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第03話: 獅子の檻と三つの視線 ——継子たちとの初対面

 ヴァリスガル帝国、帝都アヴァロン。ケルベロス公爵領を出発してから数日後、私は壮麗な帝都の門をくぐり、皇太子レオルガン=ヴァリスガルの居城、通称「獅子の檻」と呼ばれる区域へと足を踏み入れた。


 鉄灰色の重厚な石造りの宮殿は、ケルベロス公爵邸の華やかさとは対照的に、質実剛健、あるいは冷厳という言葉が似合う佇まいだ。


 城壁には歴戦の傷跡が残り、衛兵たちの鎧は鈍い光を放っている。まさに、北方の強国ヴァリスガルの心臓部。


(ここが私の新たな戦場……

 そして生きる場所になるのか……)


 レオルガン皇太子との初対面は波乱含みではあったが、少なくとも前世とは違う結果になった。


 彼は私の挑発的な言葉に「面白い」と反応し、その後の道中、必要最低限の会話しか交わさなかったものの、以前のような完全な無関心や侮蔑の響きを【心の声を聞く者アンテナ・オブ・ソウル】が受信することはなかった。


 代わりにあったのは依然として強い警戒心と、探るような視線。


 そして『この女は何者だ? 真の目的は?』という純粋な疑問のノイズ。それで十分だ。まずは、彼に私を「未知数」として認識させることが第一歩だったのだから。



 宮殿の奥深く、私に与えられた居住区画は、広々として調度品も整ってはいるが、どこか寒々しい印象を受けた。


 ケルベロス家から連れてきた侍女はごく少数。ヴァリスガルの侍従たちは、礼儀正しいが明らかに壁を作っており、私の能力は——


『ケルベロスの悪女』


『厄介者』


『皇太子殿下は何をお考えなのだ……』


 ——といった拒絶と警戒、そして戸惑いの声を絶えず拾い続けた。


(とはいえ前途多難、ね——)


 溜息をつきたい気持ちを抑え背筋を伸ばす。まずは、この宮殿での最重要課題——三人の継子たちとの対面に臨まなければならない。


 レオルガンが前妻との間にもうけた子供たち。前世の私は彼らを完全に無視し、時には邪険に扱い、彼らの心をさらに深く傷つけた。


 その結果、彼らは私の破滅を望むようになり、断罪イベントでは私を告発する証言者となったのだ。


 今回は、絶対に同じ轍を踏まない。彼らとの関係改善は、私の生存戦略の要の一つだ。


 案内されたのは、宮殿内にある子供たちのための私室区画の一室。陽光が差し込む明るい部屋だが、どこか緊張した空気が漂っている。


 部屋の中央には小さなテーブルが置かれ、お茶の準備がされていた。そしてそのテーブルを囲むように、三人の子供たちが座っていた。


 私が入室すると、三対の瞳が一斉に私に向けられた。好奇心、怯え、そして敵意。様々な感情が入り混じった視線が、突き刺さる。


 一番年上に見える少年は、線の細い、母親似であろう繊細な顔立ちをしていた。黒髪に、父レオルガンとは違う深い森のような緑の瞳。年の割に大人びた、影のある表情をしている。


 彼が長男のイヴァール=ヴァリスガル、12歳。私の姿を認めると、その緑の瞳に、露骨なまでの敵意と軽蔑の色が宿った。【心の声を聞く者アンテナ・オブ・ソウル】が、彼の内心の激しいノイズを捉える。


『父上の新しい玩具か……!』


『ケルベロスの悪女め……

 母様の代わりになどさせるものか!』


『この女も、母様と同じように……

 いや違う、警戒しなければ……

 父上も僕たちも、守らなければ!』)


 私の能力は、彼の冷たい拒絶と母親を失ったことへの深い悲しみ、そして何かを守ろうとする強い意志、さらには父親への複雑な感情の響きを捉えている。やはり一筋縄ではいかない相手だ。


 その隣に座る少女は、まだ10歳くらいだろうか。金色の巻き毛に大きな青い瞳。愛らしい容姿だが、怯えた小動物のように体を縮こまらせ、私の顔をまともに見ようとしない。


 長女のセラフィナ=ヴァリスガル。彼女の心の声はストレートに伝わってきた。


『こわい……あの人、怒ってるみたい……

 目がきらきらしてて、怖い……』


『お兄様の後ろに隠れたい……』


『嘘の匂いがする……悲しい音もする……

 どうして……?』


 私の能力は、セラフィナの純粋な恐怖と不安、そして嘘や悪意に対する異常なまでの敏感さを聞き取ったようだ。


 もしかすると私の内面の揺らぎ——悪役令嬢の仮面の下にある苦悩や決意——をも、彼女は微かに感じ取っているのかもしれない。


 これは私の能力にとって、もしかして予期せぬ障害か、あるいは……?


