第26話: 宮廷詩人の悪意と詩歌コンクール
帝都詩人ギルドの長老。マエストロ・コーレンタール=オルシーニに誘われて「新春の詩歌コンクール」に参加することになった。
これは宮廷内に小さくない波紋を広げた。
「ケルベロス家の令嬢が
詩才までお持ちだったとは」
「いや、付け焼刃で
恥をかくだけではないか」
——など、私の【心の声を聞く者】は、好奇心と嘲笑、そして僅かな期待が入り混じる様々な声を聞いていた。
その喧騒の中心でコーレンタール自身は、私への「指導」という名目で執拗に私に接触してきた。
彼の古めかしい書斎は埃っぽい古書の匂いと、彼の尊大なオーラで満ちている。壁には、彼が過去に受賞したという数々の賞状や、彼自身の肖像画が大袈裟に飾られていた。
「ロマンシア妃殿下、詩作の進捗はいかがかな?
先日お渡しした古典詩集はもうお読みでしょうな?」
コーレンタールは、象牙の杖で床をコツコツと鳴らしながら私を見下すように言った。その態度は教え導く師というよりは、獲物を嬲る猫に近い。
彼の内心には金属がこすれ合うノイズのように、確かな悪意が響いている。
『ふん。この小娘に
真の詩歌の深淵が理解できてたまるか。
私の言う通りに古臭い詩を真似させて
その凡庸さを白日の下に晒してやろうではないか』
『グロリア様のためにもここで徹底的に打ちのめし、
二度と文化の領域に足を踏み入れられぬように
してやらねば』
私に対して長大で退屈な叙事詩や、厳格な韻律に縛られた古風な詩形ばかりを強要してきた。私の自由な発想や現代的な言葉遣いは、ことごとく「伝統への冒涜」「皇太子妃候補にはふさわしくない軽薄さ」と頭ごなしに否定された。
それは才能の芽を摘み取り、創造の喜びを奪うための巧妙な精神的虐待に他ならなかった。
「マエストロ。
先日わたくしが試作いたしました恋の詩ですが、
いかがでしたでしょうか?
少し新しい試みとして、
自由な形式で感情の機微を
表現してみたのですが……」
私は、あえて彼の好まないであろう、瑞々しい感性に満ちた——少なくとも自分ではそう思っている詩を提出してみた。
もちろん彼がそれを評価するはずがないことは分かっている。
「ふん、あれか。
もちろん読んだが……お話になっておりませんな。
言葉遊びに過ぎん。
そのようなものは詩とは呼べん。
皇太子妃候補ともあろう方が
そのような軽薄な言葉を弄ぶとは
嘆かわしい限りじゃ」
コーレンタールは私の詩を鼻で笑い飛ばした。
その言葉の裏には、私の才能への嫉妬と私自身への侮蔑が渦巻いているのが「心の声」として手に取るように分かった。
私自身の思い上がりと思っていたが、そんな才能もあったとは自分でも発見だった。素直に褒めてくれればよいものを——
(この爺さん。
本気で言っているのかしら……。
頭の中までカビが生えていそうね。
けれど、あなたのその凝り固まった価値観こそが、
あなたの芸術を古臭く、
つまらないものにしているのよ)
私は内心で毒づきながらも、表情には殊勝な生徒の仮面を貼り付けた。
「まあ……
マエストロのご指導はいつも厳しくも的確ですわ。
わたくしのような未熟者には
まだ古典の深淵が理解できておりませんのね。
もっと精進いたします」
「……分かればよい。
才能なき者は、努力で補うしかないからのう。
もっとも——ケルベロス家の血筋では
高貴な詩の心など
元より理解できぬのかもしれんがな、フフフ……」
私の出自や、過去の悪い噂まで持ち出し、私を精神的に揺さぶって創作意欲を削ごうとしてきた。卑劣なやり口に、さすがの私も怒りが込み上げてくる。
(なんて言い草なの……!
けれどここで感情的になっては、彼の思う壺だわ)
怒りを抑え、逆に彼の言葉尻を捉えて反撃の機会を伺う。
「まあ……マエストロは
血筋で詩の才能が決まるとお考えで?
