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第41話: 月の谷への長い旅と、新たな刺客の登場

 アビゴール夫人の失脚と、発見された『蛇』の組織との連絡文書は、ヴァリスガル皇宮に大きな衝撃をもたらしたと同時に、私とレオルガンに事態の緊急性を改めて認識させた。


 「天穹の祭典」「器の選定と覚醒」「月の谷の聖域」——謎めいた言葉はエレオノーラ妃の日記の記述と符合しており、イヴァールの内にあるものが「古き民の力」であり、イヴァールこそが「器」、そして「月の谷」がその力の覚醒と深く関わっているのだろうと推測された。


 しかも「天穹の祭典」はもう間近に迫っている。つまり、私たちに残された時間が極めて少ないことということでもある。


 私たちはイヴァールの力を正しく理解し制御するための知識を得ることと、組織の恐るべき計画を阻止する手がかりを掴むため、古き民の隠れ里「月の谷」を一刻も早く訪れる必要があった。


「『天穹の祭典』……。

 アランの報告によれば、あと二月もない。

 それまでに『月の谷』を見つけ出し

 組織の計画を阻止しなければ

 取り返しのつかないことになるかもしれん」


 レオルガンは執務室で、アビゴール夫人の文書とエレオノーラの日記を照らし合わせながら、厳しい表情で呟いた。その「心の声」は焦り、そして息子・イヴァールへの深い愛情と守りぬくという意志で満ちている。


「ええ。

 イヴァールの未来、そしてこの世界の運命が

 おこがましくも……私たちにかかっていますわ。


 殿下。この旅は極めて危険なものになるでしょう。

 組織の追手が迫っている可能性も高い。

 私たちは慎重に準備を進めなければなりません」


「ああ……危険だと承知していても

 やらねばならぬ時もある」


「殿下——」



 旅のメンバーは慎重に選ばれた。


 私とレオルガン。そしてイヴァール。彼自身の力の秘密を解き明かすためには、危険ではあるが彼自身が「月の谷」へ赴く必要がある。


 護衛かつ侍女として、並外れた戦闘能力を持つミーア。さらに、レオルガンの信頼厚い騎士であり、幾度も私たちの危機を救ってくれた騎士隊長のライル。


 この五人が、運命を賭けた旅の主要メンバーだ。


 書記官のアラン=セレスター書記官は、帝都アヴァロンに残って押収された資料のさらなる分析を行い、『蛇』の組織に関する後方からの情報収集を継続する役割を担うことになった。


 彼の知性と情報網は、帝都に残る私たちにとって、重要な生命線となるだろう。


 そしてセラフィナとカリクス。まだ幼い彼らを危険な旅に同行させるわけにはいかない。


 そこでレオルガンの遠縁の、信頼できる親族である地方領主、マティルダ=ヴァリスガル辺境伯夫人の元に、一時的に預けられることになった。


 マティルダ辺境伯夫人は、厳格だが公正で、そして何よりも子供たちを深く愛してくれる人物だと聞いている。彼女の元ならば、セラフィナとカリクスも安全に、そして穏やかに過ごせるだろう。


 ——が、覚悟はしていたものの子供たちとの別れは、やはり辛いものだった。


「お義母様、父上、お兄様……。

 行っちゃうの……? いつ帰ってくるの……?」


 セラフィナは私のドレスの裾を掴んだまま大きな瞳を涙で潤ませながら、か細い声で尋ねた。カリクスもまた普段の強がりはどこへやら——唇を固く結び、寂しげな表情で私たちを見上げている。


「セラフィナ。

 カリクス。

 必ず戻ってくるから……! 約束だ!」


 イヴァールは二人の弟妹を力強く抱きしめ、そう誓った。彼の声には兄としての責任感と彼自身の成長が感じられた。


「アラン。帝都のことは頼んだわ。

 私たちも必ず成果を持ち帰る」


「セラフィナ、カリクス……

 あなたたちを必ず迎えに戻ってくるわ」


 私はアラン、そして涙をこらえるセラフィナとカリクスにそう告げた。私自身の「心の声」もまた、彼らとの別れの寂しさ、そして必ず生きて帰るという強い決意で揺れているのを感じた。



 マティルダ辺境伯夫人は、厳格だが温かい目をした噂通りの女性だった。子供たちを優しく迎え入れ、私たちに「ご心配なく。この子たちは私が責任を持ってお預かりいたします。あなた方は、あなた方の成すべきことを成し遂げていらっしゃい」と力強く言ってくれた。


 こうして私たちは多くの人々の想いを背負って「月の谷」への旅へと出発した。帝都を後にし、まずは人里離れた険しい山岳地帯を目指す。私たちは商人に扮し、できるだけ目立たないように行動した。


