして、静かに目を閉じました。