古典では平民出身の偉大な詩人たちも多いですし
その功績を、全て否定なさっているのかしら……?」
「なっ……!
わ、私はそのようなことを言っておるのではない!
伝統と格式を重んじるべきだと言っておるのだ!」
狼狽しながらも強気な態度を崩さない。しかし——「心の声」が聞こえる私には、内心の動揺が手に取るようにわかる。
私は、表面上は指導に従順なふりをしつつ、水面下ではアラン=セレスターと連携して詩歌コンクールで発表するための「真の詩」の準備を秘密裏に進めた。
アランは、皇立図書室の書庫にも足を運んでくれた。古き民の伝承や歴史の中に埋もれた革新的な詩形、そしてエレオノーラ妃が遺した資料の中にあった詩の断片などを徹底的に調べてくれたのだ。
私たちは、ただ美しいだけの詩ではなく、帝国の未来への希望、多様な文化の調和、そして伝統と革新の融合——深いテーマ性のようなものを込めた、新しい詩を創り上げようとしていた。
コーレンタールの古臭い価値観を根底から覆し、聴衆の心を揺さぶるような『魂の詩』とでも言うべきものを目指した。
アランとの共同作業は、知的な刺激と創造の喜びに満ちていた。コーレンタールとの不毛なやり取りでささくれ立った私の心を癒してくれる、貴重な時間。彼の博識と誠実な人柄を改めて感じるのだった。
「ロマンシア様、この古き民の叙事詩の一節ですが
現代語に訳すとこのような力強いメッセージが
込められているようです。
これをモチーフに
新しい詩形を試みてはいかがでしょう?」
「素晴らしいわ、アラン!
あなたの助けがなければ、わたくし一人では
到底ここまで辿り着けなかったでしょう。
あの古狸には、当たり障りのない凡庸な詩でも
提出しておけばいいのよ。
本番で度肝を抜いてやるための隠れ蓑にしましょう」
私たちは、夜遅くまで書斎で議論を交わし、詩想を練り、時には笑い合いながら傑作を生みだしてやろうという意気込みだった。その過程は私に、仲間と共に何かを創造する純粋な喜びを与えてくれた。
◇
詩歌コンクール数日前。コーレンタールは私を呼び出し、「最終指導」と称して、私が提出した詩をこれまで以上に徹底的にこき下ろした。もちろん「凡庸な出来映え」に調整したダミーの詩だ。
「ロマンシア殿。
これは……もはや詩とは呼べぬ代物ですな。
言葉の羅列、稚拙な感傷、そして何よりも——
品位がない!
これでは皇太子妃候補としての資質が疑われますぞ。
いっそ、コンクールを辞退なされてはいかがかな?
あなたのためを思って申し上げる」
勝ち誇ったような表情で、私に最後の揺さぶりをかけてきた。私の【心の声を聞く者】は、彼の最終的な魂胆——グロリア姉様の意を受けてコンクールで私に大恥をかかせることで私の評価を地に堕とし、皇太子妃候補の座から引きずり下ろそうと画策していること——を明確に察知していた。
(ええ、ええ、ご忠告痛み入りますわ。
あなたのその自信が絶望に変わる瞬間が
今から楽しみで仕方ないのだけれど——)
私は、内心を完璧に隠しながら悲しげな表情を作ってみせた。
「マエストロ……わたくしには、
やはり才能がないのでしょうか……。
ですが、ここまで来たからには
未熟ながらも精一杯務めさせていただきますわ。
それが皇太子殿下への、そして帝国の人々への、
わたくしなりの誠意でございますから」
私の殊勝な態度に、コーレンタールは満足げな笑みを浮かべた。私が完全に彼の術中に嵌ったと思い込んでいるのだろう。
(愚かな老人——
あなたの時代は、もうすぐ終わるのよ)
◇
コンクール当日への期待と緊張が高まる中、私はアランと共に完成させた「秘策の詩」を最終確認し、静かに闘志を燃やしていた。
——旧時代の権威に新しい風を吹き込んで差し上げる。その時は、もう目前に迫っていた。




