わたくしを信用しないのなら、婚約解消して下さってかまいません。美貌の令嬢と嫉妬深い公爵令息の物語。
ヴィオレータ・マルド伯爵令嬢は、グオリアス・レイドル公爵令息の婚約者だ。
ヴィオレータはそれはもう、咲き誇る花のような令嬢で、17歳ながら、モテまくっていた。
ヴィオレータが微笑めば、男子生徒は皆、頬を赤らめ、ヴィオレータが困っていると、誰かしら手を差し出した。
アレは魔性の女だ。
皆、そう言って、女性達はヴィオレータを遠巻きにして、あまり関わらないようにしていた。
「誰が魔性の女よ」
ヴィオレータは、妖艶だ。口元に黒子があり、髪もなだらかなウエーブのある金の髪。
あまりの美貌に月も陽の光も霞むと言われる程の美しさ。
「だから、誰が魔性の女よって言っているの」
ヴィオレータ本人は怒っていた。
そりゃそうだ。周りがヴィオレータをちやほやして、祭り上げて勝手にイメージを作り上げてくるのだ。
「いや、だから、わたくしは普通に生活が送りたいのよ」
女友達だって欲しいし、男性にだって、見ただけで頬を染めないで欲しいっ。
別に色目を使った覚えはないのに、ちょっと躓いただけで手を差し出して、教室までエスコートしなくてもいいのよ。
わたくしは普通に生活がしたいのっ。
ヴィオレータが好きなのは、婚約者のグオリアス・レイドル公爵令息だ。
剣技が得意で、先行き、王国の騎士団に入って騎士団長を目指したいと言っていた。
黒髪碧眼の背の高い彼も、ヴィオレータの婚約者に相応しいと言われている美男だ。
そんな美男の彼だってモテるのに、ヴィオレータに会うたびに文句を言うのだ。
「他の男に色目を使うな。皆、なんて言っているか知っているか?俺の婚約者のマルド伯爵令嬢は色々な男に色目を使っている。淫らな女だと噂している。俺は先行き、騎士団に入りたい。王国の為にこの剣を役立てたい。それなのに婚約者の君が淫らだなんて、恥ずかしい。そもそも、その口元の黒子を持った艶やかな唇で色っぽく微笑むのをやめてほしい。
その潤んだ瞳で俺を見ないで欲しい。
なんだ?その美しい白い手は。こんな美しい手だったら誰だって握りたくなるだろう?
ああ、絹のような金の髪。透き通るような青い瞳。お前はなんて淫らなんだ。
こんな淫らだから男達がお前に夢中になるのだ。
他の男と関わるな。淫らな行動をするな。いいな?ヴィオレータ。未来の騎士の妻になるのだ。身を慎んでくれ」
ヴィオレータは怒りまくった。ドンとテーブルを叩いて。
「生まれ持ったものを言われても困りますわ。わたくし普通に男性とは接しておりますの。色目なんて使った覚えはありません。それなのに、淫らで誘惑していると?冗談じゃありませんわ」
「怒った顔すらも、なんて美しいんだ。だから君は、ああ、どうしようもない。君は無表情で男性と関わるな。俺の婚約者として命令する。いいな?」
「無表情?笑ってもいけないと言うの?貴方にそこまでわたくしの行動を制限する権利はないわ。いくら婚約者とはいえ、酷すぎます」
「あああ、その胸元。男を釘付けにするではないか?胸を隠せ。胸を」
「制服を普通に着ているだけですわ。校則に違反しておりません。ボタンも外していませんし、リボンもちゃんとつけております。まるで、わたくしが胸をさらけだしているような言い方。侮辱ですわ」
「だが、俺の視線が君の胸に行くだなんて、君は胸をさらけだしていると同様だ」
「はぁ?どこ見ているんですか?どこをっ。騎士を目指すというのに、騎士の風上にもおけませんわ」
「君がいけない。君が。そんな魅力的な胸をっ」
「生まれついた胸の大きさですし、女性に対して胸胸と連呼するのは失礼すぎますわ」
相手をするのも疲れたので、ヴィオレータは、グオリアスに向かって、
「ともかく、わたくしは男性を誘惑なんてしておりません。失礼致します」
疲れた。いつもこんな調子で喧嘩になる。
格上のレイドル公爵令息、グオリアスからの懇願で婚約者になったのだけれども、会うたびにこんな感じで、ヴィオレータは頭が痛かった。
だから、親友マーガレットに相談したのだ。
彼女だけはヴィオレータを遠巻きにせず、席が隣だったので、何かと親切にしてくれた。
一方的にヴィオレータは親友だと思っていたのだ。
マーガレット・エリド伯爵令嬢は、ヴィオレータに、
「失礼な婚約者だと思いますわ。女性に胸の事を言うだなんて、あまりにも。婚約は解消致しませんの?」
