第57話: アスクレピオスの最期と『主』の影
私たちは満身創痍ながらも、ようやく訪れた勝利の安堵感に包まれ、互いにその労をねぎらっていた。
「終わったのね……本当に……」
私は体の力が抜け、その場に座り込みそうになるのをレオルガンが優しく支えてくれた。
「大丈夫か——?」
「え、ええ。むしろあなたこそ——傷だらけよ」
「構わん。
君と、イヴァールと、そして仲間たちのおかげで
終わったんだ——終わったんだな」
彼の「心の声」は深い安堵と、私への揺るぎない信頼で満ちている。
「僕……みんなを、守れた……?」
イヴァールは、まだ信じられないというように、自分の小さな手を見つめている。だがその表情には、恐怖を乗り越え大切なものを守り抜いたという、確かな自信と誇りが見えるようだ。
ミーアとライルもまた、傷つきながらも安堵の表情で私たちを見守っている。
「ロマンシア様——」
だがその平穏は、あまりにもあっけなく打ち破られた。
「フフ……フハハハ……
これで……終わりだと……思うなよ……
愚か者ども……!!」
蹲っていたアスクレピオスが、力を振り絞って顔を上げ、不穏なことを言い出した。
私たちは身構えた。しかしアスクレピオスの異様な様子は、まだ何かを企んでいるのではないかという、強烈な不安を抱かせた。
「『蛇』は不滅——! 『主』は必ずや降臨する!
我らが『主』は……全てを見通しておられる……!
世界は……必ずや……
必ずや『主』の御手に……落ちるのだ……!」
アスクレピオスは弱々しくも確信に満ちた声で、そう言った。何だこの不穏な空気は——。
(アスクレピオスすらも
やはりただの『手先』の一人ということ——)
まだ見ぬ真の黒幕『主』——。『蛇』組織の計画はこれで終わりではないのだ。アスクレピオス自身もまた、そのより大きな計画の中の、一つの駒に過ぎなかったのだ……。
「脅そうとしても無駄よ
あなたはこれから拘束され、尋問され
——裁かれるの。
全貌を洗いざらい話してもらうのよ!
正規兵、騎士団、全ての力で組織を壊滅させるわ」
「ふっ……
『主』の計画は……まだ始まったばかりなのだ……。
お前たちは……いずれ知ることになるだろう……
真の絶望というものを……!
フハハハハ……!」
「何ですって?」
私がアスクレピオスの胸ぐらを掴んで一発お見舞いしてやろうとしたその瞬間——、アスクレピオスの体が突然、黒紫色の光に包まれた。
「きゃああ! 何!?」
次の瞬間、まるで自爆するかのように、黒紫の光と共にアスクレピオスは跡形もなく姿を消したのだ。
「そ、そんなバカな……!」
「何が起きたというのだ?」
私も、レオルガンも、皆も、呆然としていた。アスクレピオスというものが存在していたという痕跡は、もはやこの地下祭壇には何も残っていなかった。
「——恐らくは、何かの禁呪です」
口を開いたのはミーアだった。
「そういう意味では、今までここにいたのも
アスクレピオス本体だったのか疑わしい。
何か別の『肉体に見えるもの』に
彼の精神だけが
どこか遠くから送り込まれていたのかもしれません」
「そんな……でもどうしてそんなことをあなたが?」
「それは——」
と、次の瞬間。地下祭壇全体が、世界の終末を告げるかのように激しく揺れ始めた。天井は崩れ落ち、床には深い亀裂が走り、壁は音を立てて崩壊していく。
地下祭壇そのものが、アスクレピオスの消滅と共に、存在を終えることを約束されていたかのようだ。
「きゃあ!」
「まずい、ここも長くはもたないぞ!
急いで脱出するんだ!」
レオルガンが叫ぶ。
崩壊する地下祭壇から、決死の脱出を試みる。イヴァールは残された僅かな力を振り絞り、「魂の共鳴」の力で、比較的安全なルートを探る。
「こっちです!」
(本当に、勇敢な子だわ——)
またある時は、落下してくる瓦礫から仲間を守るための小さな障壁を作り出して私たちを助けてくれた。
「危ない!」
ミーアとライルもまた、私とイヴァールを庇いながら崩れ落ちる通路を切り開き、脱出路を確保しようと奮闘する。
「こっちです!」
「急ぎましょう!」
まさに時間との戦い。
いつ、どこで、どんな風にこの地下空間が完全に崩壊し、生き埋めになってしまうか分からない。
私たちは互いに助け合い、励まし合いながら、必死に地上へと続く道を探した。
「こっちです!
こっちなら、まだ通れるようです!」
イヴァールの声に導かれ、私たちは奥深くにあった隠し通路のような狭い空間を辛うじて通り抜けた。
「外の光が——見える!」
私たちが地上へと転がり込むように脱出した、まさにその直後だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
私たちの背後で轟音と共に、地下祭壇全体が完全に崩壊し、巨大な陥没孔を残して地中深くに消えた。
「間に合った……!」
「でも、一体、何だったの?
まるで、人間をからかう
妖精に騙されたかのようだわ——」
しかし、賑やかな音楽隊や人々の明るい表情が飛び込んでくる。そう、目の前では「天穹の祭典」が、何事もなかったかのようにクライマックスを迎えようとしていたのだ。
「悪夢でも、見ていたの?」
「悪夢を見ていただけなら
——マシ、かもしれませんね」
大聖堂からは、祭典の終幕を告げる、荘厳な音楽が微かに聞こえてくる。私たちは人知れず、この世界の危機を救ったはずだった。
この鐘の音は、祝福か、あるいは——。
私たちの表情に達成感と共に浮かんでいたのは、アスクレピオスが遺した不気味な言葉と、まだ見ぬ「主」とやらへの深い憂慮、そして新たな戦いの予感だった。
「『主』……。
私たちの戦いは、まだ……
終わっていなかったというのね……」
私は、崩壊した地下祭壇があった場所を、土煙が静かに立ち上る大聖堂の裏庭から見つめながら、そう呟いた。
空は、まるで何もかもを洗い流すかのように、美しい夕焼けに染まっていたが、私の心は晴れることのない、重い暗雲に覆われているかのようだった。




