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000 乾いた神の道具、肥沃なる下界の土壌

 ――えっとぉ、世界を救うのって、これで何回目でしたっけぇ?

 三千回までは数えてたんですけどぉ、それからは忘れちゃいましたぁ。


「戦乙女ラヴィーナよ。下界にて魔王が復活の兆しを見せている。直ちに降臨し、勇者を導き、邪悪を討ち滅ぼすのです」


 白亜の神殿に、創造神様の厳かな声が響き渡ります。

 昔は、その声を聞くだけで「やらなきゃ!」って震えちゃったものなんですけどぉ。

 今の私の心にあるのは、なんだかカスカスの「無」だけなんですよねぇ。


「……んー、やめときますぅ」

「なんと?」

「だって疲れちゃいましたしぃ。お休みもないですし、ボーナスは『名誉』だけですしぃ。毎日毎日、おんなじような勇者さんを励まして、おんなじような魔王さんを殴って……。もう、飽きちゃいましたぁ」


 私は手にした聖槍を、大理石の床にカランと放り投げました。

 乾いた音がして、なんだか私の心みたいだなぁって思っちゃいました。


 私は、戦乙女ヴァルキリー。神様の手足になって世界を管理する、お人形さんみたいなものです。

 でもぉ、ちょっと働きすぎちゃったみたいで、魂がすり減っちゃってるんですよねぇ。

 潤いが、全然足りないんですぅ。

 達成感っていうお水も、使命感っていう肥料も、今の私にはお砂みたいに味がしなくって。


 私の魂は今、ひび割れた荒野みたいにパッサパサで、悲鳴を上げてるんです。

 あぁ、喉が渇いたなぁ。渇いて、渇いて、カラカラだなぁ。


「ラヴィーナよ、気でも狂ったか? お前ごときが職務を放棄するなど――」


 神様の怒鳴り声を聞き流して、私は下界を覗き込みました。

 ずーっと下にある、人間さんたちが暮らす泥と混沌の世界。


 そこから漂ってくる「とっっっても良い匂い」に、鼻がひくひくしちゃいました。


 裏切りの腐った匂い、嫉妬のすっぱい匂い、愛憎のあま~い腐敗臭。

 ドロドロしてて、でもむせ返るくらい濃厚で、カラフルな感情のスープ。


 神界の無菌室みたいな空気とは全然違いますぅ。

 あそこには、今の私を満たしてくれる「栄養」がいっぱいあるんですねぇ。


(……わぁ、おいしそう……)


 その瞬間、私の中で何かがカチリと切り替わっちゃいました。

 戦士としてのスイッチが壊れて、代わりに別の何かが芽吹く音がします。


 人間さんたちが、守らなきゃいけない弱い生き物には見えません。

 彼らが抱えてるぐちゃぐちゃした感情の一つ一つが、たわわに実った『おいしい果実』に見えちゃうんです。


 あの果実をプチッともぎ取って、ギューッて搾り尽くして、その濃厚なジュースでこの乾いた魂を満たしたいなぁ。

 ええ、そうですねぇ。雑草さんはブチブチ抜いて、肥料をたっぷりあげて、たーっぷり()()()()()()()()あげなくっちゃ。


「――おい、どこへ行くラヴィーナ! 戻れ!」


 私は背中の翼を広げました。

 もう神様の命令なんて、コバエの羽音くらいにしか聞こえません。


「今日で退職させていただきま~す。……これからは、趣味の農業かていさいえんに生きますのでぇ」


 私は聖なる鎧をポイッと脱ぎ捨てて、真っ逆さまに堕ちていきました。

 目指すは、おいしい香りが手招きしてる約束の場所。


 これから始まるのは、世界を救う英雄譚じゃないですよぉ。

 カラカラに乾いた私が、自分を満たすためだけに皆さんの人生を耕して、最後の一滴までチューチュー吸い尽くし、私だけの極上のアロマを調香する、気ままなセカンドライフの始まりなんですぅ。

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