002 新参者の「肥料撒き」
アリスちゃんという極上の種を蒔いてから、数日が経ちました。
私はあてもなく街道を歩いていましたが……限界ですぅ。
神界から持ってきたエネルギー(貯金)はゼロ。
アリスちゃんから少し味見させてもらった「感謝」のエネルギーも、歩いているうちに消化しちゃいました。
お腹が、空きました……。
このままじゃ、ガス欠で機能停止んじゃいますぅ……。
目の前がチカチカして、足元の感覚がなくなって。
私は吸い込まれるように、地面へとダイブしました。
◇
「……気がついたかい?」
目を開けると、そこは知らない天井でした。
鼻をくすぐるのは、土と乾燥した草――薬草の香り。
私が寝かされているのは、古いけれど清潔なベッドの上。
覗き込んできたのは、顔中に深い皺を刻んだ、おばあちゃんでした。
「ここは……?」
「村の診療所だよ。あんた、村の入口で倒れてたんだ。見つけた若い衆が運んでくれたんだよ」
おばあちゃんは、濡らした手ぬぐいで私の額を拭いてくれました。
その手はゴツゴツしていて、固くて、温かい。
「診たところ、酷い過労と栄養失調だね。一体どこから来たんだい? そんな綺麗ななりをして」
「……私はラヴィーナ。しがない、旅の修道女ですぅ」
「修道女様かい。通りで無理をするわけだ。……ほら、まずはこれを飲みな」
差し出されたのは、湯気の立つスープ。
一口飲むと、野菜の甘みと一緒に、じわ~っと体に染み込んでくるものがありました。塩味は足りないけれど、代わりに『慈愛』という名の濃厚な出汁が出ています。
――心配。慈愛。そして、「助かってよかった」という安堵。
(あぁ……薄味ですけど、優しいお味ですぅ……)
私はスープと一緒に、その温かい感情を啜りました。
カスカスだった魂に、少しだけ潤いが戻ってきます。
◇
それから数日、私は療養という名目で、この小さな村に滞在することになりました。
ベッドの上から、私はじっくりとこの村を観察しました。
ここは、とても良い村です。
みんなニコニコしていて、意地悪な人がいません。
そして、その中心にいるのが、私を助けてくれた薬師のマルサおばあちゃんでした。
「マルサ様ー! 転んで膝すりむいちゃったー!」
「はいはい、すぐ良くなるお薬塗ってあげるからねぇ」
「マルサ婆さん、狩りでヘマしちまってよぉ。痛み止めくれねぇか?」
「全く、あんたはいつも無茶ばかりして! ほら、座りな!」
朝から晩まで、診療所にはひっきりなしに村人が訪れます。
マルサおばあちゃんは、文句を言いながらも、一人ひとりに丁寧に接していました。
彼女はこの村の守り神であり、お母さんなんです。
でも――私には見えちゃうんですよねぇ。
笑顔の仮面の下にある、魂の悲鳴が。
腰をさする手。ふとした瞬間に漏れる深いため息。
「本当はもう休みたい」「体がきつい」「でも私がやらなきゃ誰がやるんだ」
責任感という鎖で自分を縛り付け、老いた体に鞭打って動いている。
その魂からは、熟成された『自己犠牲』と『疲労』の、苦くて渋~い匂いが漂っています。
(……なんて健気。なんて美味しそうなんでしょう)
私は思わず、唇の端から端までを、赤い舌でねっとりと舐め上げました。
干からびた喉が、あの苦い果汁を求めてゴクリと鳴ります。
決めました。
私の次の畑は、ここですぅ。
◇
体力が戻った日の夜。
私は薬草を刻んでいるマルサおばあちゃんに声をかけました。
「マルサさん。助けていただいて、ありがとうございましたぁ」
「いいってことさ。元気になったなら、明日の朝には出発できるだろう?」
おばあちゃんは手を休めずに言いました。
私はベッドから降りて、彼女の横に座りました。
「あのぉ……ご相談があるんですぅ」
「なんだい? 路銀がないなら、少し分けてやるよ」
「いいえ。……私を、ここの弟子にしてくださいませんかぁ?」
おばあちゃんの手がピタリと止まりました。
ゆっくりと顔を上げ、私をジロリと睨みます。
「……薬師になりたいってことかい?」
「はい。私、皆さんに良くしていただいて……このご恩を返したいんです。それに、マルサさんのお仕事を見ていて、とっても素敵だなって」
半分は本音(嘘)で、半分は計算です。
ここに入り込むには、彼女の負担を肩代わりするのが一番ですから。
「……遊びじゃないんだよ、あんた」
「はい」
「私は厳しいよ。人の命を預かるんだ。半端な覚悟じゃ務まらない」
「覚悟はできてますぅ。……私、これでも手先は器用なんですよぉ?」
「まずはその口調をやめな」
マルサおばあちゃんが、ピシャリと言い放ちました。
「え?」
「その間延びした語尾だよ。人を不安にさせる。薬師ってのはね、患者を安心させるのも仕事なんだよ」
私は目を丸くし、それからコホンと小さく咳払いをしました。
「……はい、すみません。気をつけます」
(……手厳しいですね。まあ、郷に入っては郷に従え、でしょうか)
「ん、まあよろしい」
おばあちゃんは、棚から乾燥した葉っぱと、一冊の古い手帳を取り出しました。
「口だけなら何とでも言えるさ。……これを使って、『止血薬』を調合してみな」
「はい」
「分量と手順は、この手帳に書いてある通りにやるんだよ。少しでも狂えば毒になるからね」
おばあちゃんは手帳を開き、私に突きつけました。
基礎的なレシピです。
試されていますね。私の適性と、手際の良さを。
(ふふ。戦乙女の知識にかかれば、これくらいは赤子の遊びのようなもの)
神界の超高度な調合に比べれば、おままごとのようなものですが、瞬殺で作るなんて野暮なことはしません。
私はあくまで「素人だけれど筋がいい」娘を演じなければなりませんから。
私は手帳と睨めっこし、慎重に天秤を使い、時間をかけて薬草をすり潰しました。
額に汗を浮かべる魔法を使い、震える手つきで瓶に詰めます。
「……できました。どう……でしょうか?」
差し出した小瓶。
マルサおばあちゃんはそれを受け取り、蓋を開けて匂いを嗅ぎ、指先で少しだけ舐めました。
「……」
沈黙が、少し肌に刺さりますね。
数秒後、おばあちゃんは目を見開いて、少し驚いた顔をしました。
「……初めてにしちゃ、上出来だね」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。色も粘り気も丁度いい。……手帳に書いてあることを、正確に再現できたようだね」
おばあちゃんの顔が、ふっと緩みました。
張り詰めていた空気が和らぎ、彼女の魂から「後継者への期待」という甘い香りが漏れ出します。
「ラヴィーナ、だったね。……いい手付きだったよ。合格だ」
「はいっ! ありがとうございます、師匠!」
私が深々と頭を下げた瞬間、頭の中でシステムログのような音が鳴りました。
『ピロン♪』
【スキル『薬学知識 Lv.1』を獲得しました】
【ジョブ『見習い薬師 Lv.1』を獲得しました】
(へえ。こっちの世界のシステムは、こういう感じなのですか。なるほど)
こうして、私はこの村の一員になりました。
マルサさん、安心してください。
私が「完璧な後継者」になって、貴女のその重たい荷物、すべて奪い取って差し上げますから。
そうして貴女が役目を終えて、ただの隠居老人になったら――。
ここは私の、私だけの、甘い香りが漂う「人間牧場」になるのです。




