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第44話: 月の谷の隠れ里と頑固な長老

 ゼノビアの執拗な追撃を辛うじて振り切り、私は意識を失ったままのイヴァールを背負い、体を引きずるようにしてエレオノーラの日記に記された「月の谷」に向かう険しい山道を進んでいた。


 レオルガン、ミーア、ライルの安否は依然として分かるはずもなく、私の心は不安と絶望で押し潰されそうだった。


 しかし、イヴァールを守り、この旅を完遂しなければならないという強い意志だけが、私を突き動かしていた。


 イヴァールは時折、苦しげに呻き、うわ言で母の名を呼んでいた。だが不思議なことに、体から微かに発せられる「古き民の力」のオーラは、周囲の自然にまで影響を与えているようだった。


 道端のしおれた花が僅かに色を取り戻したり、傷ついた小鳥が彼の傍に寄り添ってくるなり、元気になり飛び立ったりする。


 その光景は、イヴァールの力が本来は純粋で優しいものであることを、私に教えてくれているかのようだった。


(イヴァール……

 この力は、決して邪悪なものではないわ。

 ただ、今はまだ制御できていないだけ……

 このことを目を覚ましたら教えてあげなければ)



 数日間の過酷な旅の末、私たちはついに日記の最後の暗号が示す場所に辿り着いた。


(『水龍が(あま)駆ける(とき)……』

 ここだわ——!)


 天を突くような巨大な滝が流れ落ちるここは、まさに天に水龍が昇るかのよう。滝壺から立ち上る水煙が、周囲に神秘的な雰囲気を醸し出している。


(日記の続きは——

 『月の女神の涙が谷を潤す』

 ここで途切れている……)


 周囲に何かないか注意深く見回す。日記の記述によれば、この辺りに「月の谷」に続く何かがあるはず。


 だが見渡す限り、そのようなものは見当たらない。


(ミーア、ライル、レオルガン……

 お願い! 力を貸して——!)


 私が途方に暮れかけた、その瞬間。イヴァールが意識を取り戻し、岩肌の一点を指差した。


「……あそこ。

 ……何か……光ってる……?」


 指差す先は、苔むした岩肌に微かに古い紋様のようなものが刻まれている!


「まさか——!」


 恐る恐る近づく。イヴァールの体が紋様と呼応するかのように、互いに淡い金色の光を放ち始めた……。イヴァールの持つ「古き民の力」に紋様が共鳴しているかのようだ。


 ゴゴゴゴ……という重々しい音と共に、滝の裏側の岩壁がゆっくりと左右に開き始めた。暗く、さらに奥へ続く洞窟の入口が現れた。


「……開いた……!

 これが「月の谷」への道……!

 間違いないわ!」


 私たちは期待と不安を胸に、洞窟へと足を踏み入れた。暗く、細く、永遠とも思えるほど長く湿った暗い通路を抜けるとその先には、息をのむほど美しい光景が広がっていた。


「イヴァール! イヴァール……!

 あなたのお母様のお蔭で

 ついにたどり着いたのよ……!」


 そこは、外界から魔法の結界によって完全に隔絶された、緑豊かな谷だった。谷底には、クリスタルのように透き通った川が水を湛え、その両岸には古い石造りの建物が、自然と調和するように点在している。


(なんて……なんて美しい場所なの

 ——いえ。美しいなんて言葉では

 言い表せない光景だわ——!)


 空気は清浄で、どこからともなく鳥のさえずりや、心地よい風の音が聞こえてくる。まさに、伝説に謳われた、古き民の隠れ里「月の谷」であると、目に映るすべてが訴えかけてきた。


「信じられない……

 こんな場所が、本当に存在したとは……」


 そう、レオルガンの「心の声」が聞こえてきたような気がした。


「ここが……月の谷……。

 エレオノーラ様が求めていた場所……。

 ここにイヴァールの力の

 秘密を解き明かす鍵があるはずだわ……」


 感動に打ち震えていた、その時だった。


「——何者だ、お前たち!

 どうやってこの聖域に入ってきた?」


 鋭い声と共に、森の奥から人影が現れた。毛皮で作られた独特の装束を身にまとい、手には槍や弓を構えている。


 その目は鋭く、私たち外部の者に対する強い警戒心と不信感を露わにしていた。「古き民」の末裔——ということだろうか。


「我々は、敵意を持って来たのではありません!

 どうか、話を聞いてください!」


 私は必死に呼びかけた。だが彼らは聞く耳を持たず、私たちを取り囲み、武器を構えている。


「その身なり——また帝国の者だな。

 私はエルローン=シルヴァヌス。

 この地では『賢者』と呼ばれておる。

 お前たちのような外部の者は

 常に我らに災厄をもたらす!

 ——早々に立ち去るがよい。」


 厳格な顔つきをした老人が、憎々しげに吐き捨てた。


「私はロマンシア=ケルベロッサと申します。

 この子はイヴァール=ヴァリスガル。

 おっしゃる通り、帝国の者です。

 しかし我々は、危害を加えるつもりなど

 毛頭ございません!


 ただこの子の治療と

 彼の持つ力の制御方法を学ぶために参りました!」


「力——だと?」


「ええ。この子には不思議な力……

 『古き民の力』があるようなんです」


「何? この子供に——?」


「そして、その力が狙われている——

 わ、私たちには共通の敵がいるんです!

 『蛇』の紋章の組織です!


 あなた方、そしてこの子の不思議な力と

 この聖域を狙っているのです!」


 私はこの過酷な旅でボロボロになってはいたが、エレオノーラ妃の日記や、組織の計画を示唆するアビゴール夫人の文書を見せた。


 だがエルローンは一瞥しただけで、冷ややかに言い放った。


「帝国の者の言葉など、信用できるものか。

 『蛇』とやらも貴様らの陰謀の一部であろう。

 我らの力を奪い、

 この聖域を汚しに来た賊めが!」


 彼の「心の声」は、長年にわたる迫害の歴史からくる深い不信感と外部への恐怖で満ちていた。


『ここで容易に信じてはならん。

 そうやってご先祖方も良いように利用され

 そして虐殺された——それが歴史。それが事実』


『どうやって入ってきたかは知らんが——』


「お前たちを捕らえ、この谷から追放する!

 二度とこの聖なる土を踏むことは許さん!」


 エルローンが手を振り上げると、古き民の戦士たちが一斉に私たちに武器を突きつけてきた。


 ——その時だった。


 私の腕の中でイヴァールが、苦しげに呻き声を上げた。体からは再び、金色のオーラが溢れ出している。


 それは、これまでよりも強く、清らかな光だった。谷の自然——木々や花々、あるいは精霊的なエネルギーと共鳴し、周囲に不思議な現象を引き起こした。


 枯れ木に新たな芽が吹き、花々が一斉に咲き誇り、傷ついた小鳥たちがイヴァールの周りに集まり、谷全体が柔らかな、温かい光に包まれたのだ。


 古き民たちは、武器を突き付けてきた戦士たちも、目の前で起きている不思議な光景と、イヴァールから発せられる力に魂そのものが影響を受けたのか、皆一様に息を呑んでいる。


 エルローンもまた、信じられないものを見るかのように、目を見開いてイヴァールを見つめている。


「こ、この力は……まさか……

 古の……『魂の響き』……!?」


 彼の「心の声」は驚きと畏怖と、そして僅かな希望の響きで揺れていた。


 私は、イヴァールの強い意志と純粋さ、そして優しさを全身で感じていた。


(ああ、イヴァール……あなたという人は——!)

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