001 種蒔き
あ~、頭が割れるように痛いですぅ。
ガン、ガン、って。脳みその裏側を錆びたスプーンでガリガリ削られてるみたい。
「……はぁ。限界ですねぇ」
私は眉間を指でぐりぐりしながら、夜の森をお散歩していました。
真っ白な神官ローブの裾が、夜露と泥で汚れちゃってますけど、気になりません。
職場(神界)をバックレて地上に降りてから数日。私の生存本能は、美味しいご飯(感情)を求めて、お腹をグーグー鳴らしてるんですぅ。
「いやぁぁぁっ! やめて、アンナ! アンナぁぁッ!!」
その時、鼓膜を裂くような悲鳴が聞こえました。
同時に、鼻の奥にツンッとした匂いが飛び込んできます。
鼻を刺すアンモニア臭のような『恐怖』のトップノート。
その奥に、熟しきって腐りかけた『喪失』の重たい香り。
――あら、いい香り。心がポッキリへし折れた瞬間の、一番搾りですねぇ。
私は丸眼鏡をクイッと直して、匂いのする方へ向かいました。
人助けじゃないですよぉ? 単なる、市場調査ですぅ。
◇
木々の開けた場所は、ちょっとした害虫被害の現場になってました。
護衛の騎士さんが転がり、黒装束の暗殺者たちが三人がかりで一人の少女を追い詰めています。
そして少女の足元には、一人の女性が倒れていました。
侍女服を着た女性。背中をざっくり斬られて、ピクリとも動きません。
きっと、主を庇って盾になったんでしょうねぇ。……健気ですけど、死んじゃったらただの有機物ですぅ。
「あ、あぁ……アンナ、嘘でしょ、目を開けてよぉ……!」
少女は、血まみれの侍女にすがりついて泣き叫んでます。
「うるせぇな。その女はもう死んでるよ」
暗殺者の一人が、少女の髪を掴んで無理やり引き剥がしました。
「い、いやぁ! 離して! 人殺し! アンナを返してよぉ!」
「へへっ、元気な姫様だ。すぐにお前もその侍女と同じ場所へ送ってやるよ。……たっぷりと楽しませてもらってからな」
男が少女のドレスをビリビリッ! と引き裂きました。
露わになった白い肌と、上質な刺繍が入った下着。
少女は抵抗しようとしますが、最愛の侍女を殺されたショックで力が入らないみたいです。
瞳から光が消えて、ドロドロの絶望が満ちていきます。
尊厳の破壊。孤独。そして、自分のせいで大切な人が死んだという罪悪感。
――う~ん。最高。
この『絶望』の香りは、まだ若いですけど……育てれば極上のヴィンテージになりそうですぅ。
私は音もなく、男の人たちの後ろに立ちました。
警告なんてしませんよぉ。
畑のアブラムシに話しかける農家さんなんていませんしぃ。それに――。
(私の果実に傷がついたら、商品価値が下がっちゃうじゃないですかぁ)
私は男たちの背中に向かって、軽く指を跳ね上げました。
害虫駆除。
これが農作業の基本ですぅ。
「――っ!?」
男たちの体が、見えないクレーンで吊り上げられたみたいに、ヒョイッと空へ浮かびました。
「な、あ!? 体が、浮い……っ!?」
男たちが空中でバタバタしてます。
私は少女から十分離れたのを確認してから、跳ね上げた指を、空き缶を握りつぶすみたいに『グシャッ』と閉じました。
――ベチャァ、バキベキッ。
湿った音と、硬いものが砕ける音が響きました。
浮かんでいた三つの影が、一瞬でギューッて圧縮されちゃいました。
彼らの体は小さな肉団子になって、森の奥へポーンと飛んでいきました。
森の動物さんたちの、いい餌になるでしょう。エコですねぇ。
「……はい、除草作業完了ですぅ」
静かになりましたねぇ。
私は、ボロボロの少女に向き直りました。
彼女は呆然と私を見上げ、それから慌てて足元の侍女に駆け寄ります。
「アンナ! アンナ、しっかりして!」
「……残念ですけどぉ、その方はもう助かりませんよぉ」
