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第24話: 会計監査官の完全なる失墜

 宮廷会議の空気は、バルドゥス=グレイリング会計監査官による激しい弾劾演説によって、一触即発の緊張感に包まれていた。


 彼は、私が提出した侍従の待遇改善や食料調達ルート効率化のための予算案に猛反発。「不正会計の疑いがある」と声高に主張し、捏造した証拠書類を高々と掲げていた。


 その表情にはまるで『長年の政敵』を打ち倒さんとする、醜い悦楽の色が浮かんでいる。


「ご覧ください、皆様!

 この不明瞭な支出!

 これは明らかに皇室財産の私的流用でございます!


 ロマンシア様、

 あなたには皇太子妃候補の資格も

 この国を改革する資格もございませんぞ!」


 彼の言葉に、一部の貴族たちは同調するように頷き、私に疑惑の目を向ける。会場は騒然。レオルガン皇太子も厳しい表情で事態の推移を見守っている。


(お芝居が上手なこと。

 けれど、その脚本は少々古臭くてよ、バルドゥス卿)


 私は内心の怒りにも似た感情を抑え、冷静に反撃のタイミングを計る。彼が全ての「証拠」を提示し終え、勝利を確信して息巻く、まさにその瞬間を。


 やがて、バルドゥス卿の長々とした弾劾演説が終わった。彼は満足げな表情で私を見下ろし、勝ち誇ったように鼻を鳴らす。会場の視線が、私一人に集中する。


 私は静かに立ち上がった。私のほうが芝居ならうまい。凛とした声で口火を切る。


「お言葉ですが、バルドゥス卿。

 あなたのその『告発』

 些か熱が入りすぎているように

 お見受けいたしますわ」


 私の落ち着き払った態度が予想外なのか、バルドゥス卿の眉がピクリと動く。


「な、何を……!」


「まず、不正だとご指摘賜ったこの支出。

 よくご覧くださいませ。


 実は、バルトゥス卿の息のかかった商会への

 不当に高額な発注を正し

 より公正な競争入札に切り替えた結果、

 逆に削減できた費用の一部でございます。

 資料はこちらに」


 私は、アラン=セレスターが準備してくれた詳細な取引記録を提示した。バルドゥス卿の主張がいかに根拠薄弱で、むしろ彼自身が不正な取引に関与していた可能性を示唆する重要な書類だ。


「そして、あなたが『私的流用』と断じたこの項目。


 これは、古くなって危険だった

 侍従たちの宿舎の修繕費用と

 皆のための新しい寝具や医療品の購入費用ですわ。


 彼らが心身ともに健康で働くことが

 結果として皇室へのより良い奉仕に繋がると

 わたくしは考えましたが……


 まさかバルドゥス卿は

 それすらも不正だと仰るのかしら?」


 私の言葉に、会場のあちこちから「そうだそうだ」という囁きや、バルドゥス卿への非難めいた視線が集まり始める。


「そ、それは……言葉の綾だ!

 問題の本質はそこではない!」


 バルドゥス卿は狼狽しながらも、まだ強気な態度を崩そうとしない。ならば私も。


「お言葉ですが、バルドゥス卿。

 あなたが『不正』と断じたこの予算案は

 そもそもあなたの息のかかった業者への

 不当な発注を正し、

 宮廷の財政を健全化するためのものですの。


 詳細な会計報告と、

 複数の専門家による監査結果も

 こちらにございますわ」


 私は次々に提示した。ミーアが極秘に入手したバルドゥス卿の秘密帳簿の写しの一部。アランが発見した過去の会計記録における不審な金の流れ。特定の商人との癒着を示す複数の証拠書類。


 それは、バルドゥスの長年にわたる不正会計と私腹を肥やす行為を白日の下に晒すものだった。


「さて、お集りの皆様——

 そして、バルドゥス卿。

 本当の不正会計を行っていたのは

 一体どちらか、お答えいただいてもよろしくて?」


 バルドゥス卿の顔から血の気が引いていく音が聞こえた気がする。彼の額には脂汗が玉のように浮かび、その目は恐怖に泳いでいる。


「こ、これらは全て……捏造だ!

