第28話: 『蛇』の紋章の組織からの警告と、ますます深まる謎
詩歌コンクールでの華々しい結果は、帝都アヴァロンの社交界で瞬く間に大きな話題となった。
私の名は、「ケルベロスの悪女」という不名誉なレッテルから解放され、知性と芸術的才能を兼ね備えた『皇太子妃』にふさわしい存在として、広く認識され始めた。
多くの貴族が私に敬意を払い、若い芸術家たちの中には私を新たなミューズとして称賛する声まで上がり始めた。
(それはやり過ぎだわ——)
と言いつつも私はこの成功を足がかりに、宮廷文化の振興や、才能ある若手芸術家たちの支援といった、新たな活動にも意欲が沸いてきた。
レオルガンもまた、私の活動を全面的に支持し、必要な援助を惜しまないと約束してくれた。
彼の「心の声」も、私への信頼と共に帝国を良い方向へ導こうという、確かなパートナーシップの響きを帯びていた。
「ロマンシア様。
ただお美しいだけでなく
あれほどの才能をお持ちだったとは!」
「まさに、ヴァリスガル帝国の至宝。
皇太子殿下も、さぞお喜びのことでしょう」
社交界のサロンでは、そんな賞賛の声が私の耳にも届き、私は束の間の満足感と自信に浸っていた。だが、その平穏は、あまりにもあっけなく打ち破られることになる。
その夜、私は自室で、エレオノーラ妃が遺した資料の解読作業に没頭していた。書記官のアラン=セレスターの協力を得て、少しずつではあるが、その難解な内容は明らかになりつつあった。
特に彼女が「古き民の力」と呼んでいた、イヴァールが持つかもしれない特殊な能力に関する記述は、私の強い興味を引いていた。
(この力は、一体何なのかしら……?
そして『蛇』の紋章の組織は
なぜこれを狙っているの……?)
そんな思索に耽っていた時、ふと窓の外に視線を向けた私は、息を呑んだ。
窓ガラスに、まるで鋭利な刃物を突き立てたかのように、一本の黒々とした蛇の牙が、深く、不気味に突き刺さっていたのだ。
「……!」
私は咄嗟に立ち上がり、窓に駆け寄った。牙は、人間の指ほどの太さがある。表面には何やら粘つくような液体が付着している。
微かに甘ったるいが、どこか金属的な異臭。
「ミーア! ライル!」
私の叫び声に、隣室で待機していたミーアと、廊下で警護にあたっていた騎士隊長のライルが、血相を変えて駆け込んできた。
「ロマンシア様、どうかなさいましたか!?」
「これは……! 一体、誰が……!」
ライルは、窓に突き刺さる蛇の牙を見て、顔色を変えた。ミーアもまた、その牙に塗られた液体を慎重に観察し、眉をひそめる。
「お嬢様、お触りにならないでください。
おそらく、強力な麻痺毒ですわ。
微量でも皮膚から吸収されると危険です」
ミーアの冷静な声が、私の恐怖を僅かに鎮めてくれた。だが、この牙が意味するものは明らかだった。
『蛇』の紋章の組織からの、より直接的で、より危険な警告。
詩歌コンクールでの私の成功が、彼らをさらに刺激し、焦らせたのかもしれない。
(また、あなたたちなのね。
ご丁寧なことだわ。
わたくしへの称賛が、
そんなに気に食わなかったのかしら?)
