006 死せる侍女の帰還、荒れ地の開墾
自動収穫システムが軌道に乗り、村は平和そのものです。
ですが、問題が一つ。
私が「村の守り神」として定着しすぎてしまい、身動きが取れなくなってしまったのです。
「困りましたね。私はもっと広い世界で、色々な味を楽しみたいのですが」
牧場の管理は大事ですが、ここに縛り付けられるのは御免です。
誰か、信頼できて、文句も言わず、私と同じ能力で働いてくれる「代行者」がいればいいのですが。
「……あ。いましたね、一人」
私は自分の胸に手を当てました。
かつてあの森で回収し、私の身体の中で大切に保管していた魂。
アリスちゃんの忠実な侍女、アンナさんです。
◇
深夜の診療所。
私は鏡の前に立ち、神技を発動させました。
「――神技『エインフェリアル』」
私の胸から、淡い光の球体が浮かび上がります。
それはゆっくりと人の形を取り、半透明の女性の姿になりました。
背中を斬られて死んだ、あの時のままの姿です。
「……う、うぅ……ここは……?」
アンナさんの魂が、ぼんやりと周囲を見渡します。
彼女は私が介入する前に絶命していましたから、私のことなど知らないはずです。
「おはようございます、アンナさん」
「貴女は……? 私は、確か森で……姫様を庇って……」
記憶が混濁しているようですね。
私は優しく微笑みかけました。
「ええ、貴女は死にました。でも、貴女の魂があまりに綺麗だったので、私が保護していたのです」
「死んだ……。あぁ、姫様! アリス様はどうなられたのですか!? あの方はお一人で……!」
アンナさんが半狂乱になって私に詰め寄ります。
言葉で説明しても信じないでしょうね。
私は空中に指で円を描きました。
「論より証拠、です。これをご覧なさい」
空間に霧のようなスクリーンが現れ、そこにある映像が映し出されました。
それは、アリスちゃんに渡した「指輪」の視界。
豪華な王城のテラスで、憂いを帯びた表情で空を見上げるアリスちゃんの姿です。
『……アンナ。今日も私は、貴女を想っています』
映像の中のアリスちゃんが、指輪に口づけをして呟きました。
「あ……ぁ……姫、様……!」
「ご無事ですよ。無事にお城へ帰られ、今は立派に公務をこなされています」
アンナさんはその場に泣き崩れました。
安堵と、喜びと、そしてもう二度と触れられない悲しみ。
美しい涙です。利用し甲斐があります。
「さて、アンナさん。貴女に取引を持ちかけたいのです」
「取引……?」
「私は旅に出たいのですが、この診療所を空けるわけにはいきません。そこで、貴女に留守番を頼みたいのです」
私は自分の肉体を指差しました。
「私の身体をお貸しします。貴女が『ラヴィーナ』として、この村で皆を癒やし、導いてください」
「そ、そんなこと、私には……薬の知識なんてありませんし……」
「大丈夫です。私のスキルと知識もセットでお貸ししますから」
私はシステムウィンドウを操作しました。
『管理者権限を行使。対象:個体名アンナへ、スキル【薬学知識 Lv.5】およびジョブ【薬師】を貸与します』
「もし、ミスなく完璧にお留守番ができたら……一つだけ、貴女の望みを叶えてあげましょう」
「望み……」
「例えば、アリスちゃんにもう一度会わせてあげる、とかね」
その言葉は劇薬でした。
アンナさんの迷いが消え、決意の光が宿ります。
「……わかりました。やらせてください。姫様にもう一度お会いできるなら、悪魔にだって魂を売ります」
「ふふ、悪魔よりは良心的な神の使いですよ。契約成立ですね」
私はアンナさんの魂を、空っぽにした私の肉体へと定着させました。
そして、私自身の魂は、魔力で構成した新しい器――「侍女アンナ」の肉体へと移動します。
――再構成完了。
鏡に映っていたのは、二人の女性。
一人は、私の姿をしたアンナさん。
もう一人は――侍女服を着た、アンナさんの姿をした私。
「では、行ってきますね。留守は頼みましたよ、ラヴィーナさん」
「はい……お気をつけて、ご主人様」
私はこの姿での偽名として、「アマリリス」と名乗ることにしました。
アリスちゃんのアナグラム。ちょっとした遊び心ですぅ。
◇
村を出て数日。私は北へ向かって歩いていました。