「グオリアス様から懇願されて婚約しているのですわ。ですから格上の公爵家からの申し込みを断る訳にも」
「グオリアス様が嫌いなのでしょう?だったら、頼んでみればいいではありませんか。グオリアス様に」
マーガレットに言われて、ヴィオレータは考える。
本当に彼の事が嫌いなのであろうか。
確かに嫉妬深くてよく喧嘩はするけれども‥‥‥
グオリアスはヴィオレータを頻繁にデートに誘ってくる。
ヴィオレータを守るように、エスコートをし、ヴィオレータは古本を探して歩くのが趣味で、
グオリアスはよく付き合ってくれる。
ヴィオレータが目当ての古本を見つけたら、グオリアスはとても喜んでくれて、
「よかったな。ヴィオレータ。君が嬉しそうだと俺も嬉しい」
「ええ、お付き合い有難うございます。この本、絶版だったので欲しかったのですわ。見つかったのはグオリアス様が一緒に探してくれたから」
「君を守るのは、先行き騎士を目指す俺の務めだ。婚約者として当然だ。そうだ。疲れただろう?良いカフェを知っている。そこへ行こう」
ちょっと歩いたところに、木々に囲まれた洒落たカフェが見えた。
二人でそのカフェに入って、窓際の席に案内してもらう。
グオリアスはヴィオレータと共にメニューを見て、
「ここのカフェは、チョコレートケーキが美味いとの事だ。食べてみるか?」
「まぁ、わたくし、チョコレートケーキが大好き。食べたいですわ」
「それなら、注文しよう。土産にも持って帰ろう」
濃厚なカカオの味がして、ほろ甘くて、とても美味しいチョコレートケーキ。
食べた途端、ヴィオレータは幸せを感じた。
「美味しいですわ。とても当たりのお店ですわね」
「そうだな。君が喜ぶ顔をみたら、俺まで嬉しくなってしまうよ」
グオリアスがあらかじめ調べておいてくれたと、後日解った。
とても優しい婚約者。
彼が嫉妬深くなければよいのだけれども。
毎回毎回、学園で男に関わるなと言われるととても疲れてしまう。
マーガレットは別れを頼んでみればと言うけれども、本当に彼と別れていいの?
そういう風に悩んでいたら、とある日、見てしまった。
学園の廊下でマーガレットがグオリアスに縋って、
「わたくし、貴方の事が好きです。貴方の事を好きな令嬢は沢山いるわ。たしかにマルド伯爵令嬢は妖艶で美しくて、でも、心配でしょう?彼女は色々な男に色目を使って惑わしているって噂があるわ。いえ、わたくし見てしまったの。彼女が他の男性をわざと煽って、楽しんでいるのを。そんな方は婚約者にふさわしくないでしょう?わたくし、婚約者はまだ決まっておりませんの。我がエリド伯爵家は事業も順調で、レイドル公爵家にふさわしいですわ」
「俺は騎士になる。家は兄が継ぐことになっている。ヴィオレータは騎士の妻でもいいと言ってくれた」
「わたくしも騎士の妻でもよいですわ。グオリアス様はとても美しくて、強くて、騎士団でも出世なさるのでしょう?ですから、わたくし貴方と婚約したいですわ。ヴィオレータなんて不誠実な女性よりわたくしと婚約して下さいませ」
ヴィオレータはショックを受けた。
マーガレットは親友だと思っていた。隣の席で親切にしてくれる唯一の親友だと。
違っていたのだ。彼女はグオリアスが目当てだった。
確かにグオリアスは騎士を目指している。そして、騎士の妻になってもよいかと聞かれた。
ヴィオレータは見かけは派手で、妖艶で、マルド伯爵夫妻や兄から、
「お前の美貌があれば、社交界の中心に輝くだろうな」
だなんて言われていた。
しかし、ヴィオレータ自身は本が読むのが好きな令嬢だ。
先行き、社交界に出て輝きたいだなんて思ってもいない。
だから、騎士の妻でもかまわないと思った。
マーガレットにこのままではグオリアスを盗られてしまう。
いいの?本当にいいの?このままグオリアスを盗られて。
ヴィオレータは考える。
彼は確かに嫉妬深くて、ちょっと口うるさい。
男に媚を売るなとか、いくらヴィオレータが媚を売っていないといっても、信じて貰えない。
だが、一緒に本を探してくれて、自分の為にチョコレートケーキの店も探してくれて。
きっと愛してくれているんだろう。
ヴィオレータ自身はどうだろう。
「わたくしは彼の事を愛している?」
解らない。ただ求められるままに婚約をして、断る事も出来ない立場。
マーガレットと廊下でまだ話をしているグオリアス。
二人の前に進み出てヴィオレータは、
「グオリアス様。マーガレットが望むなら、婚約をわたくし解消しても構いませんわ」
胸が痛む。グオリアスはなんて言うだろう。