 道のりは予想以上に過酷なものだった。整備されていない道、変わりやすい天候、常に付きまとう組織の追手への警戒。私たちは野営を重ね、限られた食料で飢えを凌ぎながら、ひたすら目的地を目指した。


「あそこに村が見える。

 ロマンシア、ライル、イヴァール。少し休もう」


 そこは、久しぶりに少しゆっくりできそうな、小さな村だった。


「殿下! これは一体——?」


 先行したライルが驚きの声を上げた。村は荒れていた。聞けば、数日前に山賊に襲われ、多くの食料を奪われ、負傷者も出ているのだという。


「いかがいたしましょう。

 これでは我々も休むことなどできません」


「——いいえ、ライル。

 ここも帝国の領土です」


 そう言うと私は、通い詰めた皇立図書室で学んだ薬草に関する知識を活かし、負傷者の手当てを手伝った。荒れているとはいってもまだ食べられそうなものを探し、それらを合わせた料理の仕方や、山間でも手に入るもので作る保存食を一緒に作った。


 心が折れていた村人たちは私たちの振る舞いに驚き、「心の声」にも明かりが灯ったようだった。


「旅のお方——。

 あなた方のおかげで何とか飢え死にせずに済みます。

 この御恩は決して忘れません」

 

 村長は深々と頭を下げ「せめてもの気持ちだ」と、ささやかな食料と「月の谷」の方向に関する古い言い伝えを教えてくれた。


「そう——

 ここからあの谷の方角を目指すんですね

 ありがとうございます」


 エレオノーラの日記の記述と一致するものであり、ここまでの険しい道のりが間違っていなかったことを証明してくれ、私たちにとって大きな希望となった。


「いいえ、当然のことをしたまでですわ。

 皆さんの笑顔が見られて

 わたくしたちも嬉しいし、逆に心が和らぐようです」


 私はそう言って微笑んだ。人の役に立てる喜び、そして誰かと心を通わせることの温かさ。思えば、前回の人生では感じたことのない感情だったのかもしれない。


 だが、そんな安らぎも長くは続かなかった。私たちが村を出発して数日後、ついに『蛇』の組織が送り込んだ新たな刺客が現れたのだ。


「クソッ! 何者だ!!」


 ライルが叫ぶ。敵は森の中に巧妙に潜み、私たちが通りかかるのを待ち伏せていたようだ。数は十数名。以前、私室を襲撃した暗殺者たちよりも、さらに統率が取れているようだ。装備も、より戦闘に特化している。


「イヴァール! 私たちから離れるな!」


 レオルガンも叫ぶ。敵の目的は私たちの抹殺ではなく、イヴァールの生け捕りであることが明らかだった。


『半殺しでも構わん。ガキを捕まえろ』


『騎士から片付けるぞ』


 野蛮な「心の声」も聞こえてくる。しかし私は、集団を率いていた美しい女性に目が留まった。


(……この人がボス?)


 長くしなやかな黒髪を風になびかせ、体の線がくっきりと浮き出るような黒い革の服に身を包んでいる。その手には蛇のようにしなる、特殊な形状の鞭が握られている。


 一際目を引いたのはその瞳。血のように赤く純粋な戦闘への渇望と、嬲り殺すことに快感を覚えるかのような冷酷な光を宿している。


「どうもはじめまして——私はゼノビア=ヴォルカー。

 やっと見つけたわよ、可愛い『器』ちゃん。

 そして、ケルベロスの悪女様御一行。


 さあ、お姉さんと

 楽しい狩りの時間といたしましょうか?

 あなたたちの悲鳴が

 この森に響きわたる最高の音楽になるでしょうねぇ」


 ゼノビアは、木の上から音もなく飛び降りてくると、鞭をしならせながら、挑発的で狂気に満ちた笑みを浮かべた。彼女の「心の声」は純粋な暴力への衝動と、私たちの絶望を味わいたいという嗜虐的(しぎゃくてき)な欲望で満ち溢れていた。


 ライルとミーアが、即座に私とレオルガン、イヴァールの前に立ちはだかり、剣と短剣を構える。ゼノビアという女も改めて「闘気」のようなものをほとばしらせる。


「くっ……!

 こいつ、ただのならず者じゃありません!

 かなりの手練れだ!」


 ライルが、苦々しげに呟く。


「ロマンシア様。イヴァール様。殿下。

 どうか先をお急ぎください!

 ここは、私たちがお引き受けいたします!」


 ミーアの声には、いつになく強い決意が込められていた。


「あら……ご主人様思いなのね!?

 もっと楽しませてちょうだい!

 でないと、すぐに飽きちゃうわよ?」


 ゼノビアはそう言うと、鞭を大きく振りかぶって私たちに向かって襲い掛かってきた——!

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