005 香る支配、自動収穫システム
師匠が村を去ってから、数日が過ぎました。
村は表面的には穏やかです。皆、師匠の教えを守り、私を新しい薬師として敬ってくれています。
しかし、その内側には小さなひび割れが生じていました。
長年、精神的支柱だったマルサ師匠がいなくなった喪失感。
夜になると、家の明かりが消えるのが少し遅くなり、寝付けない人が増えているようです。
「……これでは、生産効率が悪いですね」
深夜の診療所で、私は一人呟きました。
不安で萎れた魂は酸味が強く、質が落ちます。それに、一人ひとりの悩みを聞いて回るのも、最初のうちは楽しいですが、毎日の業務となると手間がかかりすぎます。
私は農家であって、カウンセラーじゃありませんからね。
私が求めているのは、もっと効率的な統治です。
私が寝ている間にも、勝手に良質な感情が集まってくるような……そう、全自動の灌漑システムが必要ですね。
私は懐から、師匠が旅立つ時に回収した『マルサの信頼』を取り出しました。
黄金色に輝く、濃厚な蜜のような液体。
これを種にして、村全体を一つの巨大なネットワークに繋いじゃいましょうか。
◇
翌日、私は村の広場に人々を集めました。
私の手には、籐で編んだ大きな籠。中には、可愛らしい小瓶がたくさん入っています。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」
私が微笑みかけると、村人たちは静まり返り、期待の眼差しを向けてきました。
餌を待つヒナ鳥みたいで、可愛いですねぇ。
「師匠がいなくなって、夜、なんとなく寝付けない……そんなことはありませんか?」
図星だったのでしょう。数人が気まずそうに顔を見合わせ、コクリと頷きました。
「わかります。私も同じですから」
私は胸に手を当て、悲しみを共有するふりをしました。
そして、籠の中から小瓶を一つ取り出し、テレビショッピングのように掲げて見せました。
「そこで、皆さんのために特製の『安眠のアロマ』を調合しました」
「アロマ……?」
「はい。リラックス効果のあるハーブと、師匠が愛用していた薬草をブレンドしてあります。これを寝室に置いて、蓋を開けておくだけでいいんです」
私は小瓶の蓋を開けました。
ふわり、と広場に甘く優しい香りが漂います。
微量の『信頼の蜜』を希釈して混ぜ込んだ、特製の誘引剤です。
「わぁ、いい匂い……」
「なんだか、マルサ婆さんの家の匂いがするな」
「心が落ち着くわ……」
効果は覿面です。
マルサ師匠への思慕と、私への信頼。その二つを香りが結びつけ、彼らの無防備な心を絡め取っていきます。
「これは私からのプレゼントです。悪い夢を遠ざけ、明日への活力を養うためのお守りだと思ってください」
私がそう言うと、村人たちは歓声を上げました。
「ありがとう、ヴィーナ様!」
「そこまで俺たちのことを……!」
「一生ついていきます!」
皆、涙ぐみながら小瓶を受け取っていきます。
無料ほど高いものはない。
その言葉の意味を、彼らが知る由もありません。
これはプレゼントではなく、集金装置の設置工事なんですから。
◇
その日の夜。
村のあちこちの家で、小瓶の蓋が開けられました。
甘い香りが寝室を満たし、人々は泥のように深い眠りに落ちていきます。
彼らは夢を見るでしょう。
温かくて、心地よくて、私に守られている夢を。
そして――収穫の時間が始まります。
深夜の診療所。奥の調合室。
私は椅子に深く腰掛け、テーブルの中央に設置した装置を眺めていました。
複雑な紋様が刻まれた、巨大なガラスの蒸留器。
これは「親機」です。
村人たちに配った小瓶は「子機」。
魔術的なパスで繋がれた小瓶は、睡眠中の彼らの魂から、揮発した「安らぎ」と「依存」のエネルギーを吸い上げ、この親機へと転送します。
ポタッ、ポタッ……。
蒸留器の管から、淡いピンク色の液体が滴り落ちてきます。
一滴、また一滴。
村人百人分の、混じりけのない感情の蒸留液。
「ふふ。素晴らしい効率ですねぇ」
私は頬杖をつき、溜まっていく液体を見つめました。
いちいち対面して感謝される必要もありません。
私が寝ている間にも、彼らは勝手に私を想い、エネルギーを貢いでくれるのですから。
これぞ不労所得です。
グラスの底に、一口分ほどの液体が溜まりました。
私はそれを手に取り、揺らめく光を楽しみます。
「では、お味見を」
クッ、とグラスを傾け、液体を飲み干しました。
――甘い。
とろけるような甘さです。
でも、個々の深みはありません。均一化された、大量生産品の味。
人工甘味料たっぷりの、安っぽいジュースのような手軽な美味しさ。
「ん~っ…… まあ、毎日の主食にするには十分すぎますね」
私は舌に残る甘味を楽しみながら、グラスを置きました。
これで、食糧難の心配はなくなりました。
村人たちはこの香りに依存し、毎晩私にエネルギーを捧げ続けるでしょう。
そして私は、労せずして満たされる。
完全なる「人間牧場」の完成です。
翌朝。
診療所の窓を開けると、いつもより顔色の良い村人たちが、私に向かって手を振ってくれました。
「おはようございます、ヴィーナ様!」
「おかげでぐっすり眠れました! なんだか頭がポワポワして幸せです!」
彼らの瞳は、どこかトロンとしていて、思考能力が少しだけ溶けているようでした。
私は聖女の仮面を完璧に貼り付け、手を振り返しました。
「それは良かったです。……今夜も忘れずに、蓋を開けてくださいね?」
彼らの笑顔が、私には柵の中で草を食む家畜にしか見えません。
さて、生活基盤は固まりました。
お腹も満たされましたし……そろそろ次のステップへ進みましょうか。