 そして一番年下の少年。8歳くらいか。父レオルガンによく似た、勝ち気そうな顔立ちをしている。次男のカリクス=ヴァリスガル。


 彼は私を値踏みするように睨みつけ、わざとらしく足を組んで椅子にふんぞり返っている。だがその態度は明らかに虚勢だった。


『ふん、どんな女かと思えば……!

 父上が選んだなんて信じられない!』


『俺のこと、馬鹿にしてるんだろ?

 どうせ子供だって……!』


『面白くない。早く帰りたい……

 でも、帰ったら一人だ……』


『構ってほしい……僕を見てほしい……!』


 カリクスの虚勢と反抗心の下の強い寂しさと、注目されたいという切実な願いが隠されているようだ。


 無礼な態度は、不安と愛情への渇望の裏返しなのだ。


「初めまして。

 わたくしがロマンシア=ケルベロッサです。


 本日から、あなたたちの新しい母……

 いえ保護者として——

 ここで暮らすことになりました」


 私は努めて穏やかな声で挨拶し、テーブルの向かい側の椅子に腰を下ろした。侍女がお茶を淹れてくれるが、部屋の空気は凍りついたままだ。


 イヴァールは私を一瞥すると、ふい、と顔を背け、窓の外に視線を向けた。完全な無視だ。完全すぎて、ある意味では無視していないということを示してすらいる。


 セラフィナは私の顔を見ないように俯いたまま、小さな声で「……こんにちは」と呟いた。


 そしてカリクスは、わざとらしく大きな音を立ててティーカップをソーサーに置くと、ふてぶてしい口調で言った。


「ふん。

 あんたが俺たちの母親だって? 冗談じゃない。

 俺たちの母親は一人だけだ」


「カリクス!」


 イヴァールが低い声で咎めるが、カリクスは兄を睨み返すだけだ。


(来たわね……予想通りの反応。

 ——でも、大丈夫)


 前世ならここで激昂し、カリクスを叱りつけただろう。だが今の私は違う。


 【心の声を聞く者アンテナ・オブ・ソウル】が、彼の言葉の裏にある本当の感情——母親への思慕、新しい母親への反発、そして自分を見てほしいという叫び——を捉えている。


 彼の心に響かせるべき言葉は、怒りではない。


「そうですね。あなたたちのお母様は

 かけがえのない方だったのでしょう。


 わたくしがその代わりになれるとは

 思っていません」


 私は静かに答えた。


「ですが。

 あなたたちを保護し支える役目は

 これからわたくしが担うことになります。


 気に入らないかもしれませんが

 ——それは事実です」


 私の予想外の冷静な反応に、カリクスは一瞬、虚を突かれたような顔をした。イヴァールも、僅かに眉を動かす。セラフィナが、少しだけ顔を上げた。


「……気に入らないね」


 カリクスは再び憎まれ口を叩く。


「あんたみたいな

 ケ……ケルベロスの悪女に指図されるなんて

 真っ平ごめんだ!」


 彼はそう言うと、わざとらしく腕を勢いよく振った。その手が、テーブルの上のティーポットに当たり、ガシャン!という音と共にポットが床に落ち、熱い紅茶が絨毯に飛び散った。


「きゃっ!」


 セラフィナが小さな悲鳴を上げる。


「カリクス、お前……!」


 イヴァールが立ち上がろうとする。


 侍女たちが慌てて駆け寄ろうとする。だが、私はそれを手で制した。


「大丈夫よ」


 私は冷静に立ち上がり、床に転がるティーポットと、紅茶の染みが広がっていく絨毯を見下ろした。


 そして、顔面蒼白になっているカリクスへと視線を移す。彼は、しまった、という顔をしながらも、まだ強がって私を睨みつけている。


『やっちゃった……!

 どうしよう……怒られる……!

 父上にも知られたら……!


 でも、わざとじゃないって言っても

 信じるもんか!


 この女は悪女なんだから!