私は淡々と事実を告げました。
少女の動きが凍りつきます。
「そ、そんな……。私を庇って……私が、お城を抜け出したりしたから……っ!」
少女が絶望して泣き崩れます。
あぁ、頭の上に浮かんでる『蕾』の色が変わりました。
絶望の酸味に、自分を責める苦味が混ざって……そして、私への縋るような甘い匂いが漂い始めます。
地獄からの生還。でも、一人ぼっちになってしまった心細さ。
そこにいるのは、圧倒的な力を持つ謎の聖女。
(はぁ……おいしっ)
濃厚な『依存』の予感が、私の脳みそに染み渡っていきますぅ。
いい苗床を見つけました。これは、丁寧に耕さないといけませんねぇ。
「お怪我はありませんかぁ?」
私はとびきりの『聖女スマイル』を貼り付けて、少女の前にしゃがみ込みました。
さっと自分のローブを脱いで、彼女の肩にかけてあげます。
「……う、うぅ……」
「可哀想に。立派な方でしたねぇ、貴女の盾になって」
私は侍女の遺体を一瞥してから、少女の頭を優しく抱き寄せました。
彼女の心の隙間に、私の存在をねじ込んでいきます。
「……私、もう、誰も……」
「大丈夫ですよぉ。虫さんはポイしましたし、私がいますからねぇ」
少女が私の胸で泣きじゃくります。
本来なら面倒ごとなんですけどぉ、この「素材」は極上です。
信頼していた侍女を失い、心にぽっかり空いた大きな穴。
そこに私が入り込めば……ふふ、私の頭痛を数年は抑えられるだけの「極上の蜜」が採れそうですぅ。
私は懐から、指輪を一つ取り出しました。
銀色の台座に青い宝石。
表向きは「転移の指輪」。中身は私の魔力と直結した『家畜タグ』ですぅ。
「貴女はまだ死んじゃダメですよぉ。この指輪をあげますね」
「こ、これは……?」
「行きたい場所を願えば、一瞬で飛べるお守りですぅ。まずはこれを使って、お家へお帰りなさい。……亡くなった彼女のためにも、貴女が生きてなきゃダメですよぉ?」
「……っ! はい、はい……っ!」
少女が涙を拭って、指輪を受け取ります。
侍女の死を無駄にしないためにも生きる。いい肥料ですねぇ。
罪悪感という肥料があれば、依存心はすくすくと育ちますから。
「回数は二回まで。一回目は帰るために。……そして最後の一回はですねぇ、本当に辛くて、苦しくて、どうしようもなくなった時に使ってください。その時は私の元へ飛んでいらっしゃい。私がぜ~んぶ、忘れさせてあげますから」
そう。
侍女を失った悲しみと孤独に耐えきれなくなった時こそが、熟れた果実の「収穫時期」です。
骨の髄までチューチューしてあげますよぉ。
「ありがとうございます……! このご恩は、一生忘れません……!」
少女が、私の手を握りしめて誓います。
あーあ、完全に根付いちゃいましたねぇ。
彼女の中では『命の恩人』。私にとっては『出荷予約済みの作物』。
「ええ、楽しみにしてますよぉ。――さあ、行きなさい」
少女が祈ると、光の粒になって消えちゃいました。
残されたのは、私と、静かになった森と、侍女さんの遺体だけ。
私は侍女さんの死体の前にしゃがみ込みました。
「いい仕事しましたねぇ。おかげで、あの子は私のモノになりそうですぅ」
私は死体の上に手をかざしました。
ほんのりと立ち上る、淡い光の粒子。
忠義と自己犠牲に彩られた、綺麗な魂です。
「――回収」
光の粒子が、私の胸の中へと吸い込まれていきます。
本来は天界へ送るべき魂ですけど、今の私には貴重な資源ですからねぇ。
「これだけ純粋な魂なら、次の作物を育てるための『肥料』として使えそうですぅ」
私は魂を身体の奥底にしまい込み、満足げに微笑みました。
頭痛も消えてスッキリですぅ。
さあ、忙しくなりますよぉ。
まずは手始めに、近くの村で新規開拓から始めましょうか。




