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009 土に潜む魔女

 農場の運営は順調そのものでした。

 館の花々は競い合うように咲き誇り、村の土壌からは濃厚な背徳の養分が吸い上げられています。


 ですが、どんなに整備された庭園にも「雑草」は紛れ込むものです。

 しかも今回は、少しばかり棘のある品種のようで。


 私は執務室の窓ガラスに映る自分を見つめ、口角を上げました。


「……おや。土(二級)の中に、異質の種が混じっていますね」


          ◇


 深夜。

 館の廊下を、一つの影が音もなく移動していました。

 彼女の名はトレイラ。16歳の魔女見習いです。

 肩にかかる漆黒の髪と、深紅の瞳を持つ少女は、【二級】の雑用係として潜り込んでいましたが、その瞳には強い反骨心が宿っていました。


(……待っててね、みんな。私がこの狂った館を解放してあげるから)


 彼女の得意魔法は【闇魔法】。特に【魅了チャーム】と影の操作に長けています。

 しかし、魅了は異性にしか効果がなく、同性である女主人アマリリスには通用しません。


(魔法が効かなくても関係ないわ。私にはこれがある)


 彼女は背中に背負ったモップの柄を握りしめました。

 魔女としての才能が突出している彼女ですが、護身用の「棒術」にも非凡な才がありました。

 一般人の女一人くらい、不意をつけば物理的に制圧できる。

 そう高を括り、彼女は執務室のドアの前に立ちました。


 彼女が指先をかざすと、影が鍵穴に忍び込み、内部の構造を操作します。

 カチャリ。

 音もなく解錠され、トレイラは部屋へと滑り込みました。


(……いない?)


