第52話: 天穹の祭典——の裏で進行する暗黒の儀式
その頃、地上は「天穹の祭典」当日の喧騒の中にあった。
帝都アヴァロンは、前夜祭をと比較してもなお、さらなる祝祭の熱狂に包まれている。参道も、大聖堂も、華やかに彩られ、アヴァロン中に活気が満ち溢れている。
「お母さん、こっちこっち!」
「待ちなさいったら——」
「花火の場所取りするんだ」
「慌てなくても大丈夫よ……」
街のあちらこちらで、賑々しい会話が繰り広げられていた。普段は厳粛な面持ちの人々も、あるいは日々の生活苦にあえぐ人々すら、束の間の栄華を謳歌しているかのようだった。
その光景はまさに平和と調和の象徴であり、誰もが、この祭典が無事に終わり、世界にさらなる祝福がもたらされることが、ある種「当然」だと思っていた。
だが、その華やかで平和な光景の中で——大聖堂の地下深くに広がる祭壇では、全く対照的な恐ろしくも禍々しい儀式が、アスクレピオス率いる『蛇』の組織によって進行していた。
祭壇の中央には、血のような赤い液体で描かれた巨大で複雑な魔法陣が、不気味なオーラを放っている。
周囲には様々な生き物の頭蓋骨や、奇妙な文様が刻まれた石柱が立てられ、その間で黒装束に身を包んだ『蛇』のメンバーたちが、低い声で不気味な呪文を唱えている。
祭壇には生贄のような動物の骸や、得体の知れない薬草、そして古びた魔道具のようなものを次々と捧げている。空間全体が魂を凍らせるような邪悪な気配で満ち満ちていた。
「間もなくだ……。
星々の配置が我が『主』の降臨を告げる……。
この腐敗しきった世界に
真の終末と新たなる創生をもたらす時が
ついに来たのだ……!」
祭壇の中央に立つアスクレピオスは、両手を広げ、恍惚とした表情でそう呟いた。黒いローブが、祭壇から立ち上る邪悪なオーラに煽られて、不気味に揺らめいている。
「——やはり、来たか」
◇
「ここが——
エレオノーラ妃の示していた場所なの……?」
バルログを倒し、扉を開くとそこは、想像を絶するほど広大な空間だった。地下空間とは思えないほど天井はドーム状に高く、古代の星図のようなものが描かれ、不気味な紫色の光を放っている。
床一面には、血のように赤く光る巨大で複雑怪奇な魔法陣が描かれ、禍々しいオーラが止めどもなく噴き出している。
周囲には、人間の頭蓋骨が積み上げられた祭壇や、得体の知れない生物の骸が吊るされた柱がいくつも立ち並び、まるで地獄のようだった。
空気は重く淀み、魂を圧迫するような邪悪な気配が、空間全体を支配している。
黒装束を着た『蛇』と目される奴らは、私たちが来たことなど意に介さず、ひたすらに何かを唱えている。
そして——魔法陣の中央に一人の男が静かに立っている。
黒いローブに身を包み、顔はフードで半分隠れているが、僅かに覗く口元には、冷酷な、全てを見透かしたかのような嘲笑を浮かべている。
(あの男が——!)
私たちが身構えるよりも早く、その男は口を開いた。
「フフフ……。
よくぞここまで辿り着いた、ケルベロッサの娘。
そして、ヴァリスガルの血と古の民の血を引く者。
……その他にも数匹。
虫けらが紛れ込んでいるようだが……。
全ては我が計算通り。
あの、ボンクラが歩いているだけの小娘二人が
全く役に立たなかったことも含めて
計算通りだよ」
「お姉様たちのことね。
覚えて頂けているだけでも
感謝したほうがよいのかしら?」
「ふふっ……減らず口を。
まあ、そんなささやかな抵抗も
これから始まる壮大な儀式の
余興、前座と思えば、悪くはないというものだ」
アスクレピオスは私たちを一瞥すると、取るに足らないものを見るかのように、そう言い放った。
その声は冷たく、感情の起伏を感じさせないが、そこに絶対的な自信と、私たちへの底なしの侮蔑が込められていることは確実だった。
「心の声」を聴こうにも、これまでの誰とも比較にならないほど強固な精神障壁に守られており、私の【心の声を聞く者】をもってしても、表面の思考しか読み取ることができない。
『……』
『この計画は何が起きようとも遂行する
——この命果てようとも、遂行する』
(ダメね……これ以上のことは何も読めない。
けど——)
表面の思考だけでも、アスクレピオスの狂信的なまでの信念と、計画への絶対的な自信は十分に伝わってきた。
「アスクレピオス……!
あなたのその歪んだ計画
ここで必ず阻止してみせるわ!」
私は、怒りを込めて叫んだ。
「歪んだ計画、だと?
フフフ、無知なる者は
常に理解できぬものを否定し、恐れるものだ。
我が『蛇』の組織が目指すのは
この腐敗しきった世界を『浄化』し
古き神々が支配した『真に調和ある秩序』を
この地上に再構築すること。
それは世界の救済、人々の救済であり
——新たなる創生なのだよ」
アスクレピオスは両手を広げ、まるで救世主気取りで、聞いてもいないことを語り始めた。
(どこまでも狂信的で、独善的で
——何よりも危険だわ、この男……!)