グオリアスはきっぱりと、
「君は他の男性の事が好きなのか?マーガレット嬢が言う通り、他の男に媚を売って‥‥‥」
「わたくしの事が信じられないのなら、婚約解消をして下さってけっこうですわ」
そう、先行き、グオリアスが自分の事を疑い続けるのならば、一層の事、婚約解消してもらったほうがいい。
夫婦とは信頼。その信頼が最初から揺らぐ結婚ならば、しない方がいい。
ヴィオレータははっきりと、グオリアスの目を見つめながら、
「わたくしは、他の男性とお付き合いをした覚えもありませんし、色目も使っていませんわ。わたくしが興味があるのは、本。知識です。それは貴方も良くご存じのはず。勿論、男性で興味があると言えば、グオリアス様しかいませんわ。わたくしの婚約者ですもの。一緒に本を探して下さったり、好きなチョコレートケーキがあるカフェを見つけてくれて案内して下さったり、グオリアス様の優しい所はとても好きですわ。でも、わたくしの男性関係を疑うとおっしゃるのなら、わたくし、婚約解消しても構いません」
グオリアスは目を見開いて、そして、ヴィオレータの前に跪いた。
手の甲にキスを落として、
「愛しいヴィオレータ。君を疑ってすまなかった。君の事を一番よく知っているのは俺だ。君が本が好きで、古本を探して休みの度に巡っているのを知っているのは俺だ。でも、あまりにも君が妖艶で美しいのでつい、心配になってしまう。他の男に盗られるのではないかと。だから……俺は‥‥‥どうか、婚約を続けて欲しい。俺自身はまったく婚約解消を考えていない。愛している。ヴィオレータ」
嬉しかった。信じてくれたのだ。
グオリアスは立ち上がると、マーガレットを睨みつけて、
「我が婚約者、ヴィオレータを貶めて、俺を騙そうとしたな?」
マーガレットはグオリアスに縋りながら、
「ずっとお慕いしておりました。この女よりずっと。ですからわたくしと婚約してっ」
「断る。俺はヴィオレータと婚約解消する事は絶対にない」
そう言って、マーガレットに背を向けて、ヴィオレータの手を取り、
「さぁ、行こうか」
「ええ、グオリアス様」
この件があってから、グオリアスはヴィオレータが色目と使っているとか、そう言う事を言わなくなった。
ただ、昼休みはこれまで通り、一緒に食事をし、可能な限り一緒にいてくれた。
ヴィオレータは妖艶だ。ヴィオレータは美しい。
だから、他の男性達が婚約者がいるにも関わらず近づいて来る。
その度にグオリアスは男性達に公爵家の権限を使って、脅しをかけて回った。
「モテる婚約者を持つと大変だ」
苦笑して言うグオリアス。そう言うグオリアスも美男だから、色々な女性達が誘惑してくる。
彼は断固として公爵家の権限を使って、脅しをかけて断っていた。
ヴィオレータはグオリアスの手を両手で握り締めて、
「わたくしが愛しているのは、グオリアス様だけですわ。いつもわたくしを守って下さり有難うございます」
グオリアスは赤くなって、
「君を守る為なら、俺は命をかけるよ」
ヴィオレータはそんなグオリアスを見て、幸せを感じた。
なんか見知らぬムキムキな男性達が。
「屑ではなかったのか?」
「屑ではないみたいだな」
「美男なのに残念だ」
ふと思い出した。彼らは変…辺境騎士団。美男の屑をさらって教育する連中だ。
ヴィオレータは彼らに向かって叫んだ。
「グオリアス様はわたくしを信じてくれるようになりました。わたくしは幸せよ。ですから、貴方達には用はありませんっ」
一人の金髪の美男が片手を挙げて、
「そいつは良かった。幸せになれよ」
ヴィオレータは彼らに向かって微笑んだ。
王立学園を卒業した後、二人は結婚した。
そう、今では過去のグオリアスの嫉妬は笑い話である。
騎士の妻となったヴィオレータ。
その美しさは相変わらず周囲の噂になったけれども、ヴィオレータ自身はグオリアス一筋で、可愛い息子や娘も産まれて、王都の小さな屋敷で幸せに暮らす日々。
自分とグオリアスの仲を壊そうとしたマーガレットは、廊下での事件の後、学園を退学して姿を見かけなくなった。
グオリアスが苦情をエリド伯爵家に入れたと言っていた。
彼女は修道院へ行ったと後に聞いた。
レイドル公爵家をエリド伯爵家は恐れて、娘を修道院送りにしたのだろう。
グオリアスはヴィオレータと子供達にチョコレートケーキを今日も買ってくる。
家族と一緒にチョコレートケーキを食べる事の出来る幸せを、ヴィオレータは有難く思うのであった。