 僕のことなんか嫌いに決まってる!』)


 彼の内心の動揺と恐怖が、激しいノイズとなって伝わってくる。虚勢を張ってはいるが、本当は怯えている。叱責を恐れ、罰を恐れ、そして…見捨てられることを恐れている。


 前世の私なら、ここで怒鳴りつけ、彼を罰しただろう。


 だが、それは逆効果だ。彼の反抗心を煽り、心をさらに閉ざさせるだけ。彼が本当に求めているのは、罰ではなく、理解と安心感のはずだ。


 私はゆっくりと屈み、カリクスの視線の高さに自分の顔を合わせた。そして、彼の瞳を真っ直ぐに見つめて、静かに言った。


「わざとでは、ないのでしょう?」


 カリクスの目が驚きに見開かれる。能力越しの心の声も、一瞬、ピタリと止んだ。


「え……?」


「手が滑っただけ。違いますか?」


 私は続けた。彼の本心が「わざとではない」と叫んでいるのを捉えている。ならば——かける言葉は決まっている。


「驚かせてしまったのなら申し訳ありません。


 ——ですが

 怪我はありませんでしたか?

 熱い紅茶がかかったりしませんでしたか?」


 私の言葉は、彼の予想とは全く違うものだったのだろう。カリクスは、ただ呆然と私を見つめている。


 イヴァールも、セラフィナも、そして控えている侍従たちも、信じられないものを見るような目で私を見ている。


 カリクスの瞳から強がりの色がすっと消え、代わりに戸惑いと、ほんの少しの安堵のようなものが浮かんだ。


 私の能力が再び動き出す。今度は先程までの激しいノイズではなく、もっと穏やかで困惑した響きを捉えている。


『怒らない……? なんで……?』


『心配……してくれてる……?』


『この人……本当に悪女なのか……?

 父上が言ってたのと……違う……?』


「……べ、別に……怪我なんかしてない!」


 カリクスはまだ少しぶっきらぼうに答えたが、その声色には先程までの刺々しさはない。


「ポットくらい、弁償すればいいんだろ!」


「いいえ。その必要はありませんわ」


 私は立ち上がりながら言った。


「事故は誰にでもあること。

 それよりも皆さんが無事でよかった」


 そう言って、侍女たちに片付けを指示する。部屋には、気まずい沈黙が流れた。


 イヴァールは、何か言いたげに私を見ている。セラフィナは、まだ怯えの色を残しながらも、先程よりは少しだけ顔を上げて、私を観察しているようだった。


『優しい……声……? 嘘じゃ……ない……?』


 という心の声が聞こえてきた。


 その時、部屋の扉が静かに開き、レオルガンが入ってきた。彼は、室内の様子——床の染み、片付けをする侍女たち、そして子供たちの微妙な表情——を一瞥し、私に視線を向けた。


 そのアイスブルーの瞳には、探るような色が浮かんでいる。


「……何があった?」


 低い声が問う。


「少し、お茶をこぼしてしまっただけですわ、殿下。

 お気になさらないでください」


 私が答えようとした、その時。


「僕が……やったんだ……」


 か細い、しかしはっきりとした声でカリクスが呟いた。彼は父親であるレオルガンを真っ直ぐに見上げている。


「わざとじゃない。手が、滑っただけだ。

 でも……この人——ロマンシアは、怒らなかった。

 僕を心配してくれた」


 レオルガンは息子と私を交互に見比べ、その表情は相変わらず読めないが【心の声を聞く者アンテナ・オブ・ソウル】も彼の内心の驚きと、私に対する評価がまた少し変化したことを捉えている。


『……怒らなかった?

 感情的だという噂のこの女が?

 カリクスの虚勢ではなく真実か……?』


『悪評とは違う面を見せる……

 一体、何を考えている……?

 ケルベロスの悪女の仮面の下には、何がある?』


 その「内なる心の声」を聞いて私は内心で微笑んだ。


(ふふ……面白いでしょう、皇太子殿下?)


 悪役令嬢の仮面。それは時として私を守る盾となり、時として相手を油断させる武器となる。


 だが時には、その仮面を外して素顔を見せることが、人の心を開く鍵となるのかもしれない。そういうことだろう。


 氷の皇太子とその三人の子供たち。彼らとの関係はまだ始まったばかりだ。複雑で、困難な道のりになるだろう。だが今日の出来事で、確かな手応えを感じていた。


 回帰で手に入れた不思議な力——【心の声を聞く者アンテナ・オブ・ソウル】は、人の嘘や悪意だけでなく、その裏にある弱さや本心をも私に教えてくれる。


 それをどう使うか。どう向き合うか。それが、この二度目の人生における、私の大きな鍵となるだろう。


 獅子の檻と呼ばれるこの宮殿で、私は生き抜かなければならない。しかしいつか、この場所を本当の「家」と呼べる日が来るかもしれない。


 そんな、まだ微かな希望を胸に、私は静かにレオルガンに向き直った。

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