 部屋はもぬけの殻でした。

 月明かりだけが照らす静寂の中、部屋の中にある奇妙な装置が目を引きます。

 巨大なガラスの蒸留器と、そこから抽出された紫色の小瓶。


 トレイラは机上の小瓶を手に取り、鼻を鳴らしました。


「アロマボトル……? ふん、こんな子供騙しの幻覚剤、魔女の私に効くわけないでしょ」


 彼女は興味なさげに小瓶を机に戻しました。

 そんなものより、ターゲットの確保が先決です。

 彼女はモップ(武器)を構え直し、部屋の隅やカーテンの裏など、物理的な脅威が潜んでいないかキョロキョロと物色を始めました。


 その隙だらけの背後。

 空間が揺らぎ、光の屈折が解かれます。


「――こんばんは、可愛い毒草さん」


 ふわり、と。

 トレイラは背後から優しく抱きすくめられました。


「ひゃッ!? い、いつの間に……!」


 トレイラは反射的に身をよじり、得意の棒術で反撃しました。

 彼女はモップを短く持ち直し、その柄尻いしづきを、背後の敵の脇腹へと鋭く突き出します。

 人体構造を知り尽くした、的確な急所攻撃。常人なら肋骨が折れ、呼吸ができなくなる一撃です。

 ドゴッ! と鈍い音が響きました。


「な……!?」


 驚愕したのはトレイラの方でした。

 渾身の突きは、私の腹部に当たった瞬間、まるで巨木の幹を殴ったかのように弾かれたのです。

 私は、微動だにしません。ただの人間なら内臓破裂でしょうが、あいにく私の身体は魔力で強化コーティングされています。物理的な強度ステータスが桁違いなのです。


「暴れないでくださいな。せっかくの『香り』が逃げてしまいます」

「ばけ、もの……ッ!」


 私は彼女の両腕を片手で軽々とねじ上げると、そのまま部屋の中央にある太い大理石の柱へと押し付けました。

 亜空間から取り出したロープで、手際よく彼女の身体を柱に括り付けます。

 彼女が抵抗する間もなく、庭木に添え木をするような手軽さで、彼女は柱という名の杭に固定されました。


「くっ、離して! ほどきなさいよ!」

「ふふ、元気な苗木ですね」


 私は机の上から紫色の小瓶を手に取り、彼女の正面に立ちました。

 そして、空いた左手で彼女の顎を掴み、強引に上向かせます。


「ぐ、うぅ……!」

「これは貴女好みにブレンドしてあげたものですのよ? 嗅いでくださらないの?」

「んぐッ……や、やめ……!」


 私は小瓶の口を、無防備になった彼女の鼻先に押し付けました。


「さあ、深く吸いなさい」

「んんーッ!!??」


 強制的な吸引。

 紫色の香気が、彼女の鼻腔から脳髄へと侵入します。

 それはただのアロマではありません。

 彼女の体内の魔力回路を暴走させ、脳内物質を強制的に分泌させる『魔女殺し』の芳香。


「あ、が……ッ!? まりょく……が……逆流……ひぐッ!?」


 トレイラの瞳孔が開き、焦点が定まらなくなります。

 彼女の身体が、化学反応を起こしたように高熱を発し始めました。

 拘束された身体が、柱に擦れるほど激しく身悶えします。


「はぁ、はぁ……ッ! あつい……からだが……燃えちゃうぅ……!」


 魔力の逆流による昂揚感が、許容量を超えた快楽となって彼女を襲います。

 魔女にとって、魔力の奔流は知識の源泉であり、最大の悦び。

 

「あ……ぁ、あぁ……ッ……」


 トレイラは白目を剥きかけながら、口端からはよだれがだらーんと垂れ落ちました。

 ビクンと縛られたまま痙攣し、やがて――ガクンと首が垂れ下がりました。

 意識の糸がプツリと切れ、ロープに体重を預けてぐったりとぶら下がります。


          ◇


「……ん、うぅ……」


 しばらくして、トレイラが目を覚ましました。

 まだ意識は朦朧としているようです。

 虚ろな瞳で、目の前に立つ私をぼんやりと見上げています。

 逃げる気力も、抵抗する意思も、薬剤によって溶かされています。


 私は彼女の顔に近づき、その耳元で甘く、粘り気のある声で囁きました。


「ねえ。魔法の極致を知りたくないですか?」


 ゾクリ、と。

 トレイラの肩が震えました。


「きょく……ち……?」

「ええ。私にそのたましいを預けるなら……人間を超越した『不老不死』にしてさしあげても構いませんよ?」


 トレイラの虚ろな深紅の瞳に、恐怖と、抗えない探究心が混ざり合います。

 身動きの取れない状態で、耳元から脳へ直接注ぎ込まれる甘言。

 魔女としての本能が、未知なる知識を渇望してしまうのです。


「……なり、たい。……しり、たい……」


 彼女は夢遊病のように呟きました。

 契約成立です。


「――神技『ソウル・徴収コレクト』」


 私は彼女の胸に手を差し込みました。

 ズズズ……と、彼女の身体から光り輝く球体が引き抜かれていきます。

 美しい紫色の輝きを放つ、彼女の『魂』です。


 それが完全に離れた瞬間、トレイラの肉体は完全に脱力し、ただの肉の器となってロープに吊り下がりました。


「ふふ。……いらっしゃい」


 私は引き抜いた魂を、自分の胸へと近づけました。

 紫色の光は、水が砂に染み込むように、すうっと私の胸の中へと吸い込まれていきました。

 これでアンナさんと同じ、私のコレクション(一部)です。


「さて。残ったほうも、勿体ないですね」


 私は柱に吊るされたままの『抜け殻の肉体』を見上げました。

 魂が抜けただけで、傷一つない綺麗な状態です。

 魔女の素質がある肉体ですから、加工すれば優秀な自動人形オートマタくらいにはなるでしょう。


「――神技『アイテム・ボックス(亜空間収納)』」


 私は亜空間ポケットを開き、抜け殻となった肉体をロープごと収納しました。

 魂と肉体、分けて持っていれば用途も広がります。

 昆虫採集の標本箱に、新しい蝶々が加わった気分です。


「さて。雑草取りも終わりましたし、農場経営に戻りましょうか」


 私は誰もいなくなった執務室で、窓ガラスに映る自分の髪を整え、優雅に微笑みました。

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