私の心の声は、恐怖と同時に底知れぬ怒りに震えていた。この見えざる敵の執拗さと悪意に、改めて戦慄を覚える。
ライルと近衛兵たちは、宮殿内の警備体制に不備があったことを深く恥じ、犯人の特定と、さらなる警備強化を誓った。
宮殿内には、再び緊張の糸が張り詰め、私の周囲は以前にも増して厳重な監視下に置かれることになった。
私とレオルガンは、この凶行を深刻に受け止め、『蛇』の紋章の組織の目的と規模について、改めて情報収集と分析を進めることを決定した。
エレオノーラ妃の遺した資料の解読も、最優先事項として急ぐ必要がある。
「『蛇』の紋章の組織……。
彼らは一体、何を企んでいるのだ。
そして、なぜエレオノーラを……
そして今度は君を狙う……」
レオルガンは、苦渋に満ちた表情で呟いた。彼の心の声もまた、怒りと、そして愛する者を守れなかった過去のトラウマに揺れている。
そんな中、アラン=セレスターが、エレオノーラ妃の資料解読において、新たな発見をもたらした。
「ロマンシア様、レオルガン殿下。
妃殿下の資料の中に、
繰り返し現れるいくつかのキーワードが
ございました。
それは、『古き民の力』、『器』、『世界の再構築』……
そして、『天穹の祭典』という言葉です」
アランは、興奮と同時に、どこか畏怖の念を滲ませた声で報告した。
「『古き民の力』は
イヴァール様がお持ちかもしれない
あの特殊な能力と関連があると思われます。
『器』とは力を受け止め、増幅させるための存在を
指しているのかもしれません。
『世界の再構築』……これは、組織の最終的な目的を
示唆しているのではないでしょうか。
彼らは、現在の世界秩序を破壊し
『新しい世界』を創造しようとしている……?」
「新しい……世界?」
アランの言葉は、私たちの背筋を凍りつかせた。組織の目的は、私たちが想像していた以上に壮大で危険なものなのかもしれない。
「よりよって『天穹の祭典』とはな——
なぜ『天穹の祭典』なのだ?」
レオルガンが鋭く尋ねる。
「『天穹の祭典』——すなわち
ヴァリスガル帝国で数年に一度、
星々の配置が特別な意味を持つ日だけに行われる
最も神聖で大規模な祭典です。
起源は古く、未だにはっきりしていませんが
帝国の安寧と繁栄を祈願するものです。
特別な力が集まり、宿る日と言われていますので
おそらく、
その不思議な力が何かと結びついているのでしょう。
次の開催は……
ご存じの通り数ヶ月後に迫っております」
アランの言葉に私は不吉な予感を覚えた。もし組織がこの神聖な祭典を利用して、何か恐ろしい計画を実行しようとしているとしたら……?
組織の脅威がより具体的になるにつれ、私たちの懸念は深まるばかりだった。
そんな矢先、アランの身にも危険が迫っていることが明らかになった。
資料解読を進める中で、何者かに尾行され始めたというのだ。組織の手が、私たちのすぐそばまで迫っていることを示唆していた。
「ロマンシア様。
最近誰かに尾けられているのです。
私が妃殿下の資料を調べていることが
おそらく気づかれたのだと思います」
アランは、冷静さを保ちながらも恐怖に顔を引きつらせ、「心の声」は明確に私に助けを求めていた。
「アラン、すぐに安全な場所へ!
あなたに何かあってはならないわ!」
私はアランの身を案じ、ライルが手配した護衛をつけることを決定した。組織との戦いが情報戦から実力行使の段階へと確実に移行しつつあることを、私は感じ取っていた。
そして私はイヴァールのことを思った。彼が持つかもしれない「古き民の力」が、組織の言う「器」と関連しているのだとしたら、彼は間違いなく組織の最大の標的となるだろう。
(イヴァールを守り、
あの力を正しく制御させる方法を見つけ出すことが、
今の私にとって最も重要な課題、というわけね……)
こうしてレオルガンと協力し、『蛇』の紋章の組織の具体的な活動拠点や構成員に関する情報を集め、危険とは分かりつつも反撃の機会をうかがうことにした。
表面的な平穏の裏で、私たちと『蛇』の組織の間の緊張は、まるで張り詰めた弦のように極限まで高まっていった。
(イヴァール……
あなたを、絶対に奴らには渡さない。
そのためなら、わたくしはどんな危険も冒すわ)
私は、眠るイヴァールの寝顔を見つめながら、静かに固く誓った。
この戦いは、もはやただの「やり直し人生」ではなく、愛する者たちと、この世界の未来を守るための戦いなのだと、私は「私が回帰した意味」を考え始めていた——。