「お前たちのその、ちっぽけな正義感や
見せかけの平和への執着など
この壮大な計画の前には、塵芥に等しい。
お前たちは、ただ変化を恐れる愚か者の足掻きを
しているに過ぎん。
世界の真理を理解することはおろか
感じることすらできぬ、哀れな無知なる者なのだ」
私たちを嘲笑うかのように、吐き捨てる。よくしゃべる男だ。
「そこの小僧……イヴァール=ヴァリスガル」
「——!」
私は反射的にイヴァールを抱きしめる。何としても守らなければならない。
「お前こそが、この新たなる世界の誕生に必要な
聖なる『器』なのだ。
さあ、大人しくこちらへ来るがいい。
お前のその力も
我が『主』のために有効に活用してやろう」
アスクレピオスはイヴァールに向かって手を伸ばし、渡せと言わんばかりの振る舞いだ。
「いやだ!
僕はあなたたちの道具なんかに、絶対にならない!」
私の腕の中でイヴァールは、恐怖に震えながらもアスクレピオスを睨みつけ、力強く叫ぶ。その瞳には、もう怯えなど一切ない。仲間たちと共に戦うという、固い決意の光が宿っている。
「ふん、まだ状況が理解できていないか。
どうやら『分からせ』が必要なようだ——!」
アスクレピオスは、そう言うとレオルガンとミーア、ライルに、指先一つで攻撃を仕掛けてきた。
ズバアーッ!
指を弾いただけで空間そのものが歪み、ねじ曲げられて切り刻まれていく。何も見えないが、確実に何か禍々しい力が働いているのが分かる。
「ぐあああっ!」
レオルガンとミーアは、その見えざる力に吹き飛ばされ、壁に叩きつけられてしまう。
「レオルガン! ミーア!」
「ほう……死なぬか。
それもまた良い。
前座としてはショーアップが必要だからな!」
ズガガガ! スガガガガッ!!
次々に空間が無造作にねじり切られていく。周囲の空気も無理やりに捻られ、私の髪やイヴァールのほほを切りつけてくる。
(くっ……! 空間そのものに干渉する力……!
これを何とかしないと——!)
「空間ではない。
魂に直接干渉しているのだよ!」
「魂に干渉——?」
と、私が疑問に思うよりも早く、見えざる攻撃が私とイヴァールを直撃し、一瞬で壁まで吹き飛ばされた。
「無駄な抵抗だと言ったはずだ。
お前たちの力など
我が魔術の前には、何らの意味も成さない」
アスクレピオスは嘲笑を浮かべながら、イヴァールを魔法的な力で拘束し、祭壇の中央にある、禍々しい紋様が刻まれた拘束具へと、ゆっくりと引き寄せ始めた。
「いやだ! 離せ!
助けて! お義母様! 父上!」
「イヴァール!!」
「ぬう……! イ、イヴァールよ……!」
私もレオルガンも、力が入らない。イヴァールは、悲痛な叫び声を上げながら必死に抵抗するが、小さな体は、アスクレピオスの強大な力の前には、なすすべもなかった。
その時、地下祭壇の天井に亀裂が走り、まるで運命の時を告げるかのように、一筋の光が差し込んだ。その光がイヴァールと祭壇を照らすと、その周囲の魔法陣はこれまで以上に強く、禍々しく輝き始める。
「時は満ちた……!」
アスクレピオスは恍惚とした表情で叫んだ。イヴァールは拘束魔法によって祭壇に磔にされ、赤黒いオーラで火あぶりにされているように苦しんでいる。
「んん……! んあああああ……!」
「イヴァール……! なんてことなの……!」
私は自分の無力さをかつてないほど悔いた。それを嘲笑うかのようにアスクレピオスは続けた。
「ああああああ! たまらない! 恍惚だ!
見よ! これが世界の終わりの始まり。
真の創生の序曲だ!
さあ聖なる『器』よ! その身を捧げよ!
——我らが『主』の降臨のために!」
そう言うと、イヴァールの体からも赤黒いオーラがものすごい勢いで噴き出し始めた。祭壇全体からも凄まじい量の邪悪なエネルギーが溢れ出している。
大聖堂の地上にまで到達したのか、どこからともなく人々の悲鳴や、何かが崩壊するような轟音が聞こえてくる。
世界を揺るがすような恐るべき異変が、今まさに始まろうとしているのか。
私は気づくと止めどなく涙が溢れていた。
「ああ……私たちはやっぱり無力なの?
どうしてこんなことに……」
絶体絶命。
「まだよ……!
まだ諦めるわけにはいかない……!
必ず、何か……何か隙があるはず……!」
あの、断頭台の露と消えた日のことを思い出す。あの、絶望的な状況を味わっても、私は今ここにいる。出来ることが必ずある——。
私は最後の力を振り絞って立ち上がり、【心の声を聞く者】に全ての力を込めた。
(何か、僅かなことでもいい。
僅かな綻びでもあれば——)
アスクレピオスの精神に、僅かでも油断があれば。あるいは、儀式に何か綻びがあれば。
(人間がやっているんだもの。
必ず、必ず何かあるはず。」
探すのよ、ロマンシア……!)
諦めない。絶対に。
それが、二度目の人生を生きるロマンシア=ケルベロッサの信念だということを改めて思い出すのだった。