 ケルベロスの悪女が、私を陥れるための罠だ!」


「罠、ですって?

 それは、あなたがわたくしに対して

 仕掛けようとしていたことではございませんの?」


 私は冷ややかに微笑んだ。そして決定的な一手を打つ。


「証人がおりますわ。

 長年、あなたの不正に加担させられ

 良心の呵責に耐えかねて

 全てを告白してくださった方が」


 私の合図で会議室の扉が開き、バルドゥス卿の元部下であった例の男が、騎士に付き添われて入ってきた。


 震えながらも決然とした表情で、バルドゥス卿の悪事を、涙ながらに詳細に語り始めた。


 賄賂の受け渡し、帳簿の改竄、脅迫による口封じ……その生々しい証言は、バルドゥス卿の罪を決定づけるものだった。


「も、もう……おやめください……」


 観念したバルドゥス卿は、ついに床にへたり込み、顔面蒼白で力なく呟いた。彼の権威も、自信も、完全に打ち砕かれた瞬間だった。


 その時、それまで沈黙を守っていたレオルガンが威厳をもって立ち上がった。その声は、会議室全体に厳粛に響き渡った。


「帝国の名を汚し私腹を肥やす者は、決して許さぬ!

 会計監査官バルドゥス=グレイリング!

 その数々の罪、

 ヴァリスガル帝国の法と正義の名において

 厳罰に処す!」


 レオルガンの宣言は、会議の結論を決定づけた。他の貴族たちも、もはやバルドゥス卿を擁護する者は一人もいない。宮廷会議は、彼の断罪を全会一致で決定した。


 彼は全ての役職を解かれ、不正に得た財産は没収の上、領地の大幅縮小とそこから出ることは一切許さないと言い渡され、事実上の社会的な死刑宣告が下った。


 衛兵に両脇を抱えられ、無様に引きずり出されていくバルドゥス卿の情けない姿は、まさに彼の時代が、完全に終わったことを象徴する光景だった。


 私は、バルドゥス卿の哀れな末路を静かに見送った。彼の失脚は、宮廷内に蔓延る腐敗の一端を切り取ったに過ぎないのだから。


 会議後、宮廷内には一時的な静けさが訪れた。


 私の評価は「ただの美しいだけの皇太子妃候補」あるいは「ケルベロスの悪女」から「有能で公正な改革者」「恐ろしくも頼もしい切れ者」へと、大きく変わり始めていた。


 侍従たちも私の改革を支持し、宮殿の雰囲気は確実に良い方向へと動き出している。


 レオルガンもまた、私の手腕と勇気を改めて認識し、そのアイスブルーの瞳には、以前よりも深い信頼と、そしてどこか熱を帯びたような複雑な感情が宿るようになっていた。


『彼女は……私の想像を遥かに超える存在だ。

 共に帝国を導くパートナーとして

 これ以上の者はいないのかもしれない……』


 彼の心の声は、私への期待と確かな好意が、以前よりもその輪郭をはっきりとさせている。


 しかし、私はこの小さな勝利に満足することなく、すぐに次なる改革——貴族の不正な特権の見直しや、帝国の財政健全化といった、より困難な課題——に着手する準備を始めていた。


 忘れてはならないのは『蛇』の紋章の組織。あの正体を突き止め、その陰謀も阻止しなければならない。


 バルドゥス卿の失脚は、私にとって大きな達成感と、宮廷改革への確かな手応えを与えてくれた。だが同時に、権力闘争の厳しさと、その先に待ち受けるであろう、さらに大きな敵との戦いを予感させるものでもあったのだ。


 執務室の窓から見える空は、嵐の前の静けさを思わせるように、どこまでも青く澄み渡っていた。

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