表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/17

012 庭園のレシピ

 嵐のような一夜が明けました。

 王国監察団の到着によってヴィース村は解放されましたが、そこに歓喜の声はありませんでした。


 館に残された女性たちは、アマリリスがいなくなったことで糸が切れた人形のようになり、やがて強烈な禁断症状に襲われました。


「嫌ぁぁ! 香りを! あの香りをちょうだい!」

「アマリリス様ぁ! 私、いい子にしてます! 捨てないでぇ!」


 彼女たちは半狂乱で暴れ、爪で自身の喉を掻きむしり、騎士たちに取り押さえられました。

 まともな事情聴取などできる状態ではありません。

 私は即座に王都へ早馬を出し、医療班と代行の領主を派遣するよう手配しました。


          ◇


 静まり返った執務室。

 かつてアンナが座っていたであろう机の上には、一冊の分厚い革張りの本――『日記』が残されていました。

 丁寧に製本されたそれは、まるで丹精込めて作られた植物図鑑のようにも見えます。


「アリス様。……それは、我々が確認します。貴女が読む必要はありません」


 付き従っていた侍女が、心配そうに声をかけてくれました。

 彼女の言う通りです。これは「証拠品」として国に持ち帰るべきものでしょう。


 けれど、私は首を横に振りました。


「いいえ。……アンナが何をさせられていたのか、私が知らなければならないの」


 あのアマリリスと名乗る女は言いました。『あの方が私を蘇らせてくれた』と。

 この日記には、きっとアンナを操る「黒幕」の手掛かりが記されているはずなのです。

 私は侍女を部屋から出し、震える手で重たい表紙を開きました。


          ◇


 ページをめくるたび、私の胸は張り裂けそうになりました。


 そこには、幾人もの女性たちの筆跡で、この館での日々が綴られていました。

 しかし、そこに書かれていたのは「強制された苦しみ」ではありません。

 他人を蹴落とす優越感、隣人を売る背徳感、そしてアマリリスという「飼い主」への異常な依存と崇拝。


「……酷い。こんなこと……」


 ミリアという女性の、人間をやめてペットになりたがる記述。

『ポチ(領主様)が羨ましい。私もあそこに行きたい。人間なんてやめて、アマリリス様のペットになりたい』


 カトレアという女性の、実の父を売って「優秀さ」を証明したという歪んだ自負。

『昨日は親友を売った。パンは鉄の味がして、とても美味しかった。アマリリス様、万歳』


 そして――トレイラという少女の、途切れた記録。


『今夜、執務室に忍び込む。待ってて、みんな』


 その文字は、そこで終わっていました。

 ページには赤黒い染みと、紫色の甘い香りがこびりついています。

 最後の文字が擦れて乱れているのは、書いている最中に何かがあった証拠でしょう。

 正気を持って立ち向かった者は、跡形もなく消されている。


 彼女は被害者ではない。

 心の弱さに付け込み、悪意を肯定し、彼女たちが「自ら望んで怪物になるように」仕向けていたのです。


 最後のページには、アンナの整った筆跡で、まるで私への手紙のようにこう書き添えられていました。


『アリス様へ。

 ね? 人間って、耕し方次第でこんなに面白く育つでしょう?

 貴女もいつか、こんな風に綺麗に咲いてくださいね』


「……ッ!!」


 私は日記を強く握り締めました。

 ミシミシと、革の表紙が軋みます。


「ふざけないで……!」


 アンナは、こんなことを言う人じゃなかった。

 私を守って、背中を斬られて死んだ、優しくて強いあの子が、こんな悪趣味なことを考えるはずがない。


「これは……アンナへの冒涜よ」


 死者の肉体を蘇らせ、あまつさえその口を使って、こんなおぞましい言葉を吐かせるなんて。

 アンナの尊厳を、私たちの思い出を、泥足で踏みにじる行為。


 ――『あの方』。


 アマリリスはそう言いました。

 アンナの皮を被った怪物を操り、この地獄を作り上げた黒幕。

 

「許さない……。絶対に、許さない……!」


 私は涙を拭いました。

 泣いている場合ではありません。

 私が泣いていては、アンナの魂は永遠に救われない。

 

 私は窓ガラスに映る自分を睨みつけました。

 そこにいるのは、守られるだけの弱虫な王女であってはなりません。


「強くなる。……あいつを、この手で葬り去るために」


 心も、身体も、すべてを鍛え上げましょう。

 いつか再び、あのアマリリスと――その背後にいる『あの方』と対峙した時、一太刀でその首を刎ねられるように。


 窓の外では、まだ薬の切れた女性たちの悲鳴が響いています。

 私はその地獄の合唱を、復讐への誓いの歌として胸に刻み込みました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