012 庭園のレシピ
嵐のような一夜が明けました。
王国監察団の到着によってヴィース村は解放されましたが、そこに歓喜の声はありませんでした。
館に残された女性たちは、主がいなくなったことで糸が切れた人形のようになり、やがて強烈な禁断症状に襲われました。
「嫌ぁぁ! 香りを! あの香りをちょうだい!」
「アマリリス様ぁ! 私、いい子にしてます! 捨てないでぇ!」
彼女たちは半狂乱で暴れ、爪で自身の喉を掻きむしり、騎士たちに取り押さえられました。
まともな事情聴取などできる状態ではありません。
私は即座に王都へ早馬を出し、医療班と代行の領主を派遣するよう手配しました。
◇
静まり返った執務室。
かつてアンナが座っていたであろう机の上には、一冊の分厚い革張りの本――『日記』が残されていました。
丁寧に製本されたそれは、まるで丹精込めて作られた植物図鑑のようにも見えます。
「アリス様。……それは、我々が確認します。貴女が読む必要はありません」
付き従っていた侍女が、心配そうに声をかけてくれました。
彼女の言う通りです。これは「証拠品」として国に持ち帰るべきものでしょう。
けれど、私は首を横に振りました。
「いいえ。……アンナが何をさせられていたのか、私が知らなければならないの」
あのアマリリスと名乗る女は言いました。『あの方が私を蘇らせてくれた』と。
この日記には、きっとアンナを操る「黒幕」の手掛かりが記されているはずなのです。
私は侍女を部屋から出し、震える手で重たい表紙を開きました。
◇
ページをめくるたび、私の胸は張り裂けそうになりました。
そこには、幾人もの女性たちの筆跡で、この館での日々が綴られていました。
しかし、そこに書かれていたのは「強制された苦しみ」ではありません。
他人を蹴落とす優越感、隣人を売る背徳感、そしてアマリリスという「飼い主」への異常な依存と崇拝。
「……酷い。こんなこと……」
ミリアという女性の、人間をやめてペットになりたがる記述。
『ポチ(領主様)が羨ましい。私もあそこに行きたい。人間なんてやめて、アマリリス様のペットになりたい』
カトレアという女性の、実の父を売って「優秀さ」を証明したという歪んだ自負。
『昨日は親友を売った。パンは鉄の味がして、とても美味しかった。アマリリス様、万歳』
そして――トレイラという少女の、途切れた記録。
『今夜、執務室に忍び込む。待ってて、みんな』
その文字は、そこで終わっていました。
ページには赤黒い染みと、紫色の甘い香りがこびりついています。
最後の文字が擦れて乱れているのは、書いている最中に何かがあった証拠でしょう。
正気を持って立ち向かった者は、跡形もなく消されている。
彼女は被害者ではない。
心の弱さに付け込み、悪意を肯定し、彼女たちが「自ら望んで怪物になるように」仕向けていたのです。
最後のページには、アンナの整った筆跡で、まるで私への手紙のようにこう書き添えられていました。
『アリス様へ。
ね? 人間って、耕し方次第でこんなに面白く育つでしょう?
貴女もいつか、こんな風に綺麗に咲いてくださいね』
「……ッ!!」
私は日記を強く握り締めました。
ミシミシと、革の表紙が軋みます。
「ふざけないで……!」
アンナは、こんなことを言う人じゃなかった。
私を守って、背中を斬られて死んだ、優しくて強いあの子が、こんな悪趣味なことを考えるはずがない。
「これは……アンナへの冒涜よ」
死者の肉体を蘇らせ、あまつさえその口を使って、こんなおぞましい言葉を吐かせるなんて。
アンナの尊厳を、私たちの思い出を、泥足で踏みにじる行為。
――『あの方』。
アマリリスはそう言いました。
アンナの皮を被った怪物を操り、この地獄を作り上げた黒幕。
「許さない……。絶対に、許さない……!」
私は涙を拭いました。
泣いている場合ではありません。
私が泣いていては、アンナの魂は永遠に救われない。
私は窓ガラスに映る自分を睨みつけました。
そこにいるのは、守られるだけの弱虫な王女であってはなりません。
「強くなる。……あいつを、この手で葬り去るために」
心も、身体も、すべてを鍛え上げましょう。
いつか再び、あのアマリリスと――その背後にいる『あの方』と対峙した時、一太刀でその首を刎ねられるように。
窓の外では、まだ薬の切れた女性たちの悲鳴が響いています。
私はその地獄の合唱を、復讐への誓いの歌として胸に刻み込みました。