街道を進むにつれ、空気が重く、淀んでいくのを感じます。
そして辿り着いたのが、ヴィース村。
そこは、私の牧場とは真逆の場所でした。
畑は荒れ、家々はボロボロ。
道行く村人たちは皆、痩せこけていて、その目には光がありません。
漂っているのは――『絶望』『孤独』『不信』。
腐敗臭にも似た、強烈な不幸の匂いです。
(うわぁ……。手入れのされていない、荒れ放題の畑ですね)
どうやらここは、悪徳領主によって極限まで搾取されているようです。
美味しい感情とは言えませんが、空腹を満たすジャンクフードくらいにはなるでしょう。
私は一軒の宿屋に入りました。
「いらっしゃい……。泊まるのかい?」
宿の主人は、生気のない顔で私を迎えました。
私は銀貨を一枚置き、部屋を借りました。
しかしその夜、部屋の鍵が外からガチャリと閉められる音がしました。
「……あら?」
窓の外を見ると、宿の主人と数人の男たちが、松明を持って立っていました。
「すまねぇ、嬢ちゃん……! 恨まないでくれ……!」
「今月分の税が払えねぇんだ……!」
「領主様は、若い女を差し出せば勘弁してやるって……!」
彼らは泣きながら謝っています。
悪意ではありません。これは、生きるための悲しい選択。
自分たちが助かるために、よそ者を犠牲にする。
(ふふ。なんて人間らしくて、愛おしい弱さなんでしょう)
私は抵抗もせず、彼らに捕まりました。
馬車に押し込められ、山の上にある領主の城へと運ばれていきます。
ちょうど足が疲れていたところでした。無料の送迎馬車とは気が利きますねぇ。
◇
領主の館は、村の惨状が嘘のように豪華絢爛でした。
通された大広間には、すでに数十人の女性が集められていました。
皆、村から連れてこられた娘たちのようです。
煌びやかなドレスを着せられていますが、その表情は死人のよう。
部屋の奥には、ふくよかな体型の男――領主が、ふんぞり返って酒を飲んでいました。
「おお! 今度の生贄は上玉じゃないか!」
領主が私(アンナの姿)を見て、下卑た声を上げました。
「よしよし。今月は税を免除してやろう。その代わり……たっぷりと私を楽しませろよ?」
ここはハーレムという名の地獄。
捕らえられた女性たちは、泣きながら領主の酌をし、夜伽を強要されています。
彼女たちの魂から漏れ出す『諦念』と『悲嘆』が、部屋中に充満していました。
(質は悪いですが、量はありますね)
私は怯えるふりをして、部屋の隅で縮こまりました。
さて、どうやってこの場所を耕しましょうか。
「おい、そこの女。こっちへ来い」
領主が手招きをしました。
私はおずおずと近づき、彼の前に跪きます。
「へっへっへ、いい顔だ。その怯えた顔がたまらねぇんだよ」
領主が私の顎を掴み、顔を近づけてきました。
酒臭い息。欲望に歪んだ瞳。
「さあ、俺様の靴をお舐め……」
「――お黙りなさい」
私は冷徹な声で告げ、ゆっくりと顔を上げました。
そして、瞳に神威を宿し、彼の視線を真正面から受け止めました。
「え……?」
「【魅了】」
パチン、と指を鳴らします。
瞬間、領主の瞳からハイライトが消え失せ、代わりにどす黒いハートマークが浮かび上がりました。
彼の脳髄に、私への絶対的な服従と、抗えない崇拝を直接書き込みました。
「あ……あぁ……女神、様……?」
領主の口から涎が垂れます。
壊れちゃいましたね。脆い精神ですぅ。
「ええ、そうですよ。私は貴方の新しい主人、アマリリスです」
私は領主の手を払い除け、玉座へと腰を下ろしました。
領主は床に崩れ落ち、額を擦り付けるように平伏します。
「あ、アマリリス様……! どうか、どうかご命令を……!」
「いい子ですね」
私は領主の頭をペットのように撫でてあげました。
周りにいた女性たちが、信じられないものを見る目で私を見ています。
「さて。ここは今日から私の別荘です」
私はグラスのワインを一口飲み、艶然と微笑みました。
「畑は荒れ放題、家畜の管理もずさん。……これではいい作物は育ちませんよ? 私が一から、教育し直してあげましょう」
さあ、忙しくなりますね。
この腐った場所を、私好みの『歪んだ楽園』に作り変えなければ。
質の悪い肥料も、調理次第で化けるかもしれませんしねぇ。




