004 黄金の蜜、継承の儀式
勇者ご一行という名の害虫を駆除してから、季節が二つほど巡りました。
村は平和そのものです。
ですが、診療所の風景は少しずつ変わり始めていました。
「……うぅ。すまないね、ヴィーナ。また腰が……」
「いいえ、気にしないでください師匠。今日は冷えますから」
マルサ師匠が椅子に座り、痛む腰をさすりながら指示を出す。
私がその手足となって、患者を診察し、薬を調合する。
そんな光景が日常になっていました。
あの日、勇者に突き飛ばされた時の古傷が、ボディブローのように効いているようです。
師匠は日に日に老け込み、代わりに私への依存度を高めています。
「ヴィーナちゃん、ありがとう! マルサ婆さんの薬より効くかも!」
「こら、滅多なことを言うもんじゃないよ。……でも、ヴィーナの腕は確かだ」
村人たちの信頼も、徐々に私へとシフトしています。
師匠から出される課題も、最近は高度なものばかりになりました。
「この『竜の根』を使った特効薬、あんたなら作れるかい?」
「はい。やってみます」
難しい調合も、神界のデータベースと照らし合わせれば造作もありません。
私が完成品を差し出すたびに、師匠は驚き、そして安堵の溜息を漏らすのです。
『ピロン♪』
【スキル『薬学知識 Lv.5』に上昇しました】
【ジョブ『見習い薬師 Lv.5(MAX)』に上昇しました】
(おや。見習いとしては、もうカンストしてしまいましたか)
そろそろ潮時ですね。
そんなことを考えていた矢先のことでした。
◇
ウェスイトの街から、一台の馬車がやってきました。
降りてきたのは、身なりの良い青年と、お腹の大きな女性。
マルサ師匠の一人息子、ハンスさんご夫婦です。
「母さん。もう十分働いただろう? こっちに来て、俺たちと一緒に暮らそうよ」
久しぶりの再会もそこそこに、ハンスさんは師匠の手を握って言いました。
「孫も生まれるんだ。母さんには、そばで成長を見ていてほしいんだよ」
「ハンス……」
師匠の心が大きく揺れ動くのが見えます。
息子と一緒に暮らしたい。孫の顔が見たい。もう、体の無理もきかない。
でも――。
「……私が抜けたら、誰がこの村を守るんだい。ヴィーナはまだ見習いだし、この村には薬師が必要なんだ」
責任感という名の鎖が、彼女をこの土地に縛り付けています。
(あらあら。まだそんなことを気に病んでいるのですか)
私はお茶を出しながら、その様子を静かに観察していました。
師匠の魂からは、「行きたい」という渇望と、「行けない」という未練が混ざり合い、熟成されたワインのような芳醇な香りが漂っています。
(……いい香り。でも、あと一押し足りませんね)
私はエプロンを外し、静かに微笑みました。
背中を押して差し上げましょう。それが、弟子としての最後の務めですから。
◇
その夜、村の集会所に大人たちが集められました。
マルサ師匠が、街へ行くかどうかの相談を切り出したのです。
最初は、村人たちも動揺していました。
「マルサ婆さんがいなくなったら困る」「誰が病気を治すんだ」と。
重苦しい空気が流れる中、私は一歩前へ出ました。
「皆さん。……少し、よろしいですか?」
全員の視線が私に集まります。
私は胸に手を当て、切々と語りかけました。
「師匠は今まで、何十年もの間、身を削って私たちを守ってくれました。自分のことよりも、村のことを一番に考えて……その背中は、もう十分に重荷を背負ってきたはずです」
私は師匠の方を向き、その手を取りました。
「今度は、私たちが師匠を『楽』にさせてあげる番ではないでしょうか?」
「ヴィーナ……」
「私の腕は、師匠のお墨付きです。……ですよね、師匠?」
師匠の目が潤んでいます。
彼女は私の手を握り返し、深く、深く頷きました。
「ああ……。ヴィーナなら、大丈夫だ。私の自慢の弟子だよ」
その一言で、空気が変わりました。
「そうだな……。婆さん、今までありがとうな!」
「ヴィーナちゃんがいるなら安心だ!」
「行ってこいよマルサ婆さん! 孫の顔、見てやりな!」
村人たちの承認。
それは、この村の管理者が、正式に私へと交代した瞬間でもありました。
◇
翌日、盛大な送別会を経て、旅立ちの朝が来ました。
診療所の前には、息子夫婦の馬車が停まっています。
「ヴィーナ。これを」
師匠が差し出したのは、診療所の鍵と、彼女が長年愛用していた薬師のエプロンでした。
「この診療所を……村のみんなを、頼んだよ。これからはあんたが、この村の薬師だ」
『ピロン♪』
【条件達成。ジョブ『見習い薬師』から『薬師 Lv.1』へクラスチェンジしました】
システムログが、私の昇格を告げました。
私は鍵を受け取り、深々と頭を下げました。
「はい。お任せください、師匠」
師匠が感極まったように私を抱きしめます。
「……ありがとう。あんたが来てくれて、本当によかった……!」
彼女の体から、黄金色の光の粒子が溢れ出しました。
長年の重責から解放された「安堵」。
後継者への一点の曇りもない「信頼」。
そして、私という存在への深い深い「感謝」。
それらが混ざり合い、極上の『蜜』となって滴り落ちています。
(あぁ……なんて芳醇で、温かい香り……)
私は抱き合うふりをしながら、その見えない『蜜』を指先で掬い取りました。
指に絡みつく、ねっとりとした黄金の液体。
そのまま舐めてしまいたい衝動を抑え、私は亜空間ポケットから小瓶を取り出しました。
(これは貴重な『ベースノート(基材)』になりますね。どんな感情とも混ざり合う、最高のつなぎ材です)
私はこっそりと蜜を小瓶に詰め、しっかりとコルク栓をしました。
『マルサの信頼』――収穫完了です。
「お元気で、マルサさん。いつまでもお幸せに」
「ああ。あんたもね、ヴィーナ」
師匠は涙を拭い、馬車に乗り込みました。
御者が鞭を振るい、車輪が回り始めます。
村人たちが手を振り、別れを惜しむ声が響き渡ります。
私は馬車が見えなくなるまで、ずっと手を振り続けました。
やがて馬車が森の向こうへと消え、静寂が戻ります。
村人たちが不安そうに私を振り返りました。
守り神がいなくなった不安。
でも、大丈夫ですよ。
「さあ、皆さん。今日も一日、健康に過ごしましょうね?」
私が満面の聖女スマイルで微笑むと、彼らはホッとしたように表情を緩めました。
「ああ、頼むよヴィーナちゃん!」
「俺たちの新しい薬師様だ!」
私はその歓声を心地よく聞きながら、ポケットの中の小瓶の重さを確かめました。
邪魔な先任者はいなくなりました。
今日からここは、私の牧場です。




