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第25話: イヴァールの変化と「力」の兆候、そして現れたマエストロ

 会計監査官バルドゥス卿の失脚は、ヴァリスガル皇宮に大きな波紋を広げた。


 長年にわたる不正と、それを白日の下に晒した私たちの鮮やかな手腕は、貴族たちの間で畏敬と警戒の念をもって語られた。


 私の「ケルベロスの悪女」という過去の不名誉な評判も薄れて「有能で公正な皇太子妃候補」として、私の存在は無視できないものへと変わりつつあった。


 侍従たちの間でも、私の進める改革への期待と支持が広がり、宮殿全体の雰囲気は以前よりもずっと明るく、活気に満ちている。


 そんな変化の中で私は、継子のイヴァール、セラフィナ、そしてカリクスとの時間を作るように努めていた。


 彼らの心の氷を溶かし、真の家族としての絆を築くことは、この宮廷で生き抜くためだけでなく、私自身の心の平穏のためにも不可欠だと感じていたからだ。


 カリクスは相変わらず憎まれ口を叩きながらも、私に懐いてきているのが見て取れた。私の作る菓子を「まあまあだ」と言いながらも全て平らげたり、剣の稽古の成果を私に見せに来たりする。


 それは実に微笑ましく、彼の心の声が「もっと構ってほしい」「褒めてほしい」と叫んでいるのが手に取るように分かった。


 セラフィナは、私が「悪役令嬢の仮面」を外して素顔で接する時間が増えたことで、すっかり私に心を開いてくれた。


 私の後をついて回り、庭で一緒に花を摘んだり、私が読む絵本に目を輝かせたりする。その純粋な笑顔は、私の荒んだ心を癒してくれる。何よりの薬とでも言うべきか。


 最も大きな変化を見せたのは、長男のイヴァールだった。以前は私に対して露骨な敵意と警戒心を向けていた。


 だがバルドゥス卿の一件や、私が彼の高熱を看病したこともあり徐々にその態度を軟化させていたのだ。


 まだ口数が少なく、私と目を合わせることも少ない。だが以前のような怯えた態度は消え、私が話しかけると静かに耳を傾けるようになった。


 時折、彼が私に向ける緑の瞳には、戸惑いと、そして僅かな信頼のような光が宿っているように見えた。


 彼の「心の声」も以前の激しい拒絶のノイズから、次第に穏やかで、何かを探るような響きへと変わってきているのを捉えていた。


『この人は……

 本当に、僕たちの敵なのだろうか……?』


『母様の死の真相を、

 この人なら……教えてくれるかもしれない……』


『あの時……僕の熱を下げてくれた時の

 あの温かい手は……嘘じゃなかった……』



 そんなある日の午後、私は子供たちと中庭でお茶会を開いていた。秋晴れの空の下、色づき始めた木々の葉が風に揺れている。テーブルの上には、私が焼いたクッキーやスコーン、そして温かい紅茶。


「お義母様。

 このクッキーとっても美味しい!」


 セラフィナが、口いっぱい頬張りながら歓声を上げる。


「ふん、まあ、食えなくはないな」


 カリクスも、ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、次々とクッキーに手を伸ばしている。


 イヴァールは黙って紅茶を飲んでいたが、ふと顔を上げ、私に小さな声で尋ねた。


「……あの、ロマンシア様」


「なあに、イヴァール様?」


「母様は……エレオノーラ母様は、

 どうして……死んでしまったのですか?」


(——ッ!)


 その問いはあまりにも唐突で、そしてあまりにも切実だった。彼の緑の瞳は、真剣な光を宿して私を真っ直ぐに見つめている。部屋の空気は一瞬にして張り詰め、セラフィナもカリクスも、兄の言葉に息を呑んだ。


 私は言葉に詰まった。


 まだ幼い彼に、母親の死の真相——それが単なる病死ではなく、何らかの陰謀に巻き込まれた可能性が高いこと——を、どう伝えればいいのだろうか。


「イヴァール……それはとても辛いお話よ。

 まだわたくしにも、

 全てが分かっているわけではないの」


 私は慎重に言葉を選びながら答えた。


「でもいつか必ず、あなたに真実を伝えるわ。

 それが、わたくしの役目だと思っているから」


 私の言葉を聞いたイヴァールは、何かを堪えるように唇をきつく結んだ。彼の瞳が潤み、深い悲しみと、母への思慕の念が溢れ出しそうになる。


 その瞬間だった。


 テーブルの上のティーカップが、カタカタと微かに揺れ始めたのだ。初めは気のせいかと思った。だが、揺れは次第に大きくなる。カップの中の紅茶の表面が波打っているのが、はっきりと見て取れる。


 それだけではない。部屋の隅に置かれたランプの炎が、風もないのに大きく揺らめき、一瞬、不気味なほど明るく燃え上がる。


(……何……!?)


 私と子供たちは、その不可解な現象に息を呑んだ。そして私の視線は、なぜか自然とイヴァールへと注がれた。


 イヴァールの感情が高ぶった瞬間——彼の母への強い想いが溢れ出した瞬間——にこの奇妙な現象が起こった。そんな気がしたからだ。


(まさか……

 これが、イヴァールの……

 「古き民の力」の兆候……!?)


 エレオノーラ妃の日記に記されていた「古き民の力」。魂の共鳴、自然との調和、そして時には物理現象を引き起こすほどの強大な精神エネルギー。イヴァールがその力を受け継いでいるとしたら……。


(はっ……!

 イヴァールの心の声は——!?)


