011 再会の晩餐
執務室の窓から、王家の紋章を掲げた馬車と、武装した騎士団の列が見えました。
ついに到着しましたね。
「ふふ。前菜だけでお腹いっぱいになるかと思いましたが……やはり、メインディッシュが来ないと締まりませんね」
私は口角を上げ、最後の仕上げに取り掛かりました。
戦うつもりなんてありません。
せっかくのお客様なのですから、最高のおもてなし(トラウマ)をプレゼントして差し上げないと。
「ポチ。お客様がいらっしゃいましたよ。盛大に歓迎してあげなさい」
「ワンッ!」
私は首輪を外し、彼を大広間へと放ちました。
◇
王国の監察団――アリス王女と近衛騎士団は、異様な静けさに包まれた村を進んでいました。
村人たちの姿はあります。しかし、誰も騎士たちに助けを求めようとはしません。
家の中から、あるいは物陰から、ただ怯えた目でこちらの様子を窺っているだけです。
それは圧政に苦しむ民の目ではなく、何か恐ろしい「ルール」に縛られ、思考を停止した家畜の目でした。
「……様子がおかしいですね」
アリスが呟きます。
彼女の隣を歩く騎士団長が剣の柄に手をかけました。
「殿下、警戒を。罠かもしれません」
一行は領主の館に到着しました。
正門は大きく開け放たれ、守衛の姿もありません。
まるで、自ら口を開けて獲物を待つ怪物のようです。
「……行きます」
アリスは毅然と顔を上げ、館の中へと足を踏み入れました。
「――王国監察団だ! 領主はいるか!」
騎士たちが大広間の扉を蹴破り、一斉になだれ込みます。
しかし、彼らは即座に足を止め、言葉を失いました。
そこには、戦いの準備など微塵もありませんでした。
大広間は、豪華絢爛なパーティー会場と化していたのです。
テーブルには山盛りの料理と最高級のワイン。
そして、美しいドレスを着た女性たちが、虚ろな笑顔を貼り付けたまま、機械人形のように楽器を奏でています。
「あ、あぅ……きゃく……おきゃく、さま……」
上座にいた男――領主が、ふらふらと這い出てきました。
四つん這いです。
彼は騎士たちの足元まで這いずると、媚びるように靴を舐めようとしました。
「うわっ!? な、なんだ貴様は!」
騎士の一人が思わず後ずさります。
領主はヘラヘラと笑いながら、自分の首を指差しました。
「ワンッ! ……ポチ、いいこ……ごはん、ちょうだい……?」
その異様な光景に、騎士たちは毒気を抜かれ、同時に寒気が走りました。
一国の領主が、人間の尊厳を完全に破壊され、ただのペットに成り下がっている。
「……ッ、許せない」
アリスは怒りに震えながら、奥の階段を見上げました。
そこに、その元凶がいると直感したからです。
「出てきなさい、『アマリリス』! この村を裏で操っているのは貴女でしょう!」
◇
「まあ。せっかくのお料理が冷めてしまいますわ」
私は大階段の上から、ゆっくりと姿を現しました。
かつての侍女服ではなく、領主代行としての豪奢なドレスを纏って。
騎士たちが一斉に私に剣を向けます。
ですが、アリスだけは動きませんでした。
いいえ、動けなかったのです。
私と目が合った瞬間、彼女の時が止まりました。
「……う、そ……」
カラン、と乾いた音が響きました。
アリスの手から、王家の紋章が入った「査察許可証」が滑り落ちたのです。
彼女の瞳が大きく見開かれ、唇がわなないています。
無理もありません。
目の前にいるのは、数年前、自分の身代わりとなって死んだはずの侍女なのですから。
「アンナ……? どうして……?」
「ようこそお越しくださいました、アリス様」
私はスカートの裾を摘み、優雅にカーテシーをしました。
「アンナ、なの……? でも、貴女は死んだはずじゃ……!」
「ええ。私はあの日、確かに死にました」
私はゆっくりと顔を上げ、妖艶に微笑みました。
「ですが……『あの方』が、私を蘇らせてくださったのです」
「……あの方?」
アリスが息を呑みます。
私は両手を広げ、この狂った宴会場を示しました。
「アリス様。この村はいかがでしたか?
私が手塩にかけて育てた『花(女性たち)』と、調教をした『ポチ(領主)』……。
とても美しい庭園でしょう?」
「……何を言っているの? ここは地獄よ! アンナ、貴女は何をされたの!? 誰に操られているの!?」
アリスが涙を浮かべて叫び、私に駆け寄ろうとします。
騎士団長が慌てて彼女を制止しました。
「殿下! いけません! あれは死霊術か何かで操られているのです! 不用意に近づけば……!」
正解です、騎士団長さん。
これ以上近づかれては、私が逃げにくくなります。
「ふふ。……残念ですが、私はまだここで捕まるわけにはいきません」
私は一歩、後ろに下がりました。
同時に、周囲の空間がぐにゃりと歪みます。
事前に設置しておいた転移魔法の起動です。
「待って! アンナ! 行かないで!」
アリスが必死に手を伸ばします。
私は消えゆく光の中で、テーブルの上に置かれた『分厚い革張りの本』を指差しました。
「アリス様。そちらに、彼女たちが毎日書いていた『日記』を置いておきますね」
「にっ、き……?」
私は困ったように眉を下げ、心配そうに告げました。
「私は忙しくて、中身までは管理しきれませんでしたから……。
もしかしたら、『手掛かり』が書かれているかもしれませんよ?」
私は人差し指を口元に当て、祈るように囁きました。
「どうか、隅々まで読んでくださいませ。……そこに、真実がありますから」
「アンナァァァッ!!」
彼女の悲痛な叫び声を置き去りにして、私の視界は白光に包まれました。
◇
転移した先は、館から遠く離れた森の中。
私は亜空間ポケットから回収したボトルを確認し、満足げに頷きました。
アリスちゃん、いい顔をしていましたね。
死んだはずの侍女が生きていて、しかも悪の手先になっている。
これで、彼女は確実にあの日記を読むでしょう。
「アンナを救う手掛かりがあるかもしれない」「アンナがどうしてああなったのかがわかるかもしれない」と期待して。
けれど、そこに書かれているのは被害者たちの悲鳴ではありません。
『今日もアマリリス様に褒めていただけた』
『隣のあの子が落ちて清々した』
『もっと私を見て、私を愛して』
そんな、自発的に堕ちていった女たちの、粘着質な『崇拝』と『狂気』の記録です。
救おうとした被害者が、実は喜んで加担していたと知った時。
そして、その元凶である私が、被害者たちから神のように愛されていたと知った時。
彼女の正義感は、どう歪み、どう熟成するのでしょうか。
数年後、再会する時が楽しみですね。
「さて。次の農場へ向かいましょうか」
私はカトレアに渡した地図とは全く別の方向へ向かって、軽やかに歩き出しました。




