014 荒野の死神、拒絶のテラリウム
「……失せろ」
彼女は立ち上がることすらできないはずなのに、身の丈ほどもある大剣の切っ先を、正確に私の喉元へと突きつけました。
その隻眼に宿っているのは、強烈な殺意と、それ以上の『拒絶』。
彼女の名は、エイル。
かつて仲間と共に強大な魔物に挑み、自分だけが生き残ってしまった過去を持つ女。その後も何度かパーティを組んだものの、常に彼女だけが生き残り、いつしか周囲から『死神エイル』と呼ばれるようになった存在。
彼女は「なぜ私だけが死ねない……」と血を流し、死に場所(罰)を求めてこの荒野を彷徨っていたのです。
「私に関われば、お前も死ぬぞ」
低く、地を這うような声。
しかし、その冷たく突き放すような『拒絶』の香りを嗅いだ瞬間、私の背筋にゾクゾクとした歓喜が走りました。
(……あぁ、なんて素晴らしい清涼感……!)
村人たちのまとわりつくような甘い依存とは真逆。
誰にも頼らず、誰にも触れさせない。乾燥した過酷な荒野でしか育たない、ツンと尖った孤高のサボテン。
「ふふっ。そうですか。では、お元気で」
私はあっさりと引き下がりました。
無理に距離を詰めて、この美しい棘が丸くなってしまっては困りますからね。
私は彼女に背を向け、岩陰に隠れた瞬間に『神技・光学迷彩』を発動しました。
さあ、透明な観察の始まりです。
◇
その後、エイルは傷を癒やすため、そしてあわよくば「自分を殺してくれるかもしれない強大な魔物」の討伐依頼を探すため、荒野の宿場町にあるギルドへと立ち寄りました。
私は足音も匂いも消し、彼女のすぐ後ろを歩きます。
カラン、とギルドの扉が開いた瞬間。
それまで騒がしかった酒場が、まるで水を打ったように静まり返りました。
冒険者の一人が、震える指でエイルを指差します。
「赤髪に、隻眼、身の丈ほどの大剣……おい、まさか『死神』か……?」
「ふざけんな、なんでこんな辺境に!」
「こっちに来るな! 疫病神!」
「他を当たってくれ、俺たちはまだ死にたくないんだよ!」
向けられるのは、明らかな恐怖と排斥の目。
罵声を浴びせられたエイルは、言い返すこともなく、ただ静かに目を伏せました。
(……ここにも、もう噂が回っていたか)というような、深い落胆と諦念。
誰かと関わりたいわけではない。けれど、世界から完全に切り離されているという事実が、彼女の心をさらに凍らせていくのが分かりました。
私はギルドの隅で、エイルから立ち昇る『孤独と諦念』の極上の香りを深く吸い込み、うっとりと頬を染めました。
素晴らしい。周囲の悪意が、彼女の孤独をより一層引き立てる最高のスパイスになっています。
◇
町を追い出されたエイルは、単身で深い谷底へと向かいました。
そこは魔獣の群れ(スタンピード)の発生源であり、かつて彼女の仲間を全滅させたのと同じ、凶悪な種族の巣窟でした。
「ここで終わる。……ようやく、みんなのところへ行ける」
多勢に無勢。
エイルは全身を血まみれにしながらも、狂ったように大剣を振り回しました。
何十体もの魔獣を屠り、それでも群れは途切れません。
ついに体力の限界が訪れ、彼女の膝が折れました。
巨大な魔獣が咆哮を上げ、その鋭い爪が彼女の身体を真っぷたつに引き裂こうと迫ります。
エイルは静かに目を閉じ、安らかな死(罰)を受け入れようとしました。
◇
――カキンッ。
硬質な音が響きました。
魔獣の巨大な爪が、エイルの鼻先1ミリの空中で展開された『見えない壁(結界)』に弾き飛ばされたのです。
「……え?」
目を開けたエイルの前に、私は光学迷彩を解いてひょっこりと姿を現しました。
「いやぁ、美しい孤独でしたよ。でも、枯れて(死んで)しまってはこれ以上香りを抽出できませんからね」
「お前……さっきの……っ!」
エイルは何が起きたのか理解できず、やがて自分が「絶対的な安全圏」に保護されたことに気づきました。
自分がずっと望んでいた死を、そして仲間への贖罪の機会を、赤の他人に理不尽に奪われたのだと。
「ふざけるな! 開けろ! なぜ邪魔をした!!」
エイルは血の涙を流し、狂乱して大剣で結界を叩き割りにかかりました。
「私をここで死なせろぉぉぉッ!!」
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
外では巨大な魔獣が結界を殴り続け、中ではエイルが絶叫しながら剣を振るいます。
ですが、私の神技で創り出した見えないガラス鉢には、傷一つ、ヒビ一つ入りません。
世界で一番騒がしくて、世界で一番「エイルが孤独な」無菌室。
私は、エイルから爆発的に噴き出す、純度マックスの『強烈な拒絶』と『誰にも理解されない孤立感』の香りに酔いしれました。
懐から特製のクリスタル・ピペットを取り出し、その目に見えない極上の果実を、チューチューと吸い尽くします。
「あぁ……ツンと冷たくて、最高にドライな香り……!」
私はピペットの中の香りを胸いっぱいに吸い込み、至福の吐息を漏らしました。
「貴女は本当に、最高のサボテンですね」
外からの暴力も、内からの死への渇望も届かない透明な檻の中で。
エイルの悲痛な絶望の叫び声だけが、私への最高の子守唄となって響き渡っていました。