 私の能力は、イヴァールの内面から、彼自身も制御できていない、強大なエネルギーの波動と、それに対する戸惑いや恐怖のノイズを捉えている。


『何だ……これ……僕の中から……何かが……!?』


『怖い……止まらない……!』


 ——と、現象はすぐに収まった。ティーカップの揺れも、ランプの炎の揺らめきも、まるで何もなかったかのように元に戻る。


 だが私と、少し離れた場所から厳しい表情で様子を見ていたレオルガンは、この異常な出来事を見逃さなかった。


 イヴァール自身も何が起こったのか分からず、ただ呆然とした表情で自分の手を見つめている。セラフィナとカリクスは、何事かと怯えたように兄と私を交互に見ている。


 私はこの力の危険性と重要性を認識し、深い懸念を抱いた。もしこの力が『蛇』紋章の組織に知られれば、何としてもイヴァールを手に入れようとするのではないか——。


 レオルガンもまた、私と同じ懸念を抱いたのだろう。彼は私に目配せし、子供たちには気づかれないように、後で詳しく話す必要があることを伝えてきた。


 ところがそんな不穏な空気を打ち破るように、侍従が慌ただしくやってきて、私に客人の来訪を告げた。


「ロマンシア様、帝都詩人ギルドの長老であられる

 マエストロ・コーレンタール=オルシーニ様が

 お見えです。


 皇室主催の『新春の詩歌コンクール』の件で

 ロマンシア様にご挨拶したいと……」


 マエストロ・コーレンタール。その名前に、私は眉をひそめた。彼は、帝国の文化の守護者を自任する、極めて権威主義的で古風な宮廷詩人だと聞いている。


 そして確か……グロリア姉様の熱心な支持者でもあったはずだ。


(詩歌コンクール……。面倒なことになりそうね)


 私の能力は、まだ見ぬコーレンタールという人物から発せられる、私に対する強い警戒心と、何かを試そうとするような、高圧的な思惑のノイズを微かに捉えていた。


「マエストロ・コーレンタールが、わたくしに……?

  分かりましたわ、お通ししてちょうだい」


 私は、イヴァールの力のことに気を取られながらも、新たな面倒事の予感に、内心でため息をついた。


 侍従に案内されて現れたのは、背が高く、痩せた老人だった。高価だが古めかしいデザインのローブを身にまとい、手には杖。


 鷲のような鋭い目つきと、薄く結ばれた唇。おそらく厳格な性格をしている人なのだろうと、「心の声」を聞くまでもなく分かった。


「お初にお目にかかります、ロマンシア様。

 私が帝都詩人ギルドの長、

 コーレンタール=オルシーニにございます」


 その声は、年のわりには張りのある、どこか芝居がかった尊大な響き。


「この度は、冬になると開催されます

 皇室主催『新春の詩歌コンクール』の審査委員長を

 拝命いたしました。


 つきましては、

 皇太子妃候補であられるロマンシア様にも

 ぜひご参加いただき

 その類稀なる詩才を帝国の民にお示しいただきたいと

 強くお願い申し上げる次第でございます」


 彼は丁寧な言葉遣いとは裏腹に、有無を言わせぬような口調で私にコンクールへの参加を勧めてきた。


 私の【心の声を聞く者アンテナ・オブ・ソウル】は、彼の言葉の裏にある、私への侮りと悪意をはっきりと捉えていた。


『ふん、この田舎貴族の成り上がりが

 本当に皇太子妃に相応しい器量と教養を

 持っているのか

 この詩歌コンクールで試してやろう』


『グロリア様のためにも

 この女に公の場で恥をかかせ

 その化けの皮を剥いでやらねばならん』


『どうせ、まともな詩など詠めるはずがない。

 私の指導でさらに追い詰めてやるのも一興か……


 ああ、灸が据えたい! 灸が据えたい!

 今すぐにでも灸が据えたいィィィィ!』


(——なんて嗜虐的なの!?


 わたくしに恥をかかせたいというわけね。

 マエストロ・コーレンタール。

 そして、その背後にはグロリア姉様の影も

 ちらついている、と)


 あまりの変態ぶりに若干別の焦りを憶えたものの、その魂胆は明らかだった。詩歌コンクールは口実で、単に私を陥れたいのだ。


 だが、私は二度目の人生——存分に生きなければならない。ここで怯むわけにはいかないのだ。


 この挑戦を受けて立ち、むしろ宮廷内での私の評価を高める。そして文化的な面でも影響力を持つことを示す、絶好の好機に代えてやるのだ。


 そこで私は、優雅な笑みを浮かべて余裕を見せた。


「まあ、マエストロ・コーレンタールの直々のお誘い。

 大変光栄ですわ。


 わたくしのような未熟者が

 そのような晴れがましい舞台に立つ

 そんな資格があるのか分かりませんが……

 精一杯、務めさせていただきます」


 私の返答に、コーレンタールは一瞬意外そうな表情を浮かべたが、すぐに満足げな笑みに変わった。


 おそらく私が彼の「指導」という名の嫌がらせに屈してコンクールを辞退するか、あるいは凡庸な作品しか作れずに恥をかくことを期待しているのだろう。


(あなたの古臭い価値観ごと

 ——打ち砕いてさしあげるわ)


 私は静かに闘志を燃やした。イヴァールの力の謎、そして『蛇』の紋章の組織の脅威。解決すべき問題は山積みだが、まずは目の前の小さな悪意から、一つずつ確実に潰していくしかない。



 詩歌コンクールへの参加を正式に表明した私は、早速アラン=セレスターに協力を依頼し、コンクールで発表する詩の準備に取り掛かった。


 彼ならば私の意図を理解し、コーレンタールの予想を裏切るような、帝国の未来を照らす革新的な詩を創り上げるための、最高の知恵袋となってくれるに違いない。